僕なりの毎日の勉強へのコミットの仕方【ゼロから始めた男の末路】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、言語学習にさらにブーストがかかったとお伝えしましたが、今は授業の隙間時間で、

  • テキストを何度も読み返したり
  • 英語を含めた他言語の動画を見たり

しています。

もはや「趣味=勉強」という公式が成り立つレベルであり笑、

  • 早く話せるようになりたい
  • じっくり文構造を分析したい

という両方の気持ちがとても強くなっています。

でもせいじってモチベーションに頼らない人だったよね?

と言われますので、ここで改めて「勉強に対する熱」をお伝えしておこうかなと思いました。

今日はいろいろと書いてきたことを混ぜこぜにしながら、「勉強」について書いていきます。

要は好きかどうかだ。頑張れば自然と結果はついてくる。これが勉強の一番いいところだ。

自己満だけど需要があるのはなぜ?

僕は昔から勉強が好きでしたが、それは何より自分に取り柄がなかったからでした。

今こそダンスやランニング、筋トレや食生活、あるいはサウナや世界一周など、自分が「これ」と言えるものはたくさんあります。

ただその基盤となったのは、小中高から続けていた「勉強」でした。

え?なんで?

と思われるかもしれませんが、勉強はものごとの本質を捉えるためにとても大切な役割を果たしていたからです。

こうしたらこうなる。こういう規則性がある

とわかりますからね。

それと同時に、

どうやったら点数が取れるだろうか?

戦略を立てていたことも、今に繋がっています。

実はこれを怠ってきた人にとっては、

  • 計画
  • 継続
  • 目標

といった言葉が「息苦しく」(暑苦しく笑)感じます。

ただ、何かを成し遂げたいと思うのであれば、こうした「基礎/基本」を怠ってはいけません。

大人になってもこれだけ苦しんでいる人がいるのは、勉強を怠ってきたからに他なりません。

でも勉強なんかやらなくても、億万長者や成功者はいるよ?

その通り。

僕がお伝えしたいのは、

「ペーパーテストで点数が獲れていた人」=「勉強をしてきた人/頭の切れる人」

と言う単純な公式ではないのです。

結局、ものごとの本質を掴み、

こうしたらこうなるだろう

と、努力の仕方がわかる方法の1つとして、「勉強」があっただけです。

“勉強”(=本質を掴んで努力すること)を怠ってきますと、大人になっても継続ができなかったり、

どうしたらいいかわからない

と路頭に迷ったりしてしまうのです。

全ては繋がっています。

だから僕は、こうして「教師」となり、

  • 学び直し
  • 生涯学習

を手助けしたいのです。

勉強は自己満だが、いろんなことがわかる手法のうちの1つだ。本質を掴む練習をやってこなかった人は、今ツラい経験をしているだろう。

その人の姿勢がモノを言う

点数を獲りたい

という目標自体は、まるで本質をついていないような気もします。

勉強とはそういうものではない!

