こんにちは。
最近GRITという本を読んでいましたが、続いてマインドセット「やればできる! 」の研究を読んでいます。
ちょっと似通った内容です。
簡単に説明しますと、人は生まれつきの能力が変わらないという硬直マインドセットの人間と、努力することで才能は伸ばせるというしなやかなマインドセットの人間がいるというお話です。
人はそれぞれ2つのマインドセットを持ち合わせており、どちらが正しいというわけではないもののしなやかなマインドセットに傾いているほうが長期的に・総合的にいいよねというお話です。
すずき自身の経験と、教育者としての観点に立ってお話していきたいと思います。
硬直マインドセットだった
すずきは必死に努力することがかっこいいだなんて考え方を持っているように見えますが、実際はそうでもありませんでした。
器械体操を始めたときは、小さい頃からやっている人には敵わないと思っていました。
先生になる前も、勉強は「ある程度のセンスが必要だ」と思っていました。
たぶんそれは、僕の過去の経験から来る勝手な思い込みでした。
硬直マインドセットの人ほどあきらめが早く、どこか他人や他のことのせいにする傾向にあるのだそうで、僕はまさにそんな人間でした。
確かに天才じみた人を見てしまうと、周りの人間も天才だの神童だのともてはやしてしまい、「あいつには絶対に敵わないんだろうな」と思ってしまいますよね。
僕は体操をやっていた時は言い訳ばかりしていましたし、大学受験に失敗した時もどこか周りのせいにしていました。
確かに中には一時的に名声を得る人もいますが、長くその場に君臨するためには実際のところ並々ならぬ努力が必要なのです。
そんなことはつゆ知らず、言い訳ばかりしていたあの頃。
「しなやかなマインドセット」を持つ人たちはそんな言い訳をせず、そして失敗を恐れずに何度もトライするのだそうです。
僕も英語と出会い、ダンスと出会い、なんとか徐々にマインドセットが変わっていきました。
過去のクソみたいな自分と決別すべく、大学・社会人と新たに一歩踏み出せたわけです。
しなやかなマインドセット
僕は継続・成長・失敗といった記事を書いてきました。
実はしなやかなマインドセットとは、ここら辺の考えに通ずるマインドセットです。
じゃあ一体どのようなことを始めることで「しなやかなマインドセット」になるのかを、すずきの経験したことからお伝えしてきます。
他人の目を気にしない
この他人の目を気にする感覚がある人ほど硬直マインドセットであり、自分は才能があるんじゃないかと思っているふしがあります。
僕も小学生の時に勉強で努力してきて、中学・高校とトップに行けるほど我ながらコツコツと努力できていたほうだと思います。ここまでは悪くないでしょう。
ただそこで大学受験となると、変にプレッシャーがかかったわけです。
「俺はできる人間なんだ。勉強なら一番になれるんだ。俺は神なんだ。見てろよ愚民ども!」と才能至上主義みたいになっていました。(冗談)
それで勝手に他人の目を気にしては「〇〇大に行けないと…」と思い込んでいました。
これは完全な「硬直マインドセット」らしいです。
すると以後失敗を恐れるようになります。これが悪循環を生み出します。
なんと驚くことなかれ、僕はこれにより高3の後半はほとんど勉強していません。
才能(センス)があるからいけるという謎の自負と、あきらめの半々だったかなと思います。
このときに自分のやるべきことに集中していれば、もっとできたこともあっただろうし、小中学生の時みたいに純粋に努力ができていたと思います。
今となっては、逆にそれらの経験のおかげでマインドセットが変わり、コツコツと努力できるようになりました。
あまり他人を気にせず、自分のやりたいことをやれるようになり、自分の成長を楽しめていると思います。
チャレンジする
言い換えると積極的に失敗することでもあります。
自分に才能がないと思っていても「努力すればどうにかなるだろ」という、楽観的かつひたむきに努力するやつほど末恐ろしいものはありません。
僕のしなやかなマインドセットの構築に貢献したものの1つが、ブレイクダンスだったと思います。
始めたてはちょっと恥ずかしくてサークルの隅っこのほうで練習したり、こそこそ家で練習していました。
それも数ヶ月して初心者なりに少しずつ踊れるようになると、もう息をあげながら恥じらいもなく、ストイックに練習して失敗していく姿を逆に見せつけてすらいました笑。
ここで間違えてはいけないのは「俺、頑張ってるだろ?」ってやつです。
勉強でも仕事でもいますよね。2時間しか寝てないって自慢してくるやつ。
そうはならないようにと、ブレイクダンスの練習は必死に「基礎から積み上げること」ができました。
他人に褒められたいから続けているのではなく、自分が納得できるようにという気持ちや、いつでもパフォーマンスができるように、いつまでも成長できるようにという様々な思いで続けられています。
