こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、「リベフェス」というものに参加させていただきました。
その時も、
「このような場があることを、当たり前だと思ってはいけない」
と痛感させられました。
最近、本を読んだり旅をしたり、多くの人と出会ったりしていることで、
- 人との繋がり
- 日本各地のインフラが整っていること
- 生きていること
などをより強く意識し、感謝するようになりました。
若かりし頃の僕は、生きていることが当たり前だと思い込んでおり、
「世界の中心は、自分なのではないか?」
と、勘違いも甚だしかったことを覚えています笑。
今日は感謝することもさることながら、
- 当たり前だと思わないことで得られること
- それによる心境の変化
を書いていき、みなさんのお役に立てたらと思います。
もらうことが当たり前だと思っていると…
この世に生まれ落ちてから、その奇跡はスタートしています。
こう言いますと、
「いよいよすずきも、スピリチュアルなことを言い始めたぞ」
と言われそうですが笑、この考え方が「ある」のと「ない」のとでは、幸せに大きく差が出てきます。
以前の僕を例にとってみましょう。
実家暮らしをしていたときは、
- ご飯が出てくるのが当たり前
- 洗濯物を洗って干して畳んでもらうのが当たり前
- 親に家賃を払ってもらうのが当たり前
- 学校に行くのが当たり前
と、「当たり前のオンパレード」でした笑。
確かに、
- 「子どもを育てていくことが親の責任だ」と言う人もいますし、
- 何より子どもが可愛くて「何でもしてあげたい」と思うもの
です。
しかし、親の気持ちは横に置いておいて、その環境や状況に感謝できるかどうかは本人次第です。
得てして、若い頃はそのありがたみに気づけないものですけどね。
実はこの「何事も当たり前だと思ってしまうこと」は、大人になっても続いていきます。
ある程度身の回りのことが自分でできるようになってきますと、再びその感覚が麻痺してしまうからです。
- 働いているのだから、お金をもらえて当たり前
- お金を払っているのだから、サービスが受けられて当たり前
- 自分がこれだけやったのだから、見返りがあって当たり前
以前の僕も感謝することができずに、「何かを受け取ること」が当たり前だと思っていた時代がありました。
それは裏を返せば、「自分はこれだけ与えているのだから」という気持ちがあることに他なりません。
しかしこの気持ちは非常に危険でして、
- 相手への過度な期待
- 「クレクレ星人」化
- 感謝できなくなる
と言った結果を生み出します。
これによって、
- 期待に達しない、不十分な見返りへのストレス
- いつでも精神的に渇いており、次を求めてしまう
- 単純に最低な人間になる笑
と、デメリットは計り知れません。
そこから抜け出すために、僕もだいぶ長い時間を要しました。
- 本を読む。
- 実際にGIVEしている人と出会う。
特に「本を読むこと」によって、僕は大きな変化を経験しました。
- 自分の考え方の狭さを知り、
- 偉大な人たちの素晴らしい価値観に触れる
ことができたからです。
まずは、身の回りにあることを当たり前と思わないこと。
ここが僕たちの出発点です。
すべてのことは、当たり前ではないと思っておく
身の回りの全てのことが、「当たり前のことではない」と思えるようになりますと、感謝できるようになります。
またそれ以上に「耐性」がつきまして、
「おおらかで、ストレスフリーな生き方」
ができるようになります。
「耐性」がついていない、日常の例をあげてみましょう。
- 「電車が時間通り来るのが当たり前」だと思っていると、そうならない現実にイライラして、「ふざけるな」という感覚になる。
- 牛丼を300円で食べることができた時より値上がりすると、「高い」と思うようになる。
このように身の回りでは、小さなことでも「なんでよ?怒」と思うことは無数にあります。
それは自分にとって、それらのことが「当たり前」だと思い込んでいるからです。
逆に、
- 「電車なんて遅れることもあるでしょ」
- 「むしろ今まで牛丼が安過ぎたんだよ」
と思うことができますと、イライラもしなくなりますし、今までの「ありがたさ」に気づくことができます。
生活で抱えるストレスの多くは「人間関係」だと言われていますが、世の中に対して「当たり前」や「期待」という感覚を持つこともまた、ストレスフルな生き方を助長すると思っています。
「世間」に対して当たり前だという感覚を持っていることは、すなわち「人間のやること」全てに対して当たり前だと思っているということだからです。
日本の電車だって、遅れます。
それは、
- 事故が起こる時もあるし、
- ミスがある時もあるし、
- 不備がある時もある
からです。
逆に「時間通りに来ている」ということは、
- 裏で必死で努力している人がいる。
- ミスのないように何重にもチェックがされている。
- 多くの人たちが規律に従って働いている。
など、多くの努力によって実現しているということなのです。
これって、すごいことじゃないですか?
