改めて伝える教員生活とそのあり方【教員の雑務は本当に多いのか?】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

僕は今まで、いろんな経験をもとに記事を書いてきましたが、まさかこの動画内で同じように語られているとは驚きました。

今日は改めて、「教育現場の実態」について書いていきます。

教育者になりたくないという現状がある。日本の教育は本当に変わっていかなければならない。先生としてのあり方が問われているのだ。

できないことは任せる?

よく、

できないことは外注しろ。他を頼れ

という言葉を聞きます。

大前提として言いたいことは、学校の業務(雑務)はそもそも「できないこと」ではなくて「やらなくていいこと」のオンパレードだと思っています。

冒頭でひろゆきさんが言っている通り、部活動などの課外活動においては、

  • 「熱」を絶やさない方がいいが
  • 教員たちのやるべきことではない

と思っています。

今、学校現場がこれだけ騒がれているのに、それでも現場はなかなか変わろうとしませんよね。

日本とは「そういう国」なのです。

批判したいわけではなく、“事実” なんですよね。

だから動画にある通り、「成り手」が少ないのです。

僕が現場を離れたのは、こうした「古い体制」への疑念でした。

まず業務改善として、

  • 部活動
  • ペーパーワーク
  • ムダなアンケート

などから取り掛からなければなりません。

現場でもだいぶデジタル化が進んできましたが、やはりムダだと思われる業務はたくさんあります。

特に動画内で話題になっていた、

  • 生徒に作文させる
  • アンケートに答えさせる

など、

本当にこれ要るの?

という業務を、適当に「形だけ」こなすこともあります。

そうなんです。

何度も言いますが、「できないこと」ではなく、そもそも「やらなくていいこと」があるのは間違いのない事実なんですよね。

これは、学校現場という「枝葉の部分」での解決をしてもほぼ意味がありません。

だから文科省などの、「大きな根っこの部分」から変えていく必要があるんですよね。

できる先生などはテキパキやりますが、

雑務ができるんだからそれでいいじゃないか

とかそういう問題ではありません笑。

なければないに越したことはないからですね。

先生たちにできないことなんてほぼなく、むしろやらされている業務もある。そこを根っこから是正していかないと、日本の教育は変われない。

知識の伝達なんて現場じゃ飽和状態

特にこの動画内で一番興味を引いたのは、

先生が教える時代は終わった

という点。

元教員、現英語講師としては耳が痛いですが、実際そうだとも思っています。

また動画内では、

現場では知識ではなく、人の教育をする

という点においての議論も出ましたが、賛成しつつ反対しつつという感じですかね。

僕が “先生” をしていた頃も、現場で「人としてのあり方」みたいな人生論を教えるほうも大好きでしたけどね。

いずれにせよ、

この先生から教わりたい

と思われるためには一応、

  • 圧倒的な知識
  • 寄り添ってくれる優しさ

などがあることが求められているのかなと。

そう考えますと、世の中にそんな人はたくさんいますから、

そもそも学校って必要ある?

と思えてしまうくらい、先生のニーズそれ自体がなくなっているのです。

すると先生たちも、「先生」になりたくなくなります。

だって若いやつらなんか、今の時代、自分で学べるっしょ。業務はツラいだけだし

と。

そうしたいろんな要素があるからこそ、

  • 先生への尊敬がなくなる
  • そもそも先生の意味が問われる
  • もっとわかりやすい授業がSNSにある

といった問題が発生してきてしまうのですね。

その点において、無理やり反論する必要もないと思っていまして、それは、

だって情報や知識なら、普通に取れる時代じゃない?

と感じているからです。

じゃあ、学校の先生って一体何?

という議論になるわけですね。

僕はよく元同僚の先生たちと話しますが、

  • 学校は福祉的な場所
  • 先生は統率することが大事
  • 人間味を出してロールモデルとなる

など、「圧倒的な知識でわかりやすく教える」という話は、実は「高い優先順位」としては出てきませんでした。

もちろん僕は、講師としてわかりやすく教えることや知識も大切にしていますけどね。

要は、このように先生としてのあり方の次のステップを考えなければ、「積極的に教えたい」と思うような成り手は、なかなか出てこないということなのでしょうね。

学校現場で知識の伝達をしようとしても、もっと上手い授業をする人がYouTubeで見られてしまう。そうなると、学校のあり方を考える必要がある。

学校、先生のあり方を考えること

この動画内では、

  • 集団
  • 習慣

などのキーワードが出てきていて、

それもまた学校の1つの良さなんだよなぁ

とは確かに思いましたね。

先日書いた「不登校」の話もそうでしたが、学校(義務教育であろうとなかろうと)に行かないと、ほとんどの人は「習慣づけ」のレールから外れてしまいます。

自分でできるならいいですし、

他人のレールを生きないこと

とは、むしろ僕が大事にしている生き方です。

しかし、多くの中高校生がスマホを持ってしまったように、今では「無限のエンタメ」が世の中に溢れています。

大人だってショート動画だのなんだのに負けてしまっているのですから、正直10代の子たちなんてそんな簡単に自制することはできません。

だから「学校」という義務教育下での習慣づけは、ある意味「使い倒したらいい」と思うのです。

画一的なルールや集団行動がイヤだった僕は、学生時代にもちゃんと「反抗」していましたから笑、

  • ある程度朝から夕方まで縛られつつも
  • 守られている中で自由にやったらいい

これが理想かなと思っています。

「学生」とは今思い返せば、本当に自由でした。

そのレールに沿わない人は、やめたり他でうまくやったりするしかありませんが、いろいろと低価格で学べるということは、やはり大きな利点です。

だから学校には、

  • 習慣づけをする
  • 基本的な知識を求める
  • 集団行動などを経験する

といったことだけを求めていけばいいのかなと。

先生たちは、正直その基本的な部分だけを担えばいいですし、例えば、

いい授業を!
間違いない知識量で、圧倒的にわかりやすい授業を!

と意気込んでもいいのですが、今後のキャリアが上がっていかないことを考えれば、

  • 知識量
  • 人としての熱さ

は残念ながら「二の次」か、同等に持っていればいい程度なのかなと思っています。

みんながみんな、

先生は熱くてなんでも知ってて、尊敬に値する人物であるべきなんだ!

と思っているわけではありませんからね。

ある意味「ピンキリ」になってしまいますが、どの職種もそんなものです。

このように「先生とは、学校とは何か?」を問うことは、現代でとても大切なことです。

それだけ、

学校って何?

という時代になってきたということですね。

学校も先生も、今ではあまりニーズがなくなってきた。だからその中で先生としてのあり方をしっかりと見つけ、仕事に従事していくことが大事だ。

おわりに

学校はもう、以前の「場所」ではありません。

先生のあり方も変わってきていて、単なる「知識を教えていくれる人」は要らなくなってきました。

かといって倫理や道徳を学ぶにしては、それが体系立っているわけでもありません。

公共の場所」として、生徒たちが習慣づけたり、何かベーシックな学びをする「福祉的」場所なのかもしれませんね。

また考えていきましょう。

それではまた!

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