こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
人と関わっていますと、どうしても自分に向かって攻撃(口撃)してくる人がいます。
その背景には、
- 疲れ
- イラ立ち
- 妬(ねた)み
など、さまざまあるかと思います。
僕も以前はトガっていたものですから、周りから反感を買うような言動をしては「遠距離射撃」を受けたものでした笑。
陰口も言われたことがありまして、そのたびに自分の行動や言動を後悔したり、凹んだりしたものです。
今でも気に障ることを言われたり、理不尽な攻撃を受けたりしますが、以前ほど反応しなくなりました。
今日は僕なりの「攻撃に対する回避方法」を書いていきます。
相手のことを考えてみる
今朝も通勤途中のホームで、女子高生の肩がおじさんとぶつかってしまいました。
おじさんは、
と朝から大声で捨て台詞を吐いて、ホームを歩いていきました。
なんとも悲しいことです。
女の子相手にそんな言葉を言う時点で「論外」ですし、というかぶつかったら「大丈夫だった?」と心配するのが筋(すじ)ですよね。
以前の僕だったら、そんなおじさんを見た瞬間に頭に血が上り、
と、突っかかっていた可能性すらありました。(トガりすぎ笑)
今朝は、
と思う程度でした。
と言うつもりはありませんが笑、
- ストレスを溜めては他人にぶちまけたり
- 自分で抱え込んでは抱え切れなくなってしまったり
と、病んでいる印象が強いですよね。
今の僕には多少の余裕がありますので、相手のことを考えてみる時間を積極的に作るようになりました。
冒頭で書いたように、「攻撃してくる人」にはそれなりの理由や背景があります。
イライラして当たってくる人というのは、余裕がないことを意味します。
確かによくよく考えてみれば、僕の言動に対して言いたいことがある人たち(常に余裕がなくてイラ立っている)が、妙に突っかかってきた印象があります。
しかしそこで大切なことは、感情をぶつけてきた時に、
と思ってあげることです。
世の中にはいろんな人がいます。
僕は、
- たまたま
- ありがたいことに
- 余裕のある生活をしている
だけであって、そちら側の人たちが余裕を持って接してあげることが大切なのです。
何かキツい言葉を投げられても、
と思ってスルーするに限ります。
すると「攻撃」に対して反応しなくなるようになります。
いわゆる「スルースキル」ですね。
無理にスルーしようとするよりも、その人の背景を「勝手に」想像してしまうことが、いい対処方法だと思っています。
積極的に「忘れる」
以前にも「忘れる力」について書きました。
相手のこと思う…
しかし、余裕がないこともあります。
そんな時は、その人のことを考え過ぎてしまったり、言われたことを深く捉えてしまいがちになってしまうものです。
僕もそういった経験は幾度となくありました。
自分で「負のループ」にハマっていたものです。
しかし最近は、
と思いますが、それは一瞬だけであり、その後はいつのまにかそのことをすっかり忘れていることが多いです。
という程度にとどめておくようになったわけです。
「すぐに忘れること」ができないのであれば、別のことをしてみることが一番です。
他にある「やることリスト」をこなすことや、好きな人と会っている時間を取ることさえできれば、「攻撃されたこと」なんて頭の中から吹き飛んでしまいます。
イヤな思いに浸っている時間なんて、僕らにはありません。
そう考えるようになったおかげで、今ではイヤなことは積極的に忘れるようになりましたし、攻撃されたことを「いちいちグチらなく」もなりました。
一見、グチをこぼすことは精神衛生上良いことのように思えますが、今の僕はグチをこぼすことすらなくなりました。
つまり、攻撃されたことを「攻撃された」と認識すらしていないことにしてしまうのです。
「攻撃をした側」からすれば、気にも留められないほうがよっぽど悔しいはずですよね笑。
平穏な心を保つことは難しいことでもありますが、攻撃されたことについて思い詰めることで何のメリットがあるのかを考えれば、自ずと答えは出てきます。
もっと自分の人生に集中して、楽しく幸せに時間を過ごすほうが気持ちが良いのです。
あえて捨てることが「強さ」
そう豪語していた学生時代でしたが、なかなか感情をコントロールできなかったものでした。
少しずつ大人になってきますと、本当に強い人ほど、
- 優しく
- 紳士で
- 腰が低い
ということがわかりました。
人間、どこかに見栄やプライドが隠れていますと、わずかでもそれらが顔を出してしまいます。
本当の意味で「優しく」あるためには、何においても動じないことが大切ですよね。
そのためには、
- 屈強な精神
- 努力と忍耐
が必要だと思われがちですが、「その逆だ」とも思うようになりました。
それは「無であること」を目指すことを意味します。
自分の中にちょっとでも「人と戦おう」という気持ちがありますと、必ず「その要素」が顔を出してきてしまいます。
ある意味「無」に行き着くまでに「ちょっとしたトレーニング」と言いますか、思考を変えたり尊敬できる人物や書物に出会ったりする必要もあるかと思います。
とはいえ少しずつでもいいですので、
「相手の攻撃的な言葉に反発してしまう自分」
を取り除いていくこと。
「反発する要素」がなければないほど、相手のことを「スルーすること」ができるようになります。
昔はガムシャラに感情をコントロールしようとしていたものですが、実は「見栄やプライドを捨てること」で、反応する自分をなくしていくことができるようになるのです。
何も「感情を捨てろ」と言っているわけではありません。(結果、僕はマシーンみたいになりましたが笑)
自分の器が小さい時ほど、相手の「攻撃的な挑発」に過剰に乗っかってしまっていました。
本当に強い人が挑発に乗らないのは、
- 鍛えているから
- 精神的に強いから
- 格闘技などをやっているから
ではありません。
相手と競うような、小さなプライドがないからです。
そうして自分の器を小さくしてしまう部分を、「無」に近づけてゆくこと。
そうすれば、何を言われても動じないようになりますし、気にしなくなります。
そもそも、同じ土俵に立とうとすらしていないのですから。
おわりに
- 相手のことを思い
- 言われたことは忘れ
- 見栄やプライドは捨て去る
こうして人との摩擦が減った僕は、とても豊かな人生を歩めるようになりました。
「ただ優しくあればいい」というシンプルなことではなく、もっと「自分に向かうベクトル」について正しく解釈する必要があるのだとわかりました。
そもそも自分が攻撃に反応したり、イヤな気持ちになってしまうのは、相手の感情的な挑発に乗ってしまうからです。
相手の言葉を「気にしてしまう」ような、自分の中にある要素は一体何なのか。
これについて考えることが、意外にも近道になったりします。
本当にツラい時は離れること(ミュートやブロック)をオススメしていますが、それがまた難しいケースもありますよね。
「精神を鍛える」というアプローチ以外にも、自分という人物について深く知ろうとすることもまた大切です。
少しずつ、対処法を学んでいきましょう。
それではまた!
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