こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
最近やめたことがあります。
それはテレビを見なくなったことです。
これは30年以上生きてきた自分の中で初めてのことでした。
テレビを見なくなったことで、
- 得られたこと
- 変わったこと
- 空いた時間で変えた生活スタイル
- 様々な変化
などについて語りたいと思います。
テレビを見ないメリット
最近のトレンドとしても注目されている(気がする)、脱テレビ化。
テレビを見なくなった経緯はあとでお話しするとしまして、まずは結論からお伝えしましょう。
とても幸せになったということです。
テレビが「絶対悪」とまでは思っていませんが、ニュースなどの一方向かつ受動的なインプットをしていた頃は、どうしてもネガティブなニュースは避けられていなかったことがわかりました。
時事問題を知っておくことや、アンテナを張っておくことは社会人として重要であり、時勢をつかんでおくことは大人としてかっこいいことだとすら思っていました笑。
しかしテレビを見なくなったことで、ネガティブなニュースが入らなくなってきました。
- 事故
- 事件
- 不倫
- ゴシップ
などですね。
自らニュースを見ようとしていないために、それらのネガティブ要素に触れること自体がなくなってしまったのです。
するとどうでしょうか。
一日を通して嫌な気持ちになることや、日本や世界のことを「無駄に」考えることがなくなってしまいました。
これに対して、
- 「世界のことをわかっていないじゃないか」
- 「社会人としてどうかと思う」
という意見が飛んできそうですよね。僕もそう思っていました。
そんな反対意見に流されずにテレビを見ることをやめてしまえば、
- その分自分の時間がたくさん確保できる。
- テレビに縛られていた考え方が変わる。
など、むしろメリットを獲得することができるのです。
ゆえに総合的に見て、「幸福度が上がったのではないか」と確信しています。
テレビを見ないデメリットとは?
実際、ここ数ヶ月くらいテレビをつけるタイミングは「みたいドラマがある時」くらいでした。
(追記:現在はテレビは売っており、家にありません)
では先ほどの、
「知見を広げることや、時事問題への興味関心などはどうするのか?」
という問いに対する答えですが、逆に聞きたいと思います。
「果たしてそもそも日本各地の情報や、世界各地の情報を知っておくメリットはあるのか?」
ということです笑。
- 〇〇県で強盗があったとか
- 〇〇が亡くなったとか
- 〇〇で事件があったとか
それらは知っておくべき内容でしょうか。
それが僕の人生に、大きな変化や生産的な思考をもたらしてくれるのでしょうか。
答えはNOです。
これらを見ている時間が、そもそももったいないのです。
それならば、
- 自分の世界を広げてくれる本を読んだり
- ビジネスの勉強をしたり
- 資格の勉強をしたり
したほうが、圧倒的に生産的ですし自分のためになります。
もちろん「本が全て」「自己投資の時間が全て」と言うつもりはありません。
しかし、テレビを垂れ流して皿を洗いながら「何のニュースをやってるんだろ?」「さっさと終わらせてテレビの前に座らなきゃ!」と思うこと自体、テレビに縛られていることなのではないかと感じました。
今の時代、YouTubeとかネットニュースのようにいつでも見たり読めたりできるツールがあるのにも関わらず、「見逃したら終わりね」というテレビの感覚がなんだか窮屈なんですよね。
TVerで見れば十分かと。
結論:テレビを見なくなることで、デメリットはありませんでした笑。
むしろ毎日がフレッシュで、自分のためになるものを取捨選択して、たくさんインプットするようになりました。
自分の人生を豊かにできるように、積極的な考え方をするようになったのも大きな収穫です。
なぜテレビを見なくなったのか
僕は先述した通り、テレビを見ることは時代についていくための、あるいは置いていかれないようにするための義務だとすら思っていました。
しかしそのマインドを変えてくれたのは、皮肉にも「コロナ」でした。
在宅勤務していますと、否応なしに流れてくるコロナの情報。
- 陽性者数
- アベノマスクに対する怒り
- 閉店する店々
- 鬱になる大学生…
もちろん明るいニュースもあります。
ただやはり人の心を簡単に煽ることができるのは、「ネガティブニュース」のほうでした。
僕はコロナ禍で、
- 朝にニュースを聞き、
- お昼のワイドショーを見て、
- 夜のニュースを見る。
という生活をしていました。
これによって本当に頭がおかしくなりました。
自分でも目が充血するくらい、ニュースやネガティブな情報を見あさり、心の中でバッシングをしていました。
そうして「不安の部分」だけを大きく煽るメディアによって僕の中に生み出されたのは、悪循環だけでした。
悪いニュースに触れれば触れるほど、僕の心は荒(すさ)んでいったのです。
ネガティブなニュースが人間のネガティブな部分を増幅させることに、気づくことができていなかったんですよね。
コロナショックは未曾有のできごとであるのは間違いなく、自分もかなり精神的に参っていたのだなと、今になれば「確かにそうだったな」とよくわかります。
みんなが不安になり「今まであった当たり前」に感謝していましたしね。
そしてとうとう、これらのネガティブな情報どもが鬱陶しくて仕方なくなってしまいました。
「ええい、もうええわ!」と。
ここでテレビを断とうと思ったのです。当時「テレビを断(た)ったらどうなるだろうか?」と自問自答してみました。
「自分の一度しかない人生の貴重な時間を、自分のためになるとは思えないニュースに集中してインプットして、それらを友人や同僚たちと愚痴ったりシェアしたりする必要性はあるのか?」
と。
答えは明白でした。
「自分の人生の貴重な時間を、嫌な気持ちを増幅させるテレビに捧げること」はやめようと思ったのです。
テレビを見ない代わりに何をするのか?
