言葉に感情を乗せずに話すメリット【相手の反応を気にする必要はない】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

以前の僕は、

  • いかに他人に当たり障りのない言葉をかけ、
  • 仲良くやっていくか

ばかりを気にしていたり、逆に、

  • カッとなって辛辣な言葉をかけたり、
  • 気の合わない人には露骨にイヤな顔をしたり

していたものでした。

若い頃は、感情の赴くままに生きていましたね。

心も貧しく、精神的に未熟でもありました。

今はだいぶ成長しまして(と思いたい)、

  • 「嫌われる勇気」
  • 「GIVE&TAKE」
  • 「マインドフルネス」

などの書籍を読んだおかげで、だいぶ心に平穏が保たれる状態になりました笑。(どれだけ荒れていたのか)

今日は、一発逆転の解決策になるかはわかりませんが、人との関わり方において、最近僕が大切にしていることを書いていきます。

気持ちは言葉に表れる

言いたいことの言えない世の中なんて、ストレスが溜まってしまうものですから、僕はできる限り自分の想いや直観に従って発言するようにしています。

いわゆる「忖度はしない」という姿勢ですね。

ただし、ここで注意しなければならないことがあります。

それが「言い方」です。

ここで言う「言い方」は、言葉選びというよりも、

  • 口調だったり、
  • 感情的かどうかだったり

に焦点を当てています。

以前も「言い方」については記事を書きました。

「言いたいことを言うこと」はスッキリもしますが、一方で、

  • 相手を傷つけてしまったり、
  • 言った後で自分が後悔してしまったり

した経験は、たくさんありました。

それでも「言わなければ伝わらないこと」は、人と人とのコミュニケーションにおいて必ずあるため、言わなければ言わないで精神衛生上良くなかったりもします。

そこで、自分の伝えたいことがあるときに、感情を乗せないように心がけることを始めてみたのでした。

きっかけは様々ありますが、

  1. 人生について考えたこと
  2. 与える精神を学んだこと
  3. 課題の分離(他人は変えられない)を知ったこと

といった経験が、変化の要因だと思っています。

では例えば、

「同僚の仕事が遅く、なかなか欲しいはずの資料が回ってこない」

としましょう。

同僚に向かって、

「遅いと仕事にならないので、早く回してもらっていいですか?」

と、「怒りの感情」を込めて(乗せて)言葉にしてしまいますと、それがどんなに丁寧な表現であっても、その感情は伝わってしまいます。

逆に言い方が辛辣(しんらつ)であっても、そこに感情が乗っていなければ、意外にも事務的かつ客観的に仕事内容を伝えることができます。(あまりオススメはしませんが笑)

すると、言った後の自分の気持ちもフラットな状態(感覚的に「無」の状態)でいることができるのです。

  • 表面的に伝えてしまったり、
  • 激しく非難してしまったり

することで後悔した時はいつも、自分が感情的になってモノを言っていたからでした。

  • 「この人に嫌われたくないから、なんとなく無難な表現で…」
  • 「こいつ、マジでムカつくから思いっきり言ったろ」

といった「何かしらの感情」が介入したら最後、どちらにせよあまりいい気持ちで終わることはありません。

一見すると、

「感情を押し殺して人と会話をするなんて、なんて酷い男だ!」

と思われるかもしれませんが、

  • 相手の反応や出方をいちいち気にしたり、
  • 相手に対する思いを、少しでも出してしまったり

すれば、自分も相手も感情的になってしまいます。

  1. 他人を変えることはできない
  2. 感情的に意見を言っても良い結果は生まない

と思えていれば、感情をはさまない客観的な議論になります。

感情を排除し、事実に基づいて客観的に議論しますと、もし相手がヒートアップしていても徐々にクールダウンしていきますし、お互いにとって生産的な時間になりますよね。

ただしこれが、「非常に難しい」のですよね。

僕もここ最近で、カチンときたことはありました笑。

しかしこの時、すぐに言葉に感情を乗せることはしませんでした。

「自分は今、クールダウンする必要がある」

と思えたからです。

感情が治まってから言葉にするとうまく伝わりますし、自分も後悔することがほとんどありません。

相手も傷つけずに適切な指摘ができるようになりますので、一旦時間を置いて心臓の鼓動が治まるのを待つのは、良い手法だと言えます。

自分が抱いている感情はすぐに言葉に表れます。

いつでも「フラットな状態でモノを言うクセ」をつけましょう。

少しでも言葉に感情が乗ったらアウトだ。その言葉は相手を傷つけるし、自分も後悔することになる。

「君は間違っている」と指摘されたらどう対処する?

僕の小さなプライドや、英語教師やダンスをやってきた自負みたいなものは、だいぶ抜け落ちたような気がしています。

それでも、

  • 「すずきさんのやり方は間違っている」
  • 「それっておかしくないですかね?」

と指摘されたり、非難されたりすることは、いくつになってもあり、ムッとしてしまいそうになることがあります。

そのような発言を受けた時は、

  1. 相手が感情的になっている(僕を潰しにかかっている笑)
  2. 単なる指摘、生産的な疑問

どちらかしかないと思っています。

「1」のように「相手が感情的になっている時」は、自分もその土俵に乗ってしまったら一発アウト、即退場だと認識しています。

  • ただの感情のぶつけ合い
  • シンプルな罵り合い

と化すからです笑。

相手の態度がわかりやすく、敵意むき出しであれば、「相手の感情に乗らない」に越したことはありません。

しかし、指摘されたり批判されたりすると、ついカッとなってしまうのが人間というものです。

そこで今回は「2」のように、生産的な指摘や疑問として、相手の意見を捉える手法をオススメします。

例えば、

  • 「すずきさんの言っているこの部分なんですけど、なんか辻褄合いませんよね?」
  • 「言っていることがわからないんですけど…どう言う意味ですか?」
  • 「それは絶対に無理だし、間違っていると思います」

