聖人を目指していくために必要なこととは?【悟りを開いて生きる】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと話していますと、ありがたいことに、

解せないんですよね。なんでせいじさんって彼女がいないのか。たぶん、今は文法が恋人なんじゃないかって思うんですよ

と言われました。(ありがたいのか?笑)

僕は一度、結婚離婚を経験していますので、他の人よりは少し経験があるのかもしれません。

僕が変わっていった状況は、このブログを通して散々書いてきましたが、改めて僕の目指す「人物像」について書いていきます。

僕は聖人を目指しているのかもしれない。誰にでも公平に優しく、人のために生きていける人になるのだ。

僕が目指す聖人

聖人」と一口に言っても、

一体どんな人?

と思うのが普通でしょう。

聖人とは、

  • 徳を積み
  • 人格が清廉で
  • 模範となるような生き方

ができる人だそうです。

残念ながら、僕はまだその境地に至ってはおりませんが、結婚をする前に比べれば、

  • 毎日を生き
  • 忖度はしないし
  • 顔色を伺うこともないし

と本当の意味で、ちゃんと心から人とぶつかれるようになったと思っています。

聖人とは、決して「ただただ優しい人」というわけではありません。

以前の僕は勘違いをしていまして、

どうやったら、あの人みたいに優しくなれるだろうか?

と、いわゆる “優しい人” を目指していました。

ちゃんと「人として」成長していくために、僕はいろんなことを知らなければなりませんでした。

  • 自分の弱さを受け入れること
  • 毎日を正しく生きていくこと
  • 人に媚びずに自分らしくあること

などなど。

たくさん本を読み、以前よりとても柔軟になったと思っています。

一方で「いち講師」として、

こうしたほうがいい

と、生徒さんたちにもはっきりと意見を言うようにもなりました。

別に、人を傷つけるために意見しているのではありません。

自分はこういう経験をしてきたから、こう思う

と、素直に言うようにしているのです。

聖人とは、誰にでも “ただ優しい人” ではありませんからね。

相手をまっすぐ公平にみて、正しいと思うことを伝えられるような、そんな人だと思うのです。

いつでもフラットに、そして成長し学び続ける人

ここを目指して、僕は多くの人と関わるようにしているのです。

聖人とは、決して優れていたり、優しい人であったりするわけではない。いつも自然体で、軸をブラすことなく生きていける人のことだ。

優しい人って?

僕は離婚してから、もうあまりパートナーを作ることについては、考えなくなってしまいました。

もちろん、人生は何が起こるかわかりませんから、この先何が起こるかは僕にもわかりません。

ただ、生徒さんが僕のことを不思議に思ったように、

確かに昔の僕だったら、何がなんでも彼女が欲しかったものだなぁ

と、ふと思いました。

僕はたぶん、もっと広い意味で「人を愛すこと」を大事にするようになったのだと思っています。

人に優しくなった僕は、本当の意味での「優しさ」を知るようになります。

それは、

  • 優しい言葉をかけてあげる
  • 相手のことを思っているふりをする

といった表面上のことではなくて、

  1. ちゃんと自分らしく生きて
  2. どんな人にも正しく接すること

でした。

前者は、回り回って「自分がかわいい」と思っている人だからですね。

パートナーと生きていくことや、家族を築くことも素晴らしいことですが、

まずは自分の人生で、今まで誰かのために生きてきたことがあるのか?

と、考えたのです。

いつも自分勝手だった自分。

彼女を作る前に、やるべきことがあるだろ?

と。

こんなダメダメだった自分も、なんだかんだで変わることができましたし、まだ変わっている最中なのだと思っています。

「本当に優しい人」を目指すために、僕はまだまだ修行中です。

もっともっと、人格者として素晴らしい人にならなければなりません。

「ただ性格が優しい」なんて人はいくらでもいますしね。

というか基本的には、みんな “優しい” のです。

そんな人が「聖人と言えるのか?」と言われれば、みなさんも「それは違う」と言うでしょう。

本当に優しければ、自分は自分の人生に集中して、

あなたの人生は、あなた自身が決めろ

とはっきりと言えるはずです。

僕はそんな人になりたかったですし、今は他人に「変な感情移入」をすることもなくなりました。

聖人を目指すなら、ブレてはいけません。

ちゃんと自分らしく、朗(ほが)らかに生きるからこそ、周りの人にも優しくできるのです。

本当の意味での優しい人とは、自分らしくある人だ。他人の人生に干渉しようとしている時点で、それは優しいとは言えない。

どんな未来を描く?

さて、生徒さんからそんな風に「不思議に」思われた僕ですが笑、確かにイイ歳でもありますね。

そろそろパートナーを作って家族を築かなければ…

と思うお年頃です笑。

しかし個人的には、先述したように「今自分がやるべきこと」が目の前にたくさんあって、それはパートナーがいることでできることもあるでしょうけれど、今はそこに割いている暇がありません。

実際、公務員(=教員)として働いていた時もそうでしたけれど、めちゃくちゃ忙しかったことを覚えています。

今思えば、

よく、あの時間のない中でやっていたなぁ笑

とも思います。

時間とは無理やり捻出するものでもありますが、やはりお互いが心地よく、やりたいようにやれるパートナー同士である必要がありますよね。

ただ、この関係を突き詰めていきますと、

それならパートナーである必要ってなくない?

となります笑。

だから今の僕には、やるべきことがもっともっとあるのではないかなと。

多くの人のために生きていくことはとても幸せですし、このご時世、そうした生き方も大いにありです。

そうやってまずは、自分の人生をちゃんと生き抜くことなのかなと。

今は、現在ある仕事に自分の時間を割くので精一杯ですしね。

以前と比べれば、「人のために生きること」を実践できているような、そんな手応えを感じることができています。

先生を辞めて個人事業主として一年やってみて、これからももっと何かできないかな?

と考える毎日は、とても楽しくて幸せです。

パートナーと愛を育むことも、一つの「聖人」としてのカタチなのかもしれませんが、結婚生活を経験した僕からしたら、

いや今は、もっともっと以前よりも自分のことをまず頑張りたい

という思いのほうが強いです。

これは一種の「悟り」みたいなものですかね笑。

別に仏教徒ではありませんし、僕よりも素晴らしい生き方をしている人なんていっぱいいますから、偉そうに言えたことでもありません。

それでも、自分の人生において、

  • 何が幸せで
  • 何が大切なのか

を、少なくとも以前の僕よりはずっと理解し、より深く理解しようと努力をしています。

毎日を必死に生きている姿は、以前の僕とは比べものになりません。

「そんな人」が僕の目指す生き方であり、これからも成長し続ける人でありたいですね。

そこに「誰かとの未来」があってもいいのですが、まだ僕には描けるほどの余裕がありません。

まだまだこれから。

個人事業主2年目も頑張って生きて、目指すべき「聖人」となるのです。

パートナーを作って家庭を築くことも、また一つのあり方だと思う。しかし今の僕には、自分の人生をしっかりと生き抜き、人のために生きる必要があると思っているのだ。

おわりに

「聖人になる」とは、一種の悟りみたいなものだと思うのですが、僕は億万長者たちとはまた違ったカタチで、『自分なりの人生』を描けるようになりました。

いつまでも頑張り続けなければいけないのでしょうけれど、今の僕にとってはそれが心地いい。

人に表面上だけで優しくするような人にもなりたくないし、それでいて同時に成長を続けたい。

そんな人を目指しています。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました