こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
これが僕の一番のモットーであり、
と思っているのが本音です。
もちろん、
と思わされることは、今でも多々ありますけれどね笑。
でもそう思わないのは「自分は凡人だ」ということを、誰よりも理解しているからなのだと思っています。
いまだに自分が特別だと思うことはなくて、
- 朝活して
- 授業して
- ブログ書いて
- インスタあげて
- 言語学習をして
- 再び夕方から授業をする
という、誰よりも普通な毎日を送っている自信があります笑。
今日は、僕が思う「地道に続けること」について書いていきます。
一番の罠は特別な方法
言語学習において、特によく聞かれることですが、
や、
などということです。
結論から言えば、
- 根性
- 気合い
が一番です笑。
と言われそうですが、事実なのだから仕方ありません。
- どんな芸術家も
- どんなトップアスリートも
- どんなインフルエンサーも
背景に「地道な下積み」があるからこそ、長年をかけて初めて大成します。
僕もそれは否定しませんが、トップに立ち続けている人たちほど、今でも努力をしていますし、それを辞めた時点で「右肩下がりになってゆく未来」しかありません。
言語学習もスポーツに似ているのですが、
- 飛び級なんてない
- 特別な力なんて不要
という事実があります。
センスは二の次、三の次の話でして(あるいは後付け)、まずは継続してやっていく必要があります。
帰国子女たち(数年海外にいた子たち)が日本に帰って英語が喋れなくなる現象というのは、英語がスポーツに近いからです。
もちろん、海外にどれだけ長くいたかによって変わりますし、僕らが20〜30代で日本から海外に行っても絶対に日本語を忘れないように、それだけ自分の中に染み付いていると話は変わってきます。(海外に行っても日本語を使い続けるでしょうしね)
要は「とにかく地味に/地道に続けること」しかなくて、それ以外の道はないということです。
しかし、
と探してしまっている人は、実際の現実世界では圧倒的に多いです。
いつも僕らがやるべきことは、毎日地道に勉強すること。
学問に王道はありません。
この場合の「王道」とは近道や楽(らく)な道のようなイメージで、本来はこちらが正しい使い方ですね。
ただ現代では、勉強スタイルとしては地道な “王道(=定番)のスタイル” が大事だということなのです。
地道だけどそれが自己流になる
僕がどうしてここまで「地道な学習法」をお伝えしているのかといえば、それは僕の経験上「そうだから」です笑。
それ以外に特別な方法なんてなくて、それがあったら誰だって苦労していないのは間違いありません。
そういうのに飛びついてしまう人ほど、
- どこかで楽をしたい
- 簡単に何かを身につけたい
という人だということ。
前提としてそれは「無理」だということを、わかっておかなければなりません。
地道に続けてきたことでわかること。
それは何かといえば、王道(=正攻法)でありながらも、実はちょっとした「自己流」が生まれるということです。
- 費やした時間
- 使った参考書
など、自分がやってみてうまくいったこと(いかなかったこと)を、他の人に伝えられるということです。
ただ「地道な王道」には、ある程度の再現性(誰でもできる可能性)があるため、あまり差が生まれることはありません。
そのため、
と言ってくる人がいるというわけですね笑。
でも僕は「この道以外にない」と思うからこそ、
- 地道にやりながらも
- 自分なりに挫折したこと
- 自分なりに伸ばせたこと
を伝えるようにしています。
ちょっと矛盾しているようにも聞こえますが、「再現性のある王道(=正攻法)」とは、実はそれはそれでオリジナリティがあるのです。
それぞれが歩んだ「道」があるからこそ、なのですね。
だからいつまでも「王道(=正攻法)」でいいのです。
その道中はつまずくこともありますし、うまくいかないこともあります。
と不安になることもあります。
しかし、やるべきことはいつの時代も変わりません。
楽な方法を見つけようとするのではなく、地道な王道を一歩ずつ踏み締めてゆくこと。
もしかしたら、数年かかるものもあるでしょう。
でも僕の経験上、それが一番 “速い” のです。
その経験は自分なりの「道」となりますから、あきらめずに自分の道を行きましょう。
必ず外れずに地道にやること
先述した通り「誰かすでにできている人」を見ますと、どうしても目移りしてしまう人とはいるものです。
しかし大切なのは、「自分なりに地道に学習を続けてゆくこと」であり、大成している人の中に特別な力を持っている人なんて、誰もいやしません。
何年もかけて培ったものであり、”結果” だけを見ていますと、どんどんとその「罠」にハマっていってしまいます。
僕が若かりし頃、富裕層を横目で見ていた時も、
と思い込んでいました笑。
当然そんなことはなくて、彼らは地道に人のためにできることをやり続けていただけでした。
この歳になっても「地道に進んでゆくこと」こそが、
と、そう信じています。
みんな楽(らく)をしたいのだと思いますが、僕はその「逆」です。
ある意味、そう思い込んでいるからこそ、横道に外れることを拒絶させてくれます。
仮にそんな方法があったとしても、そこにオリジナリティなんて生まれるわけはない。
と言っているような、そんな風にしか聞こえないのです。
経験も伴わないどころか、なんのやりがいもありませんよね。
だから正規の道から外れてはいけないですし、特別な方法なんてどこを探したって「ない」のです。
みなさんだって「自分の経験」があるからこそ、自信を持って言えることがありますよね。
それは、
- かけてきた時間
- 費やしてきた努力
があるからこそ。
気合いと根性だなんて昭和的な発想かもしれませんが、実はそれが一番強いということも、回り回ってみなさん自身が実感していることではないでしょうか。
もちろん、効率性を求めることもいいことですし、いい教材やいいプラットフォームを使えるのであれば、そのほうがいいに決まっています。
ただ、それでも時間はかかり、努力はいつでも必要とされているということ。
この事実を忘れないことです。
目移りする人とは、潜在的にそうした「近道」を見つけたがっているという意識があるということを、肝に銘じておきましょうね。
おわりに
僕は決して、こうした「キレイごと」を言いたいわけではありません。
ただ、何かを成し遂げたいと思うのであれば、それは当然のことながら一朝一夕で叶えられるものではないという、とてもシンプルなことを伝えたいのです。
努力はいくらでもしたらいいですし、その経験がきっと自分を救うこととなります。
だからいつでも地道に、王道で正攻法なスタイルを貫いていきましょう。
それではまた!
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