と指摘や疑問を投げかけられた時、相手の感情はないと仮定して、真摯に指摘や質問に答えるのです。

「受け流すような感覚」ですね。

「無理に」ではなく、「言葉だけ/意見だけをとる」のです。

とにもかくにも、

「相手の意見に、即座に感情的に反応してしまった時

は、その後の良い展開は見込めません。

僕の経験上、感情的になった時に、いい気持ちで議論が終わった試しがありません。

  • 「どこが間違っていたのか」
  • 「どうしてそう思うのか」

逆に相手に話させて、自分が「指摘された部分だけ」を受け止め、消化するための時間を確保する。

こうするだけでも、

「なるほど。つまりコレコレこういうことを言いたいのですね?」

と、余裕が生まれます。

「機械的」な返し方かもしれませんが、

  1. 無駄に人との摩擦を生むこと
  2. 自分の感情が高ぶって疲れてしまうこと

がなくなりますので、結果的には「無の状態」で終わることができるのです。

指摘されても、意見されても、すべてが「生産的な議論」のための質問だと捉えよう。どこが間違っているのか論理的に説明されれば、感情が削ぎ落とされるからだ。

相手の反応なんて、いちいち気にしなくていい。

この「感情押し殺しトーク術」が身についたのは、ごく最近です。

もともと「冷静沈着マシーン」として名を馳せてきた僕ですが(冗談)、最近は輪をかけて感情的に反応しなくなりました。

それは、

  • 他人からの評価
  • 他人からの目線

を意識しなくなったからでもあり、他人と仲良くして摩擦を起こさないような「事なかれ主義」ではなくなったからだとも思っています。

もちろん、言いたいことを言うだけ言ったり、正論を振りかざしたりすることが、正義であるとは思っていません。

言い方によっては、時に「他人を潰そうとしている姿勢」として捉えられてしまうこともあるからです。

  • 「この人は自分のことを論破しようとしている」
  • 「ズケズケと強い意見ばかりを言う」

と感じられてしまったら、相手の感情を誘発してしまうからです。

言葉を丁寧に選んで発言しつつも、「どういう反応が来るだろうか?」と期待したり勘ぐったりしないでおくこと。

こういう姿勢でいますと、自身の「生産的な議論がしたい」という軸がブレることがなくなりますし、

  • 自分が感情的になりそうになっても、
  • 相手が感情的になりそうになっても、

軌道修正することができるのです。

コミュニケーションにおいては、仲睦まじく共同体をつくるために、あるいは自分のポジションを確保するために、

  • 表面的に接したり、
  • うまく取り繕ったり

することも必要かもしれませんが、得てしてそういう関係は長続きしません。

どちらか一方が「疲弊して潰れてしまう」か「イヤがって離れるか」するからです。

  1. 他人と無理やり仲良くすることが人生の目的でもありませんし、
  2. 馴れ合ってふわふわと共同体に属していても意味がないですし、
  3. 自分を偽って過ごしていても、長続きしませんし疲れます。

しっかりと自分の軸を持ち、感情を乗せずに(熱い気持ちなら良い)、相手と真摯に向き合って、意味のある/価値のある議論をすること。

「相手がどう思うか」は相手次第であり、いちいち気にする必要はありません。

発言の際に「言い方」に気をつければ、それで十分だからです。

  • 自分が相手のことを指摘したり、相手に疑問を投げかけたりしても良い。
  • 相手から批判されたり、意見をもらったりしても良い。

「馴れ合い」も「言い合い」もせずに、一人間同士の対話を目指していきましょう。

馴れ合っていたり、相手の出方をうかがっていると精神的に疲れる。言い方に配慮しながら、率直に意見を伝えたり、指摘を受け入れたりしよう。

おわりに

  • 職場
  • サークル
  • 部活
  • 家族
  • 趣味仲間

どこかのコミュニティに属していますと、必ず「相手のことを気にかけてしまう」場面があります。

「配慮すること」は人として大切な要素ではありますが、「相手の機嫌や出方をうかがうこと」は生きづらさを助長します。

もちろん、それが「クセ」になっている人もいますし、「そっちのほうが生きやすい」という人もいるかもしれません。

そのような方々にいちいち意見するのもおこがましいですから、それはそれで1つの生き方だと思います。

ただ、

「この性格だと辛いな。生きづらいな」

と思っている方は、今一度感情をフラットにして言いたいことを言ってみましょう。

感情を抜きにして意見を伝えますと、「感情同士のぶつかり合い」になることがほぼなくなります。

逆にどんな丁寧な伝え方をしても、感情が1ミリでも入ってきたら終わりだと思っていてよいです。

僕も気をつけます笑。

それでも、

  • 馴れ合って仲良さげにしたり、
  • 言い合って消耗したり

するよりは、フラットに意見を伝えたり受け取ったりするほうが、よっぽど生きやすいのかなと思っています。

とはいえ、生き方は人それぞれです。ご参考までに。

それではまた!

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