こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
覚悟はしていた別れでしたが、本日未明、父が旅立ちました。
以前にも父のことを書いたことがありましたが、今思い返しても奇跡の連続でした。
全てを忘れてしまった父と宮城へ帰省したあの時間も、ほんの一年前(2024年1月)だったのですから驚きです。
先日(2025年1月1日)、家族全員で病院に行った時も、スマホで動画を見せたら楽しそうに笑っていました。
昨日は「最期」だと思って、
と反応のない父に一言伝え、病院を去ったその深夜に、父は旅立ちました。
今朝は全く寝られませんでした。
今日はそんな僕の父について、書いていきたいと思います。
前へ進め
こうして自分が普通にブログを書いていることに驚きましたが、以前にも書いていたように、僕はとてもたくさん「死」について考えてきたからこそ、今を受け入れられているのだと思っています。
- 東北で震災があった時
- コロナ禍が始まった時
僕らは、
と、不安な毎日を過ごしていました。
でも僕は、その中でも必死にその日を生きようと抗(あらが)い、もがいていました。
東北の震災の時の「不謹慎」には、真っ向から反対したものです。
と。
若かったものです。
もちろん、震災の時もコロナの時も、その場にいたみなさんならおわかりの通り、「異常事態」でしたから、誰が悪いと言うことはできません。
こんな一青年の言葉なんてかぼそく、誰にも届くことはありませんでした。
その時ほど僕は、人間の集団のマインドを嫌ったことはありませんでしたね。
人間、この世に生まれてきた以上、明日何が起こるかなんてわかりません。
それなのに立ち止まってしまうことに、僕はどうしても納得することができなくて、
と思ってしまったのです。
僕の大好きなワンピースという漫画で、ルフィの仲間の一人であるペドロが犠牲となって、主人公たちを逃がすシーンがあります。
その際、後ろを振り返ることなく進んだジンベエというキャラクターのセリフが、今でも僕の心に残っています。
リンク
お前達の中のペドロは言うておらんか?
「進め」と!!!!
変わらない毎日を生きること。
これがどれだけ尊く、稀有(けう)なことなのか。
そしていかに難しいことなのかを、恥ずかしながら僕は数年前に唐突に理解しました。
いろんな感情が渦まく中で、いつも通りに生きることは確かに難しいことなのかもしれません。
それでも僕は、前に進みたいと思いました。
それは僕が強いからじゃありません。
漫画ワンピースの作中でも、ルフィは言っています。
死ぬことは恩返しじゃねえぞ!!!
そんなつもりで助けてくれたんじゃねェ!!!
生かしてもらって死ぬなんて弱ェ奴のやることだ!!!
僕が死んだように生きていたら、父はどう思うでしょうか。
父に恩返しをするつもりなら、今日を必死に生きてゆくのです。
失うことの意味
人生についていろいろと考え始めたここ数年でしたが、僕は「何かを与えること」に意識を向けることが多く、「受け取ること」を意識したことがあまりなくなっていました。
それと同時に、僕は「失うことも多かった」ということからも、実は目を背けていたことになります。
これは表裏一体のものであり、
という事実があることを、僕は知らなければなりませんでした。
「失う」ということは、それまでに「満たされていた」ということも意味します。
「何かを失った」という表現は、裏を返せば「何かを受け取ってきた」ということです。
受け取っていなければ、失うことはできないからです。
僕が父を失ったのは、それだけ「父から受け取ってきたものがあった」ということでした。
「走馬灯」とは、人が死ぬ直前やそれほどの危機に瀕した時に見るものだと言われていますが、なぜか僕にも、父との過去の思い出がフラッシュバックしました。
あの時の笑顔や、声色、話し方など、いろんな思い出が脳裏に浮かんでは消えていきました。
僕は「親孝行」なんてこれっぽっちもしてこなかったですし、薄情な人間でしたが、それでもやはり父からは。たくさんの愛を受け取ってきたのだと思っています。
大学時代から社会人にかけて、あまり父と顔を合わせることはなかったものの、
という安心感はありました。
それだけ、僕が “失った” ということに意味があるほど、父の存在は大きかったということです。
ただ、それはただただ「1から0になった」ということを、意味しているわけではありません。
受け取った愛をまた僕が与えられるように、父の意志が生き続けられるように、僕はまた今日を生きてゆくのです。
それでも僕は今を生きる
漫画ワンピースで、エースを失ったルフィにかけたジンベエの言葉が甦ります。
失った物ばかり数えるな!!!
無いものは無い!!! 確認せい!!
お前にまだ残っておる物はなんじゃ!!!
今を生きることができるのは、今を生きている僕、そしてそれに続く若い世代の子たちです。
まだ胸の中がモヤモヤしたまま、午前中の授業を終えて外に出た僕は、冬の澄み渡った綺麗な空を見上げてふと思いました。
と。
空気だって吸えるし、ご飯だって美味しい。
こうして歩くことだってできるし、友達と笑いながら話すことだってできる。
こんな…
こんな幸せを、今まで気づけなかったほどの幸せを、僕は今、感じているじゃないか。
父の生きたかった明日を、僕は生きていました。
そんな小さくて大切な、目の前の幸せにすら気づけていなかったのは、コロナ禍前の僕でした。
でも今はちゃんと自分と向き合って、
と、必死に生きるようになりました。
別に父が旅立ったから、改めて命の尊さを説くのではありません。
そうやって生きていないと、この人生はいつの間にか終わってしまうからです。
そして何より、残された僕らの目の前には大切な人たちがいますからね。
それは、
- 家族でも
- 恋人でも
- 仲間でも
- 友人でも
- ペットでも
ありますし、そしてこの世界でもあります。
そんな「大切な今」を生きることができるのはもちろん、今を生きている僕らだけなのです。
いろいろ思うことはありましたし、ここ数日はまともに寝られていませんでした。
でもだからと言って、今を大切に生きない理由にはなりませんし、かまってもらいたいわけでもありません。
何度も言いますが、僕は決して強い人間ではないです。
- 意志は弱いし
- 弱音だって吐くし
- うまくいかないことばかりだし
ずっと失敗ばかりで、到底人に誇れるような人生を送ってきたとは言えませんでした。
でも僕は、「今を生きること」に関して言えば、誰よりも胸を張って誇りを持てているのだと思っています。
そして何より、目の前にたくさんの大切な人がいる、豊かな人生となりました。
それだけで父は、
と、きっと褒めてくれると思います。
僕は父の分まで、父の見られなかった、見たかった景色まで見られるように、これからも精一杯生きるつもりです。
父が最後の最後まで必死に生きたように、僕も最期のその瞬間まで、後悔することなく前に進み続けます。
おわりに
小学生の時に考えていました。
って。
それから怖くなって、トイレで急に泣き出したことを覚えています。
父は、最期まで必死に生きていました。
だから僕も、その後のことは「その時が来たら考える」ことにします。
70歳という若さでこの世を去った父へ。
ありがとう。
お疲れ様。
それではまた!
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