こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日からフランクフルトに入り、ヨーロッパでは2人目の知人に会うこととなりました。
それが、僕にダンスを教えてくれた「先輩」でした。
旅の当初の目的から少しずつズレ始め笑、
「世界に転々としている知り合いたちに会いに行く」
という旅になりつつあります笑。
こうしてドイツでお会いすることができて感無量と言いますか、いつでも人と会う瞬間は、
と思ってしまいます。
今日は「お世話になった人に会いに行く」ことについて書いていきます。
ダンスを教えてくれた人
僕がダンスを始めたのは15年前の19歳。
アキレス腱を断裂してからの挑戦でしたが、先輩と出会ったシーンを今でも鮮明に覚えています。
その時はダンスのことは全くわからなくて(初心者なので当然笑)、その割に、
みたいな舐めたことを言っていました笑。
しかしその出会いから2年間、サークル内でたくさんのことを教えてくださいました。
一緒にいろんなところに行っては、飲んでダンスをして話をしました。
今思い返しても、
と感慨深くなるものです。
僕にダンスの楽しさを教えてくれただけではなく、
- 人として何がかっこいいのか
- 人とどうやって付き合っていくのか
を教えてくれたのが、この先輩でした。
彼から教わったことは計り知れなく、お互いサークルを卒業した後でも、日本でたくさんのイベントに参加していました。
誰にでも、そうした「メンター」的な人はいるかと思います。
僕にとっての「人生の指針」となってくださった先輩。
彼がたまたまヨーロッパに駐在しているため、こうした感動的な出会いとなりましたが、逆に言えば日本にいたらなかなか会えなかったのかもしれません。
いずれにせよ、こうしてドイツでお会いできたことは、僕にとっても最高の瞬間となりました。
お世話になった人に、時間をかけて会いにいくこと。
今まさに、信じられない時間を過ごしていることを実感しています。
人に会いに行くことの難しさ
「ヨーロッパ」という物理的な遠さがあるのは仕方のないことですが、やはり誰しも、
と言いながら、なかなか会いに行けないのが現状です。
先に言っておきますと、それが決して悪いことではないということです。
家庭の状況やそれぞれの背景もありますから、僕が「異常値」なだけです笑。
僕自身もたまたま、
- 独り身である
- 職を辞めている
- 世界旅行をしている
という、いろんな条件が揃ったおかげで会いに行くことができただけであり、人に会いに行き始めたのは、本当にここ数年のことでした。
先輩もたまたまヨーロッパにいただけであり、
というご意見もあるかと思います。
ただいろんなことを差し引いても、やはり人に会いに行くことは難しいことなのだなと実感しました。
僕自身もこうして、
- タイミングが合ったり
- いろんなことから自由になったり
したおかげで、世界中を旅することができています。
日本国内ですら、
と言ってしまう人は多いですしね。
これについて考えることは大変なことですし、できるならばやりたくないものです。
僕もこの旅自体を「人に会いに行くこと」を主の目的とはしていませんでしたが、「時間がある」ということはとても強い武器になるということがわかりました。
その分、いくらでも柔軟に対応することができるからです。
人に会いに行くことは、実際本当に難しいことです。
それでも、
- 多少のお金
- 多少の時間
があればできること。
そして何より、それを実行しようという「決断力」。
去年(2022年)、僕はそれを(ある程度は笑)証明することができました。
その舞台が日本であろうと世界であろうと、変わることはありません。
難しいことでもやり抜いていくからこそ、相手にも喜ばれます。
「人に会いに行っている自分」を持ち上げて、偉ぶるわけではありません。
自分なりに難しいことを実行できていますので、それが僕にとっては嬉しいことなのです。
お世話になった人に伝える感謝の形
「ありがとう」という言葉は、本当に深い意味があるものです。
僕も今、人に会いに行ってはいますが、特に手土産も持たずに「ただ寄っているだけ」です。
当初の僕は、
と思っていたものですが、旅をしていますとそれが重要なのではないのだということに気づきました。
もちろん「おごってもらうことありき」で会いに行くのは、ちょっと違うと思います。
僕は動画にはしていませんが、若い人たちに会う時は(わずかですが)おごるようにしていますしね。
とにかく、「そこが論点ではない」ということです。
去年(2022年)、国内でいろんな人に会いに行っていた時は、余裕もあってか必ずと言っていいほど何かを買って人に会いに行っていました笑。
まるで呼吸をするかのようにお土産を買っていましたが、今は荷物が多く持たずに移動していますので、そうしたことはなかなかできません。
それでも、会う人会う人には必ずと言っていいほど「感謝」をされました。
と。
僕は「ただ世界を回っているだけ」という認識があったのでしたが、世界に住む人たちからすれば、来てくれただけでも嬉しいようなのです。
それはお金でも、お土産でもなく、ただ、
「僕という身を持って、その人に会いに行くこと」
でした。
感謝とはしてもし切れないものでして、それをどのように伝えるかは、
と思っています。
僕は、
- 僕自身が一所懸命生きて
- みなさんの前を走り抜け
- 何か力を与えられる存在であり続けること
を目標にしていますし、それが僕なりの「感謝」でした。
すると、今度は逆に「感謝される」という変な現象が起こります笑。
たくさんもらっていたからこそ、たくさん感謝を伝えていきたい。
しかしそのほうがまた、感謝されるというサイクルに入ります。
先輩に対して直々に「ありがとう」を伝えに行ったわけではありませんが、「会いに行くこと」がまた1つの感謝の形だと思っていました。
すると先輩から、
と言われました涙。
大切なのは、形とかモノとか、お金にこだわることではなくて、いつの時代も「心/人柄」だと思っています。
もらうことを「当たり前」と思っている人は、いつまで経っても感謝することはできないでしょう。
それらが当たり前のことではないと感じていれば、それは自然と態度に出ます。
その姿勢が、「感謝の形」となるのです。
おわりに
いろんなタイミングがあって、こうして人と会うことができている旅。
確かに「感謝を伝える旅」でもありましたが、逆に感謝されるという嬉しい旅になりつつもあります。
去年(2022年)からずっとテーマにしている「人に会うこと」。
これもまた感謝の形の1つですね。
僕は僕なりの形で、これからも旅を続けていこうと思います。
それではまた!
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