こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近、埼玉に越してからの僕の人生は、教員時代よりもハッピーな状態となっています。
あれはあの時代でとても楽しかったですし、いまだに同僚たちと一緒にBBQをしたりと、いい関係を保ちながらたまにあの頃の話をします。
ここ最近は嵐がやってきて風も冷たく、体調を崩す人が続出していましたので、久しぶりに夏日を迎えますと、
と、空を見るだけで幸せを感じます。
今日は「小さな幸せ」について書いていきます。
鬱屈としていた時間
何度か記事にしていますが、僕はコロナ禍の時にかなり荒(すさ)んでいました。
離婚する直前でもありましたので、全てがうまく行っていませんでしたね。
そもそもコロナ禍前の生活でも、
と考えたこともなく、漫然と毎日を過ごしていました。
その時は、
という漠然とした思いがあって、その「見えない幸せ」を探して暗中模索しているような、そんな毎日でした。
そうなりますと、もがいて悪循環に陥(おちい)ってしまうように、どんどんとネガティブの沼にハマっていきました。
幸せを追い求めるほどネガティブになるとは、皮肉なものです。
大きな幸せ(=ずっと先にあるもの)を探している時というのは、目前の目標には目がいかず、どうしても先を求めて躍起になってしまうからですね。
それが祟(たた)ってか、僕はいろんなものを失ってきました。
近くにあるはずの「小さな幸せ」に気付けないと、人にも当たるようになり、
と「世の中のせい」にし始めます。
僕が鬱屈としていた当時は、
- どこにも抜け出せないような
- 袋小路にハマってしまったような
そんな感覚がありました。
「自分にとっての幸せ」がわからない人、模索している人は、いつまでもツラい思いをするだけでなく、目の前にある輝きを逃してしまうこともあります。
だから僕は、このブログを通して、
と考え始め、それが僕を幸せにしてくれました。
それは「遠い幸せ」を探しにいこうとせずに、「日々に転がっている幸せ」とは何かを探す旅となったからでした。
小さな幸せに気づけるようになったこと
僕の最近の生活なんて、先生をやっていた公務員時代とほぼ変わりません笑。
たまにする贅沢だって高が知れていますが、それだけでも「幸せ」を十分に感じています。
特に最近ですと、
と、
- 沈む夕日に感動したり
- 日中の日差しに感動したり
しています笑。
教員時代も、
- 帰りに寄るコメダ珈琲店
- ちょっと同僚と話す控え室での時間
などにも、最高の喜びを感じていたものです。
特に当時は、今よりももっと「節制」をしていましたので、食べるご飯は全て体に染み渡っていました。
数年前から感じ始めた、今ある自分の生活の中の幸せ。
でもこれが探せなかったから、僕は悩んでいました。
そうやって探し始めたはずだったのに、灯台下暗しとはまさにこの言葉通りでして、
- 休みの日に歩く
- コーヒーを飲んで作業
- 晴れた日に友達と会う
と言った大したことでもないことに、並々ならぬ「喜び/幸せ」を感じるようになりました。
この「小さな幸せ」を感じられるようになりますと、以前と違って毎日がハッピーになりました。
単純な考え方ですが、目の前の幸せに気づければ、その日はある程度「幸福度」が続き、
と思えるからです。
そしてまた次の日も、
と思えれば、一年中幸せですよね笑。
こうして「毎日」小さな幸せに気づける習慣が身につきますと、今の生活に感謝するようになります。
- 人のせいにしたり
- 自分を卑下したり
- 自暴自棄になったり
することもなくなりました。
何か言ってくる人とは距離を置き、自分の生きたいように生きれるようになりました。
簡単なことのように見えますが、忙しく毎日を送っている人はこうした「目の前の幸せ」に気づくことができません。
以前の僕に比べて、僕はずっとポジティブに「明るく」世界を見渡せるようになりました。
今に感謝し、毎日を楽しく生きることは、
と思う人には考えられないことでしょう。
ネガティブに世界を見ても、人生の終わりにツラいままなくなっていきます。
だから今を大切に生きていきましょう。
そっちのほうが、最期を迎える時に後悔しないからです。
みなさんの幸せはなんですか?
僕は「自分にとっての幸せ」を定義できるようになりましたが、みなさんはどうでしょうか。
普段からネガティブなニュースに晒(さら)され、いたくもない職場にいるとしたら、それはあんまりです。
と言うような友達は(幸運にも)いませんが笑、少なくとも「いいなぁ」と思っている人はいるでしょう。
でもそうやって「ないものねだり」をしている時というのは、たいてい目の前の幸せを見逃していることが多いです。
僕の過去がそうだったように、
「本当は幸せなはずなのに、あえて自らネガティブを取りに行っている」
ということは往々にしてあるものです。
そもそも論ですが、日本人は基本的に「幸せで豊かな生活」が保障されている民族だと思っています。
これからの国際情勢にもよりますが、今のところ、
- 安くて
- みんな優しくて
- ご飯が美味しくて
- 教育が行き届いていて…
と、こんなに恵まれた国はありません。
そこから求める「さらなる幸せ」とは、一体なんでしょうか。
別に「幸せを追い求めるな」とか、そういうことではないです。
幸せになりたいと思うのが、人間の本能ですからね。
ただ僕が問いたいのは、
という、シンプルな問いなのです。
突き詰めてみますと、
- 家族がいること
- 会社で働けていること
- 美味しいご飯が食べられること
- 安心して眠りにつくことができること
も、れっきとした素晴らしい「幸せ」です。
よく、
という人もいますが、これはバカにできないと思っています。
こうした目の前の(かつ毎日の)小さなことに幸せを感じられる人は、一緒にいると幸せになれます。
そうすると人も寄ってきますから、さらなる好循環に入ります。
もう一度聞きます。
みなさんにとっての幸せとはなんですか。
それは本来、目の前にあるはずです。
まずはそれを見つけるところから、スタートしてみませんか。
おわりに
かく言う僕も、
と考えに考えて、やっとたどり着いた境地でもありました。
- お金を使うことも
- 豊かになることも
大事なことです。
でもベースとして素晴らしい時間が流れていることに、僕らは気づくべきです。
そうすれば感謝の気持ちが生まれますし、人生がポジティブで溢れるようになりますから。
それではまた!
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