こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いろんな生徒さんとお話ししていますと、
- 悩み
- 意見
などを聞いて、幅広い雑談をします。
僕は基本的には「平和的に」話をしたいのですが、

と受け入れつつも、できる限り客観的な意見を伝えるようにしています。
僕が「100%客観性のある人間だ」とは言い切れませんが、大抵の場合は、
と言われ、主観的に話を進められた結果、会わなくなってしまう人もいます。
それはそれでいいのですが。
今日は僕が「客観的に話すためにしていること」について書いていきます。
人に好かれようとしない
僕がここ数年(2021年〜)で大事にしていることは、

という気持ちになったということでした。
仲の良い友人であれば、お互い理解が前提にあるので話しやすいですが、だからと言って自分の意見や考え方を曲げるわけではありません。
頑固になってもいけないのですが、迎合してもいけませんよね。

と、思ったことはハッキリと言うということです。
多くの国民から嫌われているひろゆきさんや堀江貴文さんなどのインフルエンサーたちも笑、僕は著書を読んだのでとても共感する部分はありますし、

と思うことも多々あります。
軸をブラさないことは大事ではありますが、人間なので感情や立場から「言ってしまうこと」もあります。
僕だって偉そうにブログを書いていますが笑、ここ数年で、
- 修正したり
- 変化を加えたり
したことはあります。
要は「お互い様だ」ということ。
人の批判をするのは簡単ですが、それはブーメランとして自分に返ってきます。
だから僕は、

と、こう解釈しています。
は、いわゆる思考停止状態だということ。
人には必ず誤差としてのブレはありますし、時代や立場とともに「言うことが変わること」もあります。
客観性を保つためには、一歩下がって、
と、冷静さを取り戻す必要があるんですよね。
相手の意見を聞き入れる
議論をしていますと、一方的に意見をぶつけてくる人もいます。

と、頑なに意見を変えない人もいます笑。
- 軸がしっかりしていることと
- 頑固になって他人の意見を聞き入れないことと
は、全く別の話です。
僕自身も朝活などで気をつけていることですが、

と、注意しています。
気持ちのいい仲間たちと議論をし合うのは、とても好きな時間です。
ただその際、他の人の意見が出た時でも、

と、受け入れることができているかどうかということ。
ここを気をつけなければ、どこかで「独裁国家」が生まれてしまいかねません。

と、僕がこうなってしまったら、人は離れていくことでしょう。
別にこれは、自分がホストではなくても起こり得ることです。
漫画ワンピースでは、仲間を侮辱された時に、登場人物が怒るようなシーンがあります。
仲間のためにムキになれることは、それはそれとして素晴らしいことです。
一方で、先述した通り、
と、このような考え方をしていてはいけません。
僕も「選挙の時」にヘンな人たちとやり合いましたが笑、
- 一党だけを支持して盲信的になり
- どんな意見も頑なに受け入れないようにした
というわけではありませんでした。
一方で反論してきた人は、「この人の言っていることは全部ダメ」と決めつけているだけでした。
僕もいたらない部分はありますが、

とある程度調べ直したり、自分なりに客観性を持ったりすることで、

と返しました。
感情的になることと、それを言葉に直接乗せてしまうことはわけが違います。
例え感情的になったとしても、意見陳述の時には客観性を “伴わせようと” するべきなのですね。
ものごとには必ず両面がある
この「客観性を持たせる」という姿勢は、僕が勉強してきたり議論をしてきたりしたために身についたものでもありますが、

でもあります笑。
今でもたくさんネット検索しますし、本も読むようにしています。
僕はもしかしたら、「矛盾/ダブルスタンダード」と言われる類(たぐい)に見えるのかもしれません。
- 自分のことは愛せ、大切にしろと言いつつ
- 常に自分の意見が正しいとは限らないと思っている
からです笑。
しかし、こうした、
- 感情的な気持ち
- 事務的で論理的な話
は、分けて考えるべきだと思っています。
僕にも応援したい人はいますし、ちょっとくらい好きな人もいます笑。
ただ、だからと言って全面的にその人に加担しようとしますと、どこかで「感情移入」してしまう危険性があります。
逆もまた然りで、人のことをキラいになりますと、
といった現象もあります。
僕は自分のことを愛せとか、人間関係では不要なものは切り捨てたほうがいいとか言いますが、それは自衛的な手段として言っていることが主(おも)です。
仮に苦手な人と出会ったところで、別に暴言を吐き捨てるわけでもありません。
合わない人とは離れたらいいですし、好きな人とは付き合っていったらいい。
かといって、いつも一緒にいる人の意見が全部正しいわけでもありませんし、僕に100%同意してくれる人たちだけを周りに置いていてもよろしくない。
意見の相違は「いつでもどこでも起こり得る」ことであり、僕も含めて「完璧な人間」など、この世に存在しないのです。
僕には好きなこともキラいなこともありますし、意見が偏ることだってあります。
その是々非々を、都度都度判断してゆくことが、僕ら人間にある「理性」の正しい使い方ではないでしょうかね。
僕もたまにムキになることもありますし笑。
でも、だからと言って人の意見を頭ごなしに全否定したり、全く聞き入れなかったりするわけではありません。
ヒートアップしたとしても、議論を続けようとすることができているかどうか。
この点を追求していきたいですね。
おわりに
日本人にとって、議論することは苦手なことなのかもしれません。
まず、
- 誰にでも欠陥があり
- それを認めることから始める
これができない人ほど、相手の欠点ばかりを責めて、自分のできていないところを認めようとはしません。
人一人とってみても、その意見は多岐に渡るため、

なんてことはザラにあります。
いつでも是々非々であること。
そうしたら、お互いを認めて議論ができるのではないかなと。
それではまた!
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