こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、再びルームメイトと会話をしました。
彼は台湾出身で、僕と同じように仕事を辞めてインスタで活躍していました。
彼と話をしていますと、
と、「星の王子さま」から引用をしてくれました。
“It is the time you have wasted for your rose that makes your rose so important.”
君が薔薇に費やした時間が、君にとって薔薇をとても大切なものにするんだ。
今日は「僕が育てているバラ」について書いていきます。
自分のバラを持っておくこと
僕は「何かを愚直に続けること」しかできません。
それでも、そこに間違いを持たずに続けることができているのは、それが好きだからであり、愛を注げるものだからです。
僕は9年間、学校の先生を続けましたが、そこに「愛」がある一方で、納得できない部分もありました。
だからこそ、「辞める」という決断に至ったのだと思います。
この考えは、以前では「甘え」だと捉えられていました。
しかし現代となっては、
- 好きなこと
- 情熱を注げること
を始めて、楽しんで生きていくことにフォーカスが当たるようになってきました。
一度きりしかない人生を、
と昭和の考えを持ち続けていては、何も進まないからです。
こうして自分の人生について考え直すことは、みなさんにとっても大きな意味があると思っています。
大して好きでもないものに時間を割いているほど、人生はそう長くないからです。
それなら、
「自分が情熱を持って取り組める、何かを見つけること」
が最優先事項であり、そこで初めて話はスタートします。
それがみなさんにとっての「バラ」であり、それがあるおかげで人生は豊かになっていきます。
そのバラに費やす時間が、かけがえのない時間となるからです。
まず初めに、
もう一度その点について考えてみた上で、今を生きていきましょう。
バラに水を注ぐこと
さて、「自分のバラ」を見つけましたら、そのバラに水を注ぐこともまた、バラを育てるための重要な作業になります。
「星の王子さま」の名言でも、「バラに費やした時間」についての言及がありましたよね。
“It is the time you have wasted for your rose that makes your rose so important.”
君が薔薇に費やした時間が、君にとって薔薇をとても大切なものにするんだ。
僕はこのブログを通して、「続けること」をよく言葉にしてきました。
確かに「愚直に」続けてきたことが多いのは間違いありませんが、だからと言ってそこに「愛がないか」と言われますと、そんなことはありません。
先生を辞めた時には、生徒や同僚、教育自体に愛を注ぐことはできていても、
と感じたために、「愛を注ぐ対象」を変えただけでした。
愛を与える対象がはっきりしたら、あとはそこに全力で愛を注いでいくこと。
これに尽きます。
ルームメイトと話していた時に、
と言われました。
まさにその通りでして、
と、はっきりと言うことができます。
愛を注ぎ続けることは、時に難しいことのように思えます。
ただそれでも、そのバラのことを本当に好きでいるのならば、
- 手入れを忘れず
- 精一杯愛してやること
だと思っています。
特にわかりやすいのは、僕の場合は「生徒」や「友人たち」でした。
人でも物でも「自分が好きでいるもの」に対しては、ケアを怠ることはしないものです。
もし「水を注ぐこと」それ自体に嫌気が差したり、何かが間違っていると感じたのならば、それは僕が、
「先生という職業に対して抱いた違和感」
と一緒なのだと思います。
違和感を覚えることなく愚直に、誠実に愛を注げる対象であるのならば、とことん愛を注いでみることです。
そうして与えた「愛」が、どこまで自分に返ってくるのか。
それは水を、愛を、与えた「あなた」にしかわからないことなのです。
意味のあるものにしてゆくこと
バラに水を注ぎ始めた時は、必ずと言っていいほど反応がないものです。
その「小さな芽」からは見返りなんてないために、水をあげたくなくなってしまいます。
しかしそこに費やしたその「時間」が、目の前のバラを「美しい花」へと成長させていきます。
僕は去年の2022年、「水を与えること」をテーマにして、
- 自分の好きな人
- 自分の好きなこと
に、ひたすら時間を費やしてみました。
特に教育の分野では、生徒に愛を与えれば与えるほど、最後に生徒は必ず「何か」を返してくれました。
何度も言っていることですが、「見返りを求める愛の与え方」は、必ずと言っていいほど最終的に何かを受け取ることはできません。
ただ好きなことに対しては、「無償で」愛を与えられるものです。
すると注いだその愛の分だけ、時間の分だけ、多くを受け取ることができるという事実に、僕は気づくことができました。
- 自分のバラを見つけることができたら、そこに愛を注いでいくこと
- その費やした時間が、バラを意味のあるものにしていくということ
僕はこの事実を、身をもって体験したからこそ、その真意がよくわかっています。
バラがまだ意味を持たない時ほど、水を与えたくなくなってしまうものですが、最後に「意味のあるもの」となることがわかっていれば、水を与え続けることができるのです。
「意味のあるもの」とは、「見返りがあること」とは大きく異なります。
水を注ぎ続けた先に、「自分にとって」意味があるものであるということ。
大切なのは、
- 時間をかけて
- 水(愛)を注いで
世話をしていくことです。
1日でバラが花開くことなんてありません。
花が開いたときに、そこに現れる「意味」とは、時間を費やしたその人にしかわからないものです。
最終的に「意味のあるもの」にしていくために、今ある時間を目の前にある「バラ」に費やしていきましょう。
おわりに
ルームメイトの彼とは、歳が近いこともあってか、多くの深い話をすることができました。
彼からもらったこの言葉は、今まで僕がやってきたことについてもそうですが、それ以上に、
「これからの僕の背中を後押しする言葉」
でもありました。
僕も彼の成功を信じていますし、何より僕自身も自分のバラを「意味のあるもの」にしていくために、目の前にあるバラを大切に育てていこうと思っています。
それではまた!
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