見返りを求めるなら与えないほうがいい【全ては自分のために】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

先生ですと、「何かを人に教える」ことに生きがいを感じます。

最近では、英語初心者の方々に英語を教える機会に恵まれ、資料作成が面白くて仕方ありません。

さて、そんな「何かを教える」ことが大好きな僕でも、魔が差すことがあります。

GIVEすること」を覚えた男が、以後気をつけようと思ったことは何か。

書いていきます。

見返りを求めるのならば、最初からGIVEしないほうがいい。そのGIVE自体が無効化してしまうからだ。

見返りを求めてしまった時

この1年でだいぶGIVEすることを覚えた僕ですが、たまに「見返り」を期待してしまっていたことに気づいてしまいました。

逆に言えば、それまでの1年は息をするようにGIVEしていたということです笑。

以前の僕からは、考えられないほど精神的に豊かな状態になっていたのでした。

しかし人に「与えて」いるとき、ふと考えてしまうこともありました。

自分は果たして何をしているのだろうか?

ただ、これはごく自然な感覚だとも思っています。

  • 以前は「あり過ぎた」感覚であり、
  • 最近は「なさ過ぎた」感覚でした笑。

人間ですから、他人の反応を期待してしまうことは仕方のないことだからです。

それでも「そう思ってしまった自分」に、罪悪感が残っていました…

なんてことを考えているんだ!

と。

そう思ってしまうことは悪いことではないはずなのに、どうしても見返りを求めた自分のことが情けなくなったのです。

見返りを期待しながら与えている時ほど、その時のGIVEが無効化したような感覚になりました。

せっかく気持ちよく与えたはずなのに、逆にやりきれない。

これはいけない

こんな形でGIVEするくらいなら、GIVEしないほうがマシです。

今までこんな気持ちになったことはなかったため、今回しっかりと向き合ってみることにしました。

見返りを求めてGIVEした時は、相当なショックだった。GIVEしたことが、一瞬になって無効化したからだ。

見返りを求めていなかった時の自分を思い出せ

では、自分が見返りも求めずにポンポンと与えていた時は、どのような感情だったのでしょうか。

  1. 与えることが楽しかった
  2. 考えている暇もなかった

この2つの要因があったと思っています。

与えることが楽しかった

与えることを始めた当初、慣れていなかったこともあって「違和感」はありました。

しかし慣れてきますと、与えることが楽しくて仕方なくなったのです笑。

その時は「思考の転換点」でもあったため、純粋にGIVEできていたのでしょう。

何事も「始めたて」が楽しいように、ものごとのスタートというのはやっていることに夢中になれます。

  • おごる
  • お土産
  • プレゼント

など、お金という即効性のあるものとはいえ、周りの人の笑顔を見ることができて嬉しかったのです。

また、自分が「見返りを期待していないで与えている」という感覚にも、清々しさを覚えていました。

ただ、お金でササッとGIVEできるものとは違って、

  • 準備
  • 時間
  • 苦労

を伴うものは、少し感覚が違っていました…

人の仕事は、「タダ」ではないのだと思ったからです。

それでも、見返りを求めることは「勘違い」だと思っていました。

だって、

自分が好きで、自分のためにやっている

のだから。

その感覚に行き着くことで、また「純粋にGIVEすること」ができるようになりました。

考えている暇もなかった

特に与えることを続けていますと、言い方は悪いですがイチイチ与えたことを覚えていません

すずきさん!この前はどうも!

と言われても、わざと「知りません」と返したわけではなく、

なんでしたっけ?

と、思考が次のGIVEへと移行していたために、本当に思い出せなかったのです。

「次へ次へ!」と考えている間は、その瞬間にもらうはずの「感謝」は、時間差でやってくるのです。

この前のあれ!ありがとうございました!
あ、え?どれのことですか?

という具合でしょうかね笑。

最近ですと1つのGIVEに時間がかかってしまい、その分、次のGIVEまで待ってしまっている時間がありました。

人間、余裕がある時ほど、いろんなことを考えてしまうものです。

そのため、

ふぅ〜…(なんかないかな?)

と思ってしまったのでしょうね。

逆に言えば、

次は何を与えようかな?

とワクワクしていれば、「見返り」を求める暇さえなくなるのです。

あーだこーだと考えている暇があったら、次のアクションのことを考える。

そうすれば、心からGIVEすることができるのですね。

考える暇もないくらい、与え続けよう。待っている時ほど、厄介な思考が邪魔をしてくるからだ。

自分のために

見返りを意識しないで与えている時は、

全てが自分のためになっている

と思えていました。

たとえお土産をあげる程度のことだとしても、「相手のために!」という感覚より、

喜んでくれている相手のことを想像して、幸せになっている自分

を思い描いていたものでした。

見方を変えれば、

  • 自己中心的な考え方
  • ちょっとした自己満足

とも捉えることができますが、少なくとも「見返り」を求めることはありませんでした。

時間をかけて授業準備をしている時も、

  • 授業をする機会をもらえて、自分のためになっている。
  • みんなが楽しんで授業を受けている場面を想像して、ニヤニヤする。

このような時のほうが、自分のためとはいえ純粋に楽しかったのです。

要は、相手のためにやっているという感覚よりも、長い目で見て自分のためになっていると思っていたほうが、よりGIVEを楽しむことができていたのでした。

賛否があるかもしれませんが、自分のしている「GIVE」に違和感を持たないようにするためにも、今後のGIVEの時には気をつけたいと思っています。

なんだかんだで「自分のためになっている」と思ってGIVEをすると心地よい。相手のことを考えながらも、自分が幸せになれるGIVEを目指そう。

おわりに

時間をかけて何かを与えますと、

これだけ準備したのに!

と思ってしまうことがあると思います。

それは明らかに、相手からのバックを想定して準備しているということになります。

そういう時ほど、得てして見返りが少ないものです笑。

いい意味で、何も考えずに(考える暇もないくらいに)与えているほうが、実は心地よいのです。

変に意識し過ぎてしまいますと、

俺は一体何を…?

と思ってしまいますからね笑。

どんどん与えつつも、ただ身を削っている感覚ではなく、

自分のためになっているんだ!

と思って(あるいは実際にそうなるように)与えてみましょう。

きっと状況が好転すると思います。

それではまた!

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