こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
ブラジルからブエノスアイレスに来てみますと、あいにくの雨。
雨といっても土砂降りレベルで、海外付近の空港は荒れ狂っていました笑。
大きな壁とは、乗り越えるためにやってくる。
かつてイチロー選手がそんなことを言っていました。
土砂降りだろうとなんだろうと、僕は前に進んでいくしかありません。
人生、雨の日だってありますが、それでも進んでいくのが時間であり、人生。
今日は「雨の日もあるけれど前に進んでいく」ということについて書いていきます。
雨の日は必ずあるという事実
まず人生において、「いつでも晴れる」ということはありません。
僕の旅は223日目を迎えていますが、毎日毎日良い天気だったわけではありませんし、絶景と呼ばれる場所でも曇天だったり、雨だったりしたものでした。
それでも後悔がないのは、
と割り切っていたからだと思います。
人生において「雨の日」は必ずあり、それは僕ら小さな人間がどうこうできるものではないのです。
若かりし頃の僕は、
と泣き崩れてはイラ立っていました笑。
- どうしようもない事実を
- どうにかしようとすること
は、何も生み出しませんし、時間のムダです。
そこに気づくことができて、かつ受け入れられるようになるには、僕には時間が必要でした。
いろんな書籍を読む中で、「嫌われる勇気」の「課題の分離」が僕には刺さりました。
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これが意味するところは、
「他人の課題は他人のものであり、自分にはどうにもできないもの」
というものですが、人だけでなく天候などの「大きな力」にも言えることなのだなと感じました。
雨の日はあり、雨の日にその場、その土地にいることだって当然ながらあります。
この旅では、雨に当たることは少なかったとはいえ、
と受け入れながら旅をすることは、僕にとっては必要な姿勢でした。
この「受け入れる姿勢」があることで、
- 旅も
- 人生も
気持ちのいい日を過ごすことができます。
先日は土砂降りで「おいおい笑」と思ったものですが、それはそれでいい経験だったということ。
受容して生きていくことができるかどうかが、大切なのですね。
どう気持ちをもっておくかが大切
- 雨の日
- ついてない日
のメンタルとは、誰だってボロボロになるものです。
北欧諸国の冬は、暗い時間が長すぎて病んでしまうというのも、有名な話ですよね。
ここで、
と思えるのは、「精神が強いから」ではありません。
僕だって環境がしんどければ、どこかで参ってしまいます。
大切なことは、次に来る「輝かしい日」を意識すること。
「ま、こういう日もあるよね」という気持ちだけではなく、山もあれば谷もあり、その繰り返しが人生であると意識を持つこと。
数十年、いや一年でもこの「地球上」で暮らせば、いかに一年が様々な状況の日々の連続かがわかります。
最高の旅日和に仕事をするような残念な日だってありますし、「自分って本当に運がいい!」と感じるような「思いっきり幸せな日」だってあります。
僕の場合は、「次に来る輝かしい日」を意識していることも確かにあるのですが、
と、ある意味「何も考えていない」のかもしれません笑。
でもその事実に気づくことで、「しんどい」と思っていたはずの日も、
と感じることができるようになります。
その「波」の繰り返しの中に、自分という存在は置かれているのであって、その流れに身を任せるしか方法はないのです。
抗(あらが)おうとすればするほど、うまくいかないのが世の常です笑。
どんな雨の日も嵐の日も、進んでいくのが人生。
無理やりメンタルを保とうとするのではなくて、もっと大局的に世界を見ること。
大きな地球(世界)の中に、自分はいるということ。
その事実を知っていれば、特別やることはないのです。
そのあとは必ず晴れる
状況を受け入れることができますと、その状況を楽しむこともできます。
どんな状況にいようと、今目の前に見えている景色こそが「本物」であり、まさに今カラダで感じている「生(せい)」なのです。
と思えれば、しめたものですね。
僕がこう思えるようになったのは、次に来る「輝かしい日」を、無意識のうちに信じられるようになっていたからだと思っています。
ちなみに今回経験した「土砂降り」の次の日は「快晴」となり、温かな朝日が差し込む中、こうしてブログを書いています。
「台風一過」という言葉もあるように、その次の日の天気の良さと言ったら、異常なほどに美しかったりしますよね。
路面の水滴に太陽が反射してはキラキラと輝いて、まるで「よく耐え切った!」と言われているかのようです笑。
もしかしたら、人によって「嵐の期間」はとても長いかもしれません。
ずっともがき苦しむような、そんな鬱屈とした日々が続くような、「耐え忍ぶ期間」もあるかと思います。
それでも旅や人生には「波」がつきものですから、それらの波を受け入れて流れていくしかありません。
そして何より、こうして「晴れの日」は一年を通して必ずどこかで訪れます。
信じるもなにも、そういう「事実」なのです。
もちろん、世界を旅してきた僕は、「本当にどうしようもない環境」に身を置いている人たちを、この目でたくさん見てきました。
「波がある」と思えている時点で幸せ者なのかもしれませんが、それもまた「配られたカード」だと思うしかありません。
一度でもそうした「美しい日」を経験することができれば、そちらに寄っていくほうが得策です。
いわゆる「ポジティブな考え方」ですね。
そんな日を待ち望むだけでなく、できる範囲で行動していくこと。
雨の日なら、雨の日なりに進められることもあります。
その後の美しい日を想像して、雨の日もまた楽しむのです。
おわりに
海外で何度か経験した「雨」の日。
雨はもともとキライでしたが、今思えば「雨の日がキライだった理由」とは、どうしようもないことをなんとかして変えようとしていたからでした。
人生は山あり谷あり。
晴れの日もあれば雨の日もあります。
旅であればそれはなおさら。
何が起こるかわかりませんからね。
それでも美しい日々を経験した僕からすれば、それが楽しみで旅をしているようなもの。
本日は晴天なり。
雨の日も楽しみながら、旅を続けていきたいと思います。
それではまた!
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