と。

学生時代の僕は、それこそ「勉強命」の人間で、ただ点数を獲ることの面白さに惹かれていました。

ただしそのおかげで、いろんな「目に見えない力」は身につきました。

結果論ではありますが、その時に身につけた、

  • 努力
  • 計画性
  • 継続力
  • 負けん気

は、現在にしっかりと影響を与えています。

これが勉強以外でも力を発揮するのは、世の中のものごと全般は、基本的に「努力すれば身に付くもの」がほとんどだからでしょう。

要は「何か成し遂げたいこと」に対する「姿勢」が重要なのであり、勉強はその姿勢を見事に身につけさせてくれたツールだったのでした。

例えば大学から始めたダンスも、学生時代はずっと基本の練習をしていましたし、15年以上継続して練習しているため、もはや趣味を超えたレベルのものとなりました。

どんなにゼロからのものでも、基本から適切にこなしていけば、必ずできるようになる

そう信じられるようになったのも、「勉強の成果」のおかげでした。

よく、

自分は勉強が苦手だったし、どんなにやってもできなかった

と言う人も見かけますが、個人的には「ちゃんとやっていなかった」だけだと思っています。

何においても、やれば(ある程度は)必ずできるはずだからです。

だからもし僕が今から、

  • やったこともないスポーツをしなければならない
  • 全くわけのわからない資格を取らなければならない

となっても、ある程度のレベルまではいける自負がありますね。

才能なんてあまり関係ないとは思っていますが、ただ一方で「それが好きではなければならない」というのが大きなポイントだからこそ、その気持ちが「才能」に置き換えられるのでしょうね。

「勉強ができなかった人たち」は、ただそれらが好きではなかったというだけのこと。

好きでもないことは結局、長続きしませんからね。(僕が水泳も楽器もする気がないのは、まさにこれ)

でも本質は一緒です。

もし「何かを成し遂げたい」となったら、勉強の経験がなくても、

どうしたら結果を残せるだろうか?

と考えるはずだからです。

「今から勉強を頑張りたい」と思っている人は、

  1. まず好きかどうか
  2. あるいは興味があるか
  3. そして努力や継続ができるか

という要素があるかどうかです。

好きなだけでもまた、「ある程度のレベル」には行けないのです。

何かを成し遂げたいのであれば、それが好きでなおかつコミットできるかどうかが問題だ。

頑張りたい人はいくらでもいる

僕が勉強をやってきて、今でもその熱が絶えないのは、

世の中には、僕のように頑張りたい人がいっぱいいるんだ

と感じる毎日だからです。

僕は公的な「先生」を9年やり遂げ、今でも教育事業に携わっているため、ずっと「頑張る人」のそばにい続けています。

先生とは「勉強を専門的に教える存在」でもありますが、僕は「モチベーションを生み出す人」でもあると思っています。

このブログでは何度も、

モチベーションに頼るなんて意味がない

と口酸っぱく言ってきましたが笑、僕自身が「モチベーションを与える人」であってもいいはずですよね。

子どもたちだけでなく、大人でも、年齢がずっと上の人でも、頑張る人たちは「尊敬」に値します。

誰が上で誰が下だ

とか、そんなことはどうでもいいのです。

どんなに「上にいる人」であっても、もっと頑張る人は他にいくらでもいるため、すぐに抜かれたりダメになったりします。

僕がずっと教え続けることができているのは、自分でもずっと勉強しているからなのです。

僕自身がそうあり続けることで、

  1. 相手にモチベーションを与えられるし
  2. 自然と頑張る人たちの力になることができて
  3. 自分のモチベーションも上がることになる

という好循環が生まれます。

僕の近くにいれば、一緒に頑張り続けることができるよ

と言える環境を作ることが、僕が一番求めていることなのかもしれませんね。

先日も、

なぜ毎朝英語を教えることができるのか?

と聞かれましたが、

それが僕のミッションだ

と思っているからでしょう。

自分が勉強をしてきたからですし、それによって実現できることはたくさんあるとわかっているからです。

何かを成し遂げたいから、

  • 継続し
  • 努力し
  • 一緒に勉強する

のです。

え?せいじもいつか辞めるんじゃないかって?

大丈夫です。

僕もそう思っていましたが、なんだかんだ20年以上続けてきていますから笑。

頑張っている人はたくさんいる。そこにコミットする自分と、モチベーションを上げる自分がいる。それが僕の目指す理想形なのだ。

おわりに

勉強を頑張る。

これはまるで「得意/不得意」の話にも聞こえますが、僕は誰にでもできるものだと思っています。

確かに「稀有(けう)な存在」になるには、並々ならぬ努力が必要ですが、何においても努力すればある程度のレベルには到達できます。

だから一緒に頑張っていきましょう。

僕は死ぬまで走り続けますから。

それではまた!

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