こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
読み進めています「静かな人の戦略書」には、
「無理をして、自分を偽(いつわ)る必要はない」
と書かれています。
僕自身、
- 他人の望む人柄
- 人生はこうあるべきという妄想
を思い描いて生きてきたものでした。
本当は窮屈だったはずなのに、どこかで自分にウソをついて生きてきたのだと思います。
今日は「ありのままの自分でいること」について書いていきます。
偽りの自分を作らないこと
- 「静かな人」が無理に大声を出したり
- 「積極的な人」が家に閉じこもったり
していては、どうしてもストレスが溜まってしまうものです。
以前の僕は、勉強ができるいわゆる「優等生」を目指して勉学に励んでいました。
もちろん勉強は好きだったので、無理をしていたというわけではありませんでしたが、「こうあるべき」という固定観念にはとらわれていたと思います。
それはとても狭い視野であり、同時に他人を認められていない状態でもありました。
「本来ありたい自分」でないというだけで、
- 自分にウソをつくと同時に
- 他人にもその形を強要してしまう
という、非常に悪い部類の「悪循環」に陥ります。
- それは他人が望む像なのか
- それとも環境や空気感に自分がただ合わせているのか
特に日本ですと、「空気感を大切にすること」はとても強制力があり、僕は吐き気がします笑。
言い換えれば「他人の目」が気になることなのでしょうが、そんなものは本来気にしなくていいはずです。
「自分のなりたい自分」をどこかで押し殺すだけで、これだけのデメリットがあることを忘れてはいけませんよね。
さらに言えば、
- 今やりたいこと
- 今しかできないこと
を「しないこと」もまた、自分の欲求にフタをしていることと同じでしょう。
与えられた「人生」という限られた時間の中で、やりたいことができていない状態が続き、最期を迎えたとしたら、みなさんはどう感じるでしょうか。
僕は2年間、ずっとそのことについて考えてきました。
という、シンプルな答えでした。
これこそが、僕の求めていた「ありのままの自分」だったのでした。
そう思ってから、
- 時間の使い方
- お金の使い方
- 人との関わり方
- 仕事への関わり方
が「180°」変わりました。
これが僕にとって、自分に素直になれた瞬間だったのかなと思っています。
人のせいにしない
僕が自分らしくいられるようになったのは、そこまで最近のことではありません。
実はトガっていた時代から、
と、強く主張する派でした。
言い方はいろいろありますが笑、若い時からそうやって「自分」を強く貫いてきました。
一方で「頑固だったこと」もあって、人とぶつかることもしばしばありました。
今の自分はとても柔らかくなったのは間違いないですが、大きく変わった点は「人や環境のせいにしなくなった」ことだったと思います。
自分のやりたいことができない状況に対して、以前は自分で何かを変えようとしませんでした。
グチや文句を言うだけであり、どこかで人のせいにしていました。
実はこれ、「自分らしくいられないこと」の典型例だと思っています。
人の目を気にしたり、同調圧力に屈することとはまた違い、
と人のせいにすることで、今の自分の状況を正当化することです。
僕のように「自分を強く持っている」ように見えても、
「ありのままでいられない原因は他人や環境にある」
としてしまう考え方です。
本当は「自分に原因がある」のに、それを認めようとしないこと。
これはこれで悪い習慣ですよね。
もし僕がこのままの性格でしたら、教員を続けつつもずっとグチグチ言って、定年を迎えていたと思います笑。
もし当時こう言われていたら、ぐうの音も出なかったと思います。
「ありのままでいること」は、簡単そうに見えて「越えるべき壁」があります。
しかしどれをとってみても、結局は自分で作っている壁ばかりなのですね。
その事実に気づいてからというもの、僕の性格はとても丸くなり「自分の行動」にフォーカスを当てられるようになりました。
本当はとても簡単な話なはずなのです。
「自分らしくあること」を大きく妨げているのは、他ならぬ「自分」です。
自分に素直になることで、ありのままの自分でいられるようにしてみましょう。
ありのままのあなたでいよう
いろんな障壁を越えることができたのならば、もうあなたは「ありのまま」の自分であり、好きなように生きているはずです。
少しでも納得できていないのならば、何かを変える必要がありますけどね。
「ありのままでいる」ためには「スイッチ1つで変わることができる」と、僕は思っています。
要は「自分の中にある障壁」を、意図的に取り払えばいいだけの話だからです。
比べるべきは、
- ウソ偽りで塗り固めた自分
- 人に何を言われようともありのままでいる自分
の2つです。
どちらがいいのか。
一目瞭然ですね。
それでもなぜ、自分で自分の人生に「訳のわからないレール」を敷いてしまうのか。
それは、
これに尽きます。
レールを敷く(敷いてもらう)ほうが楽ですし、人との摩擦をいちいち生まなくていいからです。
ただ、それがいかに楽(らく)なものであっても、僕は選ぶべきではない選択だと思っています。
人間はもっと「自由だから」です。
ありのままでいると、不都合があります。
それは当然のことです。
社会がいつでも、あなたに合わせて形を変えてくれるようなものではないからです。
とはいえ、人間は群れを成す社会的動物ですから、
- ルールに従わなくていい
- モラルに反することをしてもいい
と言っているわけでもありません。
しかしそれらを差し引いても、人間は元々「自由な生き物」です。
だったら、ある程度の範囲内で自由にやったらいい。
たまに、
- 社会が提示した理想像に
- 他人が提供してくるくだらない形に
合わない時もあるかもしれません。
それでも自分のありのままを通すことが、僕は人間としての本来のあり方だと思っています。
型にハマる必要なんてありませんし、型を要求してくる人に耳を貸す道理もありません。
ありのままのあなたでいることのほうが、人生はよっぽど幸せになります。
そして、そんな「あなた」を愛してくれる人を探し、出会っていきましょう。
ありのままでいることは自分にもストレスがかかりませんし、そのほうが人間関係も結果的にうまくいったりするものです。
自分の欲求にフタをせずに、自分らしく生きていきましょう。
おわりに
現代に生きる人たちは、「仮面」をかぶっては自分をひた隠しにする傾向があります。
僕自身もそうだったからこそ、言えることなのです。
そんな自分よりも、ありのままの自分でいる人たちが溢れている社会のほうが、幸せで豊かな社会になること間違いありません。
人の目や他人の要求を気にせず、そして人のせいにしないで自分を貫いていくことができれば、未来はきっと明るいはずです。
何のしがらみもない「ありのままの自分」は、実はあなたの目の前にいます。
自分にウソをつかずに、本心に素直に従って人生を生きていきましょう。
それではまた!
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