こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
たまにですが、
と思うことがあります。
もちろん、別に「メンタルが壊れた」とかそういう意味ではありません笑。
でも本当にたまに、ふとそう思ってしまうことがあるのです。
これは誰にでも起こりうることであり、僕が先生をやっていた時も、同じような気持ちになりました。
だから結局は、
- どこにいても
- 何をしていても
そう考えてしまうものなのです。
今日は「意味のないことかどうか」について書いていきます。
なぜ自分のやっていることに疑問が生まれるのか
とても定義が難しいのですが、「今自分のやっていること」が意味があるかどうかは、なかなか定義づけられません。
- お金になってる?
- 人を喜ばせている?
- 自分が満足している?
その「定義」は誰にでもできるものではありませんし、いわゆる “成功” みたいなことが「正しいこと」になるとも限りません。
例えば極端な例ですが、「炎上商法でお金を稼ぐこと」は(個人的な意見ですが笑)別に正しいとは思いませんし、幸せになれるとも思っていません。
そう考えた時、やはりそこに意味を見出したがるのが人間だからだと思いました。
要は、それが仮にお金を稼げたことであっても、人のためになっていることであっても、
と思って「しまうもの」なのですね。
僕は以前、学校の先生をやっていまして、
- 生徒のためにもなるし
- 地域のためにもなるし
- 保護者のためにもなるし
- 日本の未来のためにもなるし
素晴らしい職だと思っていたのにも関わらず、それでも辞めることに決めました。
給料も十二分にもらっていましたので、「正しいことをしていた」とも思っていましたが、
とも、同時に思ったわけですね。
また自分の幸せや自由度を鑑(かんが)みて、辞職することにしました。
つまり「正しそうに見えること」にすら、人間とは疑問を持つものなのです。
そこには、僕なりの満足感のようなものもありませんでした。
やる気のない先生たちとのチームも、あまり楽しくありませんでしたしね。
だからお金ややりがいに関わらず、様々かつ複雑な理由から、人間は「自分のやっていること」に疑問を投げかける生き物なんですよね。
そんな時はすぐに次の行動
「僕がやっていること」に対して、時に、
と思うことがあります。
それもしばしば笑。
- 朝活
- ブログ
- ダンス
- 言語学習
などはわかりやすいですね。
ただそれが実際のところは、
- 今の自分の幸福度を上げてくれる
- 将来の何かの役に立てるものになりうる
と思っています。
なぜなら、
です。
これには、誰も敵わないんですよね。
だから僕は行き詰まったり悩んだりしたら、
と切り替えるようにしています笑。
ウダウダ悩んでいても仕方がないからです。
そうやって続けてきた「英語」が、今となっては自分を救うことになりましたし、ダンスや言語学習、ランニングなどもたまにお金や社会資本(=人との繋がり)に繋がることがありました。
だから僕が一番に信じていることは、
ということです。
迷ったらすぐに行動。
それが多くの人が信じる、“何か(笑)” に繋がらなくてもいい。
多くの人は、
と思っていますが、先述した通り(僕の教員時代)、それが幸せに繋がるとは限りません。
仮にそうだとしたら、僕は教員時代に間違いのない「幸せ」を感じていたはずだからです。
ある意味、何も意味のないようなものに見えても、
- 自分が好きで
- 誰かのためになるようなことで
- もしかしたらお金にならないようなこと
であっても、やってみたらいい。
そのニーズや結果は世間が決めることであり、「やってみたもの勝ち」なのです。
自分に言い聞かすために言っているのではなくて、それだけ世間とは「不確かなこと」で溢れているということ。
多くの有名人たちが、
と言っているじゃないですか。
ただただ積み上げて、その時が来るのを待つのです。
意味のないことであり意味のあること
みなさんもご存知の通り、かの有名なスティーブ・ジョブズはこう言っています。
将来を予想して、点(知識や経験など)と点をつなぐことはできない。
後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。
今やっていることが、将来、自身の役に立つ(点と点がつながる)と信じて取り組みなさい。
これがまさに、僕が考えていたことでした。
無理やり点を繋げる必要はなくて、「自然と繋がっていくもの」だと思っています。
なぜか。
それは「自分が好きでやっているから」です。
自分の「好き」で固めたものは、本当に強く長く、自分を支える柱となります。
「〜たら、〜れば」の話にもなってしまいますが、例えば、
- ブログを続けていたら「会いたい」と言われた(実話)
- ランニングをしていたら仲間ができてビジネスの話がきた
- ダンスをしていたら「子どもに教えてほしい」と頼まれた
- サウナに行っていたら「一緒にサウナを作ろう」と言われた
- 言語学習をしていたら学習方法を参考にしたいと取材を受けた
など、考えられる「未来」は誰にもわからず、上のような「もしかしたら」が起こる可能性もあります。
もちろん、自分から仕掛けなければならないこともありますし、何かが起こるのを待っているだけではダメです。
だからこそ僕自身も発信を続けています。
実はチャンスはいろんなところに転がっていて、それを「意味のないもの」として捨ててしまっている人は、とても多いと思っています。
それは先述したような、
という感情が原因ですね。
だからみんなやめてしまいますし、「もういいや」と言って投げ出してしまいます。
- 迷ったり
- 意味がないと感じたり
しても、また行動して続けていくことです。(もちろん切ってもいい)
人間ですから、迷うこともあれば苦しむこともあります。
それでもその先の未来は、誰にもわかりません。
スティーブ・ジョブズの言葉を信じろとは言いませんが、僕は彼の言葉は当たっていると思っています。
でなければ、僕が英語を学んでいたことで世界一周や個人事業に繋がったことが、ウソになってしまうからです。
僕も35歳になってこんな風になっているだなんて、考えてもいませんでした笑。
人生って、そういうものなんです。
だからふとした無気力感や脱力感のような瞬間があっても、何とかやっていきましょう。
失敗は付きものです。
気にせず走り続けていきましょうね。
おわりに
ふとした瞬間に訪れる、
症候群笑。
でもそれは普通のこと。
そんな嵐も乗り越えて、自分を信じ続けることができるか。
頑張っていきましょう。
それではまた!
コメント