日本人の価値観を変えていくのが僕の使命なのか?【近い人から少しずつ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、元教え子と会ったことを記事にしました。

僕は別にインフルエンサーでもなければ、有名になりたいわけでもありません。

ただ、近くの人に自分の経験を伝えることで、友人たちをサウナに巻き込んだり笑、一緒に投資の話をしたりするのはとても面白いことだと感じています。

近くの人には「僕への信頼」もありますので、混み入った話もできますしね。

日本ではいろんな人が先頭に立って、いろんな事業を始めています。

僕も自ら何かを始めるフェーズにきました。

今日は「僕がやるべきこと」について書いていきます。

できる限り多くの人に「自分」を届けるのではない。近くの人たちに思いを届けてゆくのだ。

まずは数を気にしないこと

僕は以前からあまり、

  • いいねの数
  • フォロワーの数

などの数字を気にする人間ではありませんでした。

もちろん、ビジネスとしてSNSの分析をして数字を追い求めている人のことは、尊敬していますし素晴らしいとも思っています。

ただ僕にとっては、その作業がどうしても苦手であり、自分が行動しているほうが圧倒的に楽なのです笑。

ニーズにリーチしていくことは大切なことですが、そういう意味では僕には「英語」がありますし、

せいじに教えてほしい

と言われたことは何回かあって、お金をいただいて授業することも、実は経験しました。

一方で、

顧客が多ければ多いほどいい

と思っているわけではなくて、どちらかというと「英語を頑張りたい」という人に、しっかりとサービスを届けることが大事なのだと感じています。

数を気にしたことはあまりありませんが、おかげさまで「X」のほうは1,300人までフォロワーが増え、YouTubeでは420人以上登録してくれました。(少ないですけど、僕は嬉しいです)

基本的に「数にこだわること」はリスクを伴うことなのだと、僕は考えています。

  • 知らない人から認知される
  • 薄利多売のようになりサービスが薄くなる

もちろん、全部が全部、そうなるわけではありません。

ただ僕という人間は一人しかいませんので、英語を教えるとなりますと、YouTubeで授業の動画を撮ったりしなければなりません。(別にそれでもいいのですが)

僕は「相互的なやり取り」が好きですので、今やっているオンラインの授業や、先日オフラインでやった「音楽の聞き取り&書き取り」などは、少人数相手なので好きだと感じました。

数にこだわるということは「=有名になってゆく」と、ほぼ同義だと思っています。

そうではなく、ローカルにサービスを提供することを求めていくこと。

数にはこだわならいのです。

何かを始めた時ほど、数にこだわらないようにしていた。有名になることを目指すことが目的ではないからだ。

近くの人に与えていくこと

これは僕の生き方のテーマの1つでもあります。

人それぞれ、求めるものが違うかと思いますが、生徒たちや友人たちと話していますと、そうやって話ができるほうが、僕にとってはありがたいのです。

なぜなら、僕の生活費はすでに最低限のものとなっていて、やっていくのならば、

  1. 少ない人数で
  2. 単価を上げていくこと

で十分だからです。

旅が終わってみますと、

できる限り多くの人に伝えたい!

という気持ちがある一方で、「聞かれたら全力で教える」というスタンスをとるようになりました。

YouTubeやブログで、

読みたい人、知りたい人はどうぞ

という体制は、すでにできあがっているからですね。

人数を求めているわけではなく、僕のこれらの「発信」は、あくまでフロントエンドでしかありません。

もし、

話を聞きたい
授業を受けたい

という人がいれば、そこでお金を発生させるくらいでいいのです。

ただ、「自分の単価を上げていくこと」に固執しすぎて、

誰からでもお金をとってやる!

という気持ちになってしまうことは、僕の精神に反します。

自然と、

せいじにならお金を払ってもいい

と思わせられれば、それでいいのです。

もっとビジネスを考えなければダメだ。考え方が甘い

と言われるかもしれませんが、僕はこれが本質だと思っています。

徐々に単価を上げていく発想も、この発想に近いからです。

僕はまだ始めたてだから、とりあえず「僕」という人を知ってもらって信頼性を上げることが大切なことなのかなと。

近しい人から始めていけばいいですし、そこから少しずつビジネスにしていけばいい。

そばにいる人を幸せにすることができなければ、多くの人に価値を届けることなんてできないのです。

近くの人に与えていくことは、ずっと僕がしたいことであり、し続けてきたことだった。

日本全体に目を向けすぎない

近くの人だろうが、初めて会う人だろうが、

  • 全力で英語を教えたり
  • 世界旅行について話したり
  • 人生を変えるためにしてきたことを伝えたり

しています笑。

ここ数年で気づいたのですが、

  1. 自分で経験して
  2. それを伝えていくこと

が、僕はとても好きなようです。

もともと数にはこだわっていなかったのですが、それと相まって「情熱」を伝えていくことが、結果的に信頼を得られることにも繋がりました。

特に初めて会う人に対しても、

  • どうして職を辞め
  • どうして世界一周をし
  • どうして現代の日本の教育に携わりたいのか

を、事細かにお伝えするようにしています。

それだけでも、

もっとこの人の話を聞いていたい

と思わせることができるからです。

もちろん、その人からお金をとりたくて情熱を注いでいるわけではありません笑。

結果的に僕を選んでくれるかどうかは、その人が決めることだからです。

そうして「自分の周りに人を増やしていくこと」は、こんな僕にもできることでした。

先生になった当初は、

日本の教育を変えるんだ!

と意気込んでいたわけですが、教育の自由度のなさから「限界」を知りました。

先述した通り、目の前の人からの信頼がない人は、日本どころかそこら辺の街だって変えることはできません。

若い頃は、大きな視点ばかり持っているように見えて、本当に大切なものが見えていませんでした。

今でも友人たちと話す時は「世界の話」を引き合いに出しますが、それは決して「日本がダメだ」と言いたくて、例に出しているわけではありません。

  1. 日本という全体を見ていながらも
  2. 同時に近くの人の役に立っていくこと

が大切だと思うのです。

視野が広いことはいいことですが、一方で実際は「近くから攻めていく」といった感じでしょうかね。

日本が変わって欲しいから、近くの人に全力を捧げる。

一見矛盾しているようで、実はとても理にかなっているのかもしれませんし、近道なのかもしれません。

それがわかるのは、数年後なのでしょうけれどね笑。

でも急いで着手していきます。

ワクワクしてきますね。

日本全体を憂うことは悪いことではないが、目の前の人に全力を注ぐことが、回り回って日本を変えることになるのだ。

おわりに

僕の生き方や働き方は、僕自身が好きな働き方です。

確かにSNSやネットで多くのフォロワーをつけることは、ビジネスの基本なのかもしれません。

でも僕は、そこに溺れすぎてしまうこともよくないのかなと感じています。

  1. 本当に大切なことを
  2. 近い人に全力で教えること

だけでも、十二分に人のためになっていますし、僕のできる最大限のことなのかなと思っています。

日本全体を考えるからこそ、自分の近い場所から攻めていきましょう。

それではまた!

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