こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、7〜8人でダンスの合同練習会を行ないました。
いつもお世話になっている「DJのできる英語教員」(他校勤務中)を呼び出し笑、スタジオを借りる運びとなりました。
前日まで、
「他校の体育館を借りる予定」
でしたが、その学校のダンス部顧問が「ギックリ腰」となり参加できなくなってしまったため、急遽スタジオを探して借りる方向になったのです。
この手の「急な対応」にはもう慣れっこですが、参加者たちに「ごめん、また今度で…」ということもできました。
しかしコロナで何度も練習会が中止されていましたので、「今回はやってやろう」という気持ちでいっぱいでした。
速攻でスタジオを見つけ出し、予約に成功。
学校を使うことと違ってお金もかかりましたが、僕はどこか「以前と違う感覚」でお金を支払っていることに気づきました。
そんな心情の変化について、今日はお伝えしていきます。
格好をつけておごっていた過去
先日一緒に練習したのは、僕の高校で教えていたダンス部の子たちでして、卒業はしたものの、
- 社会人なりたて
- 学生
といった面々ですから、お金を出させるわけにはいきません。
以前も、学生たちに「おごりと言う名の投資」をしてきましたが笑、その時はどこか「カッコつけている」ような感覚が、僕の中に少なからずありました。
- 「先生はお金を持っている」
- 「お金を出してくれる先生かっこいい」
もちろん、そのような空気感を全面的に出していたわけではありませんが笑、心の奥底で、
「サラッとお金を出す俺、カッコいい」
というような発想も、なくはなかったのでした。
しかし、こうしてずっとお金や人生論の勉強をしてきて、
- GIVEすること
- 価格ではなく価値で判断すること
など、お金の使い方が変わってきた僕としては、今回の「おごっている時の気持ち」が少し違う感覚になっていたことに気づきました。
以前であれば、「俺、出してやったぜ…」という感覚があったはずだからです。
そう思っていた「原因」を考えてみましたところ、以前は、
「身銭を切っているんだ」
という、「損をしている」という感覚があったことを思い出しました。
なんということでしょう。
- 「おごってあげている自分カッコいい」
- →「お金を出しているのは自分だ」
- →「お金出すの、結構ツラいな…」
と、潜在的に自分の財布の中身を気にしていたのでした。
一見するとつながりはないようですが、
- 格好をつけること
- 損をしていると感じること
が、僕の中では表裏一体となっていたのです。
- 「損をしているのだから、カッコくらいつけたっていい」
- 「俺が出してやってるんだぞ。感謝くらいしろよ」
と、口に出してはいないにせよ、心の中ではそんな風に思っていた自分がいました。
実際、大勢の卒業生を相手にした時は、かなりの額を出さなければならず、
「実は、そこまでは出したくはないんだよな…」
と思ったことすらありました。(諭吉1人だけおいて先に帰るという手段もあります。ご参考までに)
それは僕が、「損をしている」という気持ちになっていたからでした。
しかし今はもう、違います。
心から、彼らのためにお金を支払ってあげたいと思えたのでした。
GIVEをしている人を目の当たりにした経験
「お金の勉強をしてきたこと」が僕を変えてくれたと思っていますが、最近見た衝撃的なGIVEの形が、僕のGIVEの精神をさらに育んでくれました。
何度か記事にした「リベシティ」というコミュニティですが、その創設者である「学長」という方がいます。
学長さんが「2022年のGWに、大阪でフェスをやる」とおっしゃっていて、僕も参加する予定でした。
この「お祭り企画」は、確かに学長さんからのプレゼントではありますが、彼のGIVEに対する考え方は、
「なんでもかんでも与えることが、その人を良くするわけではない」
というものに基づいています。(※僕の解釈です)
そういった理由から学長さんは、
「今回のフェスで、どれだけの金額が僕から支払われているのか」
を、改めて「予算見積もり書」として提示してくださいました。
なんとなく以前から数字は聞いていましたが、改めて書類として見てみますと、とんでもない額がサラッと支払われていることに、今更ながら衝撃を受けました。
今までの自分のおごり方が、いかにちっぽけなおごり方だったか…