当然のようにサービスの提供ができている時点で、ものすごい努力やお金がかかっているのです。
- この点に気づけますと、世界の見方が変わります。
- 世界の見方が変わりますと、自分が変わります。
- 自分が変わりますと、世界へのアプローチの仕方が変わります。
ストレスもなくなり、優しくなれたことで、僕はどのように生まれ変わったのでしょうか。
人に「当たり前」を提供するようになる
- 本や人から刺激を受けて考え方が変わる。
- 受け取ることが当たり前でないと気づく。
- ストレスがなくなり、耐性もつく。
- 感謝できるようになる。
- 人として優しく、おおらかになる。
ここに行き着くまで時間はかかりますし、根本のところ(1番のところ)が腹落ちしていないと、「2→5」というプロセスにも疑問が残ります。
まずは「自分の考え方の根本」が変わることが大切だということですね。
さて、「5」番の境地まで行けばもう十分だと思いますが笑、僕は「当たり前を当たり前でない」と思った後に、自分も当たり前のように何かを提供したいと思うようになりました。
「返報性の原理」ってやつですね笑。
小さなことですと、
- 何事にも「ありがとうございます」と必ず言う。
- 感謝の意として何かをあげる。
- 宿泊施設では必ず「お掃除ありがとうございます」とメモを残す。
などです。
少し時間と労力がいるものであれば、
- みんなが集まれる場を提供したり企画したりする。(ダンス/英語/サウナ/お茶会)
- 英語やダンスを教える時間をとる。
- 後輩や教え子と飲みに行く。相談に乗る。
でしょうか。
本当に大したことないことばかりなのですが笑、少しでも「何かを与えたい」と思うようになれたことは、今までの人生においては考えられなかったことでした。
みなさんにも、
- 何かすでに与えているもの
- 何か与えたいと思うもの
があるはずです。
それによって世界は循環し、「受け取ること/与えること」が交互に繰り返されています。
ですから、ご自身の「GIVEしていること」に誇りを持ちましょう。
一方で「受け取ること」ばかりに慣れてしまいますと、そこで循環がストップしてしまい、自分だけその「循環系」の外に放り出されてしまいます。
逆に「息をするように与える人」には、
- たくさん人が集まり、
- 感謝し感謝され、
- 幸せが満ち溢れます。
僕が求めていた「幸せ」は、ここにあると思っています。
- 受け取っている自分に気づけたなら、
- 当たり前と思わずに感謝をして、
- 行動でGIVEを示していく。
感謝することができるようになってからGIVEをしますと、感謝されることに快感を覚えるようになります笑。
今度は「当たり前ではないこと」を、「当たり前」のように提供していくようになるということです。
もちろん「自分のできる範囲内で」というところがポイントですね。
こうして「GIVEすること」ができるようになりますと、
- 周りから感謝されて自分も幸せになり、
- 世界の一員であることを感じるようになり、
- 使命感を持つようになる。
- 人間関係が良好になって、
- 結果的に受け取ることが多くなり、
- それをまたGIVEに回す。
という「最高のサイクル」が完成します笑。
僕が目指すところはここです。
そのためには、「感謝→GIVE」を小さくでもいいから回すこと。
そして感謝をする前に、当たり前であったことを今一度、見返すこと。
すると、世の中がいかに人々の努力で回っているのかに気づくことができるのです。
おわりに
当たり前を当たり前と思わなくなったのは、
- 本を読み、
- お金の勉強をし、
- 人生について考えたから
でした。
実は「人生のヒント」は世の中に無数にあふれており、あとは自分がそれを手に取るタイミングがあるかどうかです。
僕は2020年あたりから、新しい「出会い」に恵まれ(もちろん今までの出会いも素晴らしいものです)、考え方を「180度」変えることができました。
しかし、
- 「受け取ってばかりいる自分はダメだ」と自己否定したり、
- 自分を卑下したりすること
は何も生み出しません。
受け取ること自体は、別に悪いことではないからです。
僕にも「受け取っていただけの時代」がありましたし、感謝の「か」の字も知らないクソガキだった頃もありました笑。
それに気づけるかどうかはその人の人生の、ここぞというタイミングで回ってきます。
そのタイミングを逃さず、気づけたなら、あとは少しずつ前進するのみです。
それまでは受け取る期間があることも仕方のないこと。
自分が成長したら、また返していけばよいのです。
僕もまだまだ前進中です。
当たり前を当たり前と思わず、今日という日を迎られたことに感謝して1日を過ごしていきましょう。
それではまた!
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