チャレンジし続けていると失敗がないわけがないですし、初心者の頃はそれはもう目も当てられないほど下手くそでした。
最近だとランニングがそれにあたるのかなと思っています。
だいたい1㎞あたり4分50秒前後で走っていますが、ガチのランナーたちからすれば3分台って当然です。
でもそこで「君は遅いのね」と言う人は誰一人いませんし、僕自身がそこでチャレンジをやめる理由は全くもってありません。
少しずつ改善できる部分を探してタイムを縮めればいいだけですし、人によっては「習慣的に走れればいい」という目的がある人など、走る理由は多種多様です。
それぞれがそれぞれの目標を掲げ、チャレンジして失敗していけば、本人の中に経験としてどんどん蓄積されていきます。
こんなにいいことはありませんよね。
そうしてダンスが上手く、足が速くなってきたらまた1つ注意です。
これからもっとたくさん失敗し、負けることも増えるだろうということです。
それさえわかっていれば大丈夫かなと。
負けたり失敗したら、また努力すればオールOKなのです。
生徒の素質を決めつけない
特に教師としての資質が問われるのは、生徒へのマインドセットかもしれません。
僕はどこかで「勉強はセンスによるもの」という考えを持っていました。
塾講時代も頭の中で勝手にできる子とできない子に振り分けていました。
ある意味それは正しい判断というか、感覚的には間違っていません。
なぜならその時点でできているかどうかは点数やその子の姿勢を見ていればわかるからです。
教師をやっていますと、生徒の顔つきや話し方でだいたいその子の「頑張れる度」がわかってきます。
しかし「実はやればどうとでもなるものなんだな」と思い始めたのは、自身の英語の成長と、今こうして読書したり普段からインプット・アウトプットしたりして成長している自分を感じた時でした。
人によって成長のスピードは違うのだ、と。
受験で失敗した後の大学生活と社会人生活で勉強を続けたおかげで、成長のスピードなんてどうだっていいと思えるようになりました。
そんなことより「成長している自分」、ただそれだけを実感できることのほうが、何より嬉しいんですよね。
だから僕はゆっくりか速いかなんてまず定義はないと思うようになりましたし、その人なりの「スピード」があると思っています。
他人にも自分にも、そのスピードが速いのか遅いのかを判断する権利はありませんよね。
成長していればそれでいいのです。
生徒のその時その時の最大瞬間風速は大したことないかもしれませんが、努力することで変わることができるんだよという事実も教えてあげなければいけません。
時にはそれが報われないこともあるでしょうけど、「その過程は無意味だった」と思う人はいないでしょう。
一方で僕には「努力しなかったこと」があります。
高3の後半に勉強しないで大学に落ちた時のことは、今でも恥ずかしいものです。
中途半端に器械体操をかじって人のせいにしていた時ほど、みじめな瞬間はありませんでした。
これらの例を悔しく思うのは、「努力して失敗したこと」とまるっきり違う経験だからです。
生徒も同じように、自分の「努力していない」行動に気づけているのかどうか。これがとても大切になってきます。
ただ、こればっかりはいくら先生がアドバイスやサポートをしても、結局は本人のマインドセットですので、簡単には変わらないかもしれません。
それでも生徒たちだってやればできるということは信じてあげる。
それは僕自身が体験しました(している)し、みなさんにも努力が報われた経験が一つでもあると思うからこそ言えることです。
生徒にその考え方を応用したって間違いではありません。
どんな生徒も変われるということを前提条件として持っておくことで、生徒への接し方も大きく変わっていくことでしょう。
おわりに
「しなやかなマインドセット」は簡単に作られるものではありませんし、「硬直マインドセット」の支配下にあったすずきのブレインは、柔軟にするのになかなかの時間と労力と失敗を要しました。
でもどこかでスイッチが切り替わり、「しなやか」になることができれば様々なことに努力を向けることができるようになります。
だから才能がないと割り切った後の僕は、もっともっと努力すればいいと思えるようになりました。
生まれ持った才能によって規定される世の中なんかないのだ、と。
「硬直マインドセット」に支配された他人や自分に負けるのが、悔しくなったんですよね笑。
それだったら、やるだけのことをやってから自分で自分のことを評価してあげたいと思ったのです。
日々精進ですね。
「やればできる」っていうマインドセットのおかげでまた頑張れそうです。
みなさんもぜひ一読してみてください。
それではまた!
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