こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人たちと話をしていたところ、
と聞かれました。
何度か記事にしているように、僕はとにかく生徒たちが好きですし、教育は天職だとすら思っています。
やはりそこにあった、
- システム
- 人間関係
が全てであり、
と言っても過言ではありません。
僕は今でも生徒が好きです。
今日は「僕が先生を辞めてからのこと」について書いていきます。
学校のシステムは組織だから仕方ない
幾度か書いてきたことですが、
ということは、拭いきれない事実でした。
学校に限らず、大きな会社でも似たような状態に頭を抱えている人は多いのではないでしょうか。
要は、
これが一番の問題なのです。
誰しもが、仕事に誇りを持っていますし、プライドがあるはずです。
という気持ちもあるでしょうから、決して仕事自体に不満があるわけではないのですね。
それが「働き方」となると話が変わってきてしまうのは、「自分の思うように働けないから」です。
こういう気持ちがあるはずです。
- この会議要らないだろ…
- なんでまだ紙使ってんだよ…
- この人は何言っても動かないなぁ…
などなど。
どんなに不満や改善点があっても、なかなかすぐには変えられません。
ただ、会社という組織から守られているため、なかなか抜け出せないのですよね。
一方で今の僕は、
- 教えたい人に
- 自作の教材で
- 教えたいだけ教える
ということができています。
システムに縛られることもなければ、生徒さんの「ここが知りたい」にフォーカスすることができます。
これほど楽しいことはありませんよね。
だから僕も、学校それ自体は全くもってキラいじゃなかったですし、できればずっといたかった。
でもチームや組織でやる以上は、
- できないこと
- 融通の効かないこと(人)
はたくさんあって、それが障壁となっていました。
あとは行動に移すだけでした。
今は今なりに難しい局面もありますが、やはり「自由度」では、個人事業主の自由さには全然敵(かな)いませんね笑。
それでも教育が好きか?
結論から言えば、今でも僕が英語を教えているように、
- 中学生の頃から教師になることを夢見て
- 今でも教育の事業に関わって10年になる
という状態ですので、とにかく教育が好きでやめられておりません笑。
とにかく僕にとって生徒たちは「宝物」であり、最初は教師として未熟ながらうまくいかなかったものの、今では、
- 大人でも
- 子どもでも
一所懸命英語を教えられるまでにいたりました。
よく「働き方」に納得がいっていなかったことに焦点を当ててしまいがちですが、学校の先生をしていた時、「生徒と交流している時間」は何よりも好きでした。
今は大人の生徒さんたちともたくさん交流していますし、
と言っています。
何度でも言いますが、僕は「生徒との交流」が一番の目的であり、
- 誰かの成長を願い
- その成長のために手助けすること
が一番の幸せだと思っています。
僕の「幸せ」の定義の中に、サウナやダンス、コーヒーや丁寧な毎日を過ごすことがある一方で、
とも思っています。
ここには大事なことが2つあります。
- ちゃんとしたクオリティで教えられること
- 同時に生徒のレベルに見合った教育ができること
です。
生徒のみなさんは一人一人、当然のことながら能力や興味関心も別々でありながら、「英語」という面ではある程度の保証を要求しています。
とね笑。
当然のことながら、大切なのはこの両方なんですよね。
ある程度マシーンのように機械的に教えながらも笑、少しずつ当人のレベルに合わせて調整していく。
これができることが理想。
今の僕は知識と経験から、これらがだいぶできるようになりました。
いつまで経っても、生徒との交流をしている時が幸せで、これらの「能力」をいかんなく発揮できる環境。
この環境を望んでいますね。
僕はいつまでも「教育者」であり、生徒たちのことを愛しているのです。
教えている時、幸せになれる
先述した通り、僕はなぜか「先生と生徒」という形がとても好きでなりません。
そう考えたこともありましたが、実はそれもありつつ、また違った理由があることもわかりました。
朝活でもレッスンでも、もちろん「先生」と呼ばれることは多いのですが、
- せいじ
- せいじさん
- せいじくん
なんて呼ばれることもザラで笑、「友達感覚」として接することも多いです。
僕は別にプライドがあるわけではないですから、
なんて思ったことすらありませんでした笑。
一方で先生でいますと、先ほど問題として取り上げた「裁量権」が、全権「僕」に委任されることになります。
この裁量権の下(もと)で、生徒さんたちと話や授業をすることが、僕にとって最高の瞬間なのです。
決して、
- 尊敬されたくて
- 信頼して欲しくて
授業をやっているわけではありません。
- 自分のやりたいように
- かつ生徒さんのペースに合わせて
- その人の力になれるように英語を教える
この形が、結果的に僕の「やりたいこと」の形なんですよね。
その中で感謝されれば嬉しいですし、「またやろう」と思えます。
いつも授業の前は、
と悔しく思いながらも笑、教え始めるともう止まらないくらい笑、熱く説明をしてしまいます。
だからやはり、
- 生徒も
- 教育も
- 授業も
好きなのです笑。
一番良かったのは、システムを「個人」に変えてからでした。
多い人数に一発で「ドーン」と教えることもいいことですが、それでは従来の教育の形と変わらず、その場にいる人たちは「なんとなく」で授業を受けに来てしまう。
何度か集団授業も考えましたし、
なんて考えも頭をよぎりましたが、やはり一番は「一人一人に丁寧に教えること」でした。
もちろん、まだまだやりたいことはありまして、対面での教育の良さもわかっていますから、集団というか「みんなでワイワイ」も求めています。
「教える」にもいろんな形があって、
と考えている最中です。
でも考えているだけにとどまらず、もっともっと行動していこうとも思っています。
おわりに
僕はいつまで経っても「生徒」たちが好きであり、その成長を常に望んでいます。
と思っているくらい、「授業」だけをしていたかったんですよね。
その場合、学校だとどうしてもシステムが介入してきてしまう。
今は個人ですので、好きなように教えられています。
これが僕のやりたかった教育。
でもまだまだこれから。
進んでいきましょうね。
それではまた!
コメント