今までは「テレビを見るだけのマシーン」と化していたすずき。
ではテレビを見ないことから一体何を変えたのか。見ていきましょう。
まず変えたことは「朝」でした。
以前は朝は起きたらテレビをつけていました。
それが一種の安心材料だったのです。これに共感できる人は非常に多いと思います。
朝に世間の情報を取り入れて職場や友達と話すのは一種のルーティンとして悪くないですし、共感を得まることができますからね。
- 「あぁ、世間に追いついていることができている!」
- 「情報を漏らさず網羅している!」
- 「なんか物知りになった気がする!」
とね。一種の「麻薬」みたいなものです。
そこで朝の時間を全てYouTubeの時間に変えました。
「いや変わってないやないかい!」と言いたいかと思いますが、僕のライフスタイルは大きく変わりました。
まずYouTubeはシークバーで戻せるので、可逆性があります。
ゆえに朝の支度中に、
- やばい、聞き逃した。
- テレビのある居間にいなきゃ聞こえねぇ!
ということがなくなりました。
パソコンやiPhoneなら家中持って歩けますし、シャワーを浴びてて聞こえなければ、また聞き直せばいいのです。
またYouTubeなどの動画サイトでは、基本的に動画を自分で選んで聞いていますから、勉強しようと思えば朝の30分が有意義な勉強時間となります。
これは、僕の人生の幸福度上昇に一役買いました。
実際、朝の時間をビジネスや運動に充てている人も多いですしね。
そして夜は、朝の勉強の続きをしたり本を読んだり、こんな風にブログでアウトプットしたりしています。
これがまた楽しいんですよね。
世間のニュースは最低限しか取り入れていませんが、僕の人生を僕を中心にして僕が決めている感覚に変わりました。
これは大きな改革でした。
おわりに:自分の人生の中心は自分
最近思うこと、それは他人の人生を生きるなということです。
- ホリエモン
- キングコング西野
- ひろゆき
- 箕輪厚介
- DaiGo
など著名な方の本や動画を読んで、見て、影響されている部分もありますが、全て鵜呑みにしなくても彼らの言っていることは、現代日本の僕たちに刺さるものが多いです。
「テレビを見るな」というわけではありませんが、自分にとって大事な、必要な情報を「テレビから得る」場合、受け身の情報にしかなりません。
そこに縛られて立ち止まっていると、自分の人生の大半を割くことになりかねません。
「それが自分の人生を生きていることだ」とは、到底思えませんよね。
時に人を楽しませたり、有益だったりする番組もあることは事実ですが、それは自分で「いいな」と思えば選んで見ればよいものなのです。
ずっとテレビを「つけっ放し」にしておいて、「いつか流れてこないかな?」と待つものではありません。
僕は時々、テレビをつけて番組表をチラ見していた時期もありましたが、失礼ながら面白くなさそうで消すということが幾度もありました。
もはや朝も、家に帰ってきてからもつけなくなってしまい、テレビを売ろうかとすら考えてしまいました。(結局売りました)
結果的に、テレビを見なくなったことで人生が豊かになりました。
それが僕にとっての答えであり、たとえ世間から取り残されても「価値のあることなのだ」と感じています。
必要ならば、たまにネット記事やSNSを見ることで、話題についていければ十分です。
報道番組の伝えているものが「全て真実で信憑性が高い」とも言えませんしね。
ということで、悟りを開きました笑。
テレビを見てダラダラ過ごす休日より、どこかに出かけたり運動したりしている時間のほうが、僕の体にも頭にも有益なのでしょうね。
世俗を離れて出家したようなものかもしれませんが、変わらず幸せを求めて行動していきたいと思います。
それではまた!
コメント