僕は衝撃を受け、自分の「おごること」に対するマインドがさらに変わりました。
もちろん、
- お金に余裕があること
- 誰に対しておごるのか
- どれだけの額なのか
と、状況は様々ありますので「多額をおごれることが正義」というわけではありません。
しかし、最終的に残る「自分の気持ち」に関しましては、消化するのは自分自身ですので、その点の処理の仕方は自分にかかっています。
僕はいつも、この気持ちを消化し切ることができずにいて、
- 「今日俺は、〇〇円支払ったのか…」
- 「ちょっと額がデカかったなぁ…」
- 「1週間は浪費を控えよう…」
と、後ろ向きな考え方で終わることも少なくありませんでした。
そう思うこと自体を悪いことだとは思いませんが、僕は「おごること」を「何か見返りありきのもの」として捉えていたのでした。
それが実は、
- 生徒から慕われたい
- カッコよく思われたい
という気持ちに繋がっていたのかもしれません。
学長さんの本当の気持ちを知ったわけではありませんが、もう一度、自分がおごる時のスタンスを見直すきっかけとなりました。
この手のGIVEは、何も彼だけではなく、多くのインフルエンサーや億万長者が行なっています。
その形をはっきりと、ほぼダイレクトに感じることができる経験があると、自分のGIVEに対する考え方も、大きく変わるのかもしれませんね。
感謝の気持ちとしてのGIVE
今回は元生徒たちのために、
- スタジオ代
- ちょっとしたご飯代
をプレゼントしました。
彼らは純粋な気持ちから、「先生おごってくださーい!」と言ってきましたので、
「あまりそういう言葉は、乱用しないほうがいいよ」
とだけ言っておきました。
彼らはまだ若いですし、冗談で言っていることはわかっています。
注意するつもりで言ったわけではないのですが、自然とそういう言葉が出てしまったのは、僕の考え方が変わったからなのかもしれません。
一方で、サイ◯リヤに行って「好きなもの頼みなよ」と言ってもみんな遠慮していたのは、ちょっと可愛いかったですけどね笑。
今回僕は、そのお金を出すことになんのためらいもなかったことに、我ながら驚きました。
僕の心の中は、
- 30を越えたお兄さんと、わざわざ一緒に練習してくれること
- こちらも元気がもらえてありがたいこと
- 純粋にこの時間を楽しんでほしいこと
と言った気持ちがあふれていたからでした。
- 「若いし、お金はないだろう」
- 「ここは俺が払ってやるのが筋だろう」
- 「尊敬してくれるかもな」
このような気持ちは一切なくなり、「お金のことは気にしなくていいよ」と言ってあげることができました。
- おごってあげているという上から目線の気持ちも、
- 今回これだけの支出があったのかという損した気持ちも、
全くないまま、純粋にその時間を楽しむことができ、また新境地へと歩を進めている自分に、感動すらしました笑。
元生徒たちとはいえ、こうして集まってくれるのは嬉しいことですし、
- 「先生が一番元気でしたね笑」
- 「また頑張ろうと思えました」
- 「早速、久しぶりに練習を再開します」
と言ってくれたことは、些細なことですけれど僕にとって最高に嬉しい言葉でした。
お金がなければできないこともありますが、人がいなければできないこともあります。
彼らが来てくれるのであればそれだけでよくて、そこにかけるお金に対して損得を考える必要はありません。
また1つ、新たな発見をしたすずき。
もっともっと成長していきたいと思うことができました。
おわりに
いまだに自問自答することはありまして、
- 「今はお金があるからできるんだろ?」
- 「なぁ?GIVEなんかやめちまえよ」
と、悪魔的「リトルすずき」が顔を出してくる時もあります。
しかし、僕は変わってしまいました笑。
今回の気持ちの変化に気づけたことは、意外にも僕の中では大きな変革でした。
呼吸をするように、同僚の先生方にお土産を買ってくるようになってはいましたが笑、
「その行動が、以前の自分とはどう違うのか?」
という点については、はっきりとした答えを出せていなかったからです。
心が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
心理学者ウィリアム・ジェームズの有名な言葉ですね。
考え方が変わると、人は変わります。
僕も成長して、大きな器を持てる人となりたいと思っています。
ともに頑張りましょう。
それではまた!
コメント