こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
教育現場では異動や学年の変化など、「自分の場所」が変わってしまうことがあります。
これは切っても切れない「変化」であり、前任校を出た時はとにかく泣いたものでした。
また教育に限らず、人にはそれぞれ「ステージ」がありますよね。
僕も、
- サークルの引退
- 大学院修了
- ダンス部の引退
- 職場の異動
など、多くの「別れ」を経験してきました。
その時ほど、
と思ったことはありませんでしたね。
しかし僕は、こうしていろんな場所を転々とするほうが、自分の身に合っていると思うようになりました。
それは一体なぜなのか。
その理由を書いていきたいと思います。
教育現場にいて思うこと
僕は昔から「教えること」が好きでした。
人によっては、「教育すること」が大の苦手だということもあるでしょう。
人には得手不得手があるように、僕にとって「先生」「教育」という職業はまさに天職でした。
ただし若い頃は勘違いをするものでして、未熟を理由にたくさん間違えたり、失敗したりしたことがありました。
「これが先生のあり方だ」と勘違いしていたのですね。
人の前に立つことは得意ではありませんでしたが、偉そうに教壇に立っていますと、自然と注目を浴びるようになります。
ええ、残念ながら違います笑。
生徒たちは自分の力で進めますし、先生はいつまで経っても「サポーター/ファシリテーター」であればよいのです。
少しずつ教育現場に慣れてきますと、
と気づくようになりました。
それは「ここぞ」という時だけ生徒と交流をして、基本的には、
「自分たちで取り組んでいることを、支えてあげる立場」
を貫くということです。
実はこのほうが、「生徒からも信頼を得ることができる」ということに気づきました。
なぜなら、
「先生たちが、生徒たちの努力を信頼している」
ように、彼らの目に映るからです。
- ムダに手伝ったり
- やたらと口を出したり
- 自分が目立つようにしてみたり
するのは、生徒たちからの評判も悪くなってしまいます。
逆の立場で考えれば当然で、僕らが学生だった頃は先生たちに介入してほしくなかったはずです。
少し距離を置き、大切な場面でケツを拭いたり、助言をしてあげたりすること。
これが「お互いにとって心地良いのだ」ということに気がついたのでした。
種を蒔く人でありたい
教育現場に限らず、僕は生涯をかけて「教育/教えること」に携わってゆく運命なのだと感じています。
- 英語
- ダンス
- 食生活
- 筋トレ
- サウナ(笑)
など、自分が好きで続けているものについては、懇切丁寧に教えることができます。
そうして種を蒔いた後に、
と言われるのが、心の底から嬉しいからです。
自分の持てる知識や経験を、余すことなく伝えてゆくこと。
これが少しずつできるようになってから、驚くほど人生が変わりました。
以前の僕は、教えることは好きでも、
- 小さなプライド
- 人より上に立ちたい欲求
などの「邪念」に駆られていました。
それらがなくなり、素直にかつ全身全霊を込めて「教えることにコミット」できるようになってからのほうが、生徒たちから感謝されるようになりました。
逆説的ではありますが、
- 目立とうとする
- 「教えてやっている」と上から目線になる
これらは「生徒が離れる原因」となっていたと思います。
逆に、
- 支えてあげること
- 親身になって教えること
これらは信頼を得られるだけでなく、自分にとっても居心地が良いものとなりました。
つまり、僕の使命は「種を蒔いてゆくこと」です。
ジャン=フランソワ・ミレー
《種をまく人》
「与えること」にも近いのでしょうが、それだけでなく、
- 根っこの考え方
- これからの生徒たちの発展
なども付与した上で「与えること」です。
その種はいずれその人の人生の糧となり、幸せに向かう力となります。
この「種蒔き」こそが教育者の使命であり、僕が今後も続けていく「仕事」なのです。
種を蒔いたら立ち去ること
僕が仕事で異動してきたように、「種を蒔く」という行為は様々な場所で行われるべきです。
僕の好きな漫画「ワンピース」でも、「受け継がれる意志」がテーマになっています。
「意志を残していくこと」は、種を蒔く行為と少し似ていて、少し違います。
「種を蒔く」ということは、僕自身にフォーカスは当たっていないということです。
種を蒔いたら、あとは自分たちで成長してもらうこと。
僕はそこに、全幅の信頼を寄せなければなりません。
学校を異動したことは、結果論かもしれませんが、
- 僕にとっても
- 生徒にとっても
よかったことだと思っています。
なぜならそのままですと、どちらも安定した状態に依存してしまうからです。
お互いに成長ができないという点は、好ましいことではないですよね。
僕がいろんな場面でコネクションを作ることができたのは、そうした「引き際」を大切にしてきたからなのかなと思っています。
一度「種を蒔いた人」は感謝もされますし、
と思われるものです。
それはとても嬉しいことですし、教師冥利に尽きると言ってもよいでしょう。
ただ、僕自身にとってもそれは良くないのだと、自分が一番感じています。
もちろん、生涯をかけて1つの場所に留まり、大きなコトを成就した人もいるかもしれません。
しかし僕に「定住」は合っておらず、いろんな人や景色と出会わなければ「見られない世界」を見たくて仕方ないのだと思っています笑。
種を蒔いたら、また次の場所へ。
それが正解だとは言いませんが、少なくとも僕にとってはそれが「生きがい」となっており、結果的に世界中に種を蒔くことができて、社会資本も育ってゆくのです。
おわりに
「種を蒔く」とは、一種の「起爆剤」です。
その蒔き方が丁寧であればあるほど、その「情熱」は人に伝播していきます。
僕がやるべきことは、
- 自分も成長を続けながら
- 人にスキルやエネルギーを与えていくこと
です。
立ち止まらずに、いろんな場所へ。
もっと自由に、もっと多くの人に届くように、種を蒔いていきたいと思っています。
それではまた!
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