こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から読んでいます、『Netflix』のお話。
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少しずつ読んでいますと、どうやらNetflixでは「率直にモノを言い合うようにする」という文化があるそうなのです。
なるほど。
適切なフィードバックがあれば、自分の気づかなかった部分にも気づけるようになりますからね。
僕も教員時代は、いろんな先生と議論になったり言い合いになったり、あるいはそういった現場を見たりしていたものでしたが、同時に、
という事実を実感したものでした。
今日は言い方や率直に言うことの大切さ、そして気を付けるべき点について書いていきます。
はっきり言うこと

Netflixでは「はっきりとモノを言うこと」をよしとしているらしく、上司にも、
- 話が長い
- 効率が悪い
- これじゃうまくいかない
など、率直なフィードバックが来るそうです。
みなさんも経験があるかと思いますが、指摘されると人とは「むっ」としてしまいますよね。
僕も例外ではなく、
と言われることは山ほどあります。
教員時代にもこっぴどく注意されたものでしたが笑、
とも思います。
もちろん、みんながみんな正しいわけでもありませんし、指摘自体が間違っていることもあります。
どちらが偉いというわけではなくて、
これが大事なのだと思うんですよね。
だから「はっきり言っている側」の気持ちの中に、
という気持ちが見えた瞬間から、相手は聞く耳を持たなくなります。
「相手に伝える」のであれば、そこには相手への配慮も必要です。
Netflixでは、人前でそうしたフィードバックがなされます。
それでも、
と思ったら、それだけのこと。
というような人は、どうやら逆に会社から注意を受けてしまうようです。
別に言い合いの応酬ではないということ。
これが、Netflixが成長した一因なのでしょうね。
言い方に気を付ける

特に「言い方」には気をつけなければなりません。
Netflixでは、注意を受けるようなペナルティのようなものがあるのだと思います。
これは、
- 社会においても
- 会社においても
- 友人間においても
そうだと思っています。
SNS等でもそうですが、「何を言ってもいい」と思って罵詈雑言を浴びせる人がいますが、
と思います笑。
たとえ僕が支持しているような人であっても、あまりにも口が悪い場合は、
と思うことはあります。
じゃダメですよね。
学校の教員時代でも、
- 教員同士
- 教師から生徒
で、厳しい「もの言い」はよくありました。
友人同士でもよくありますし、僕がホストをしている「朝活」でもそういうことが起こりました。
要は、この社会ではそういうことが日常茶飯事だということですね。
- 態度
- 言い方
とは、いつになっても大事なこと。
僕はもう同僚と呼べるような人はおらず、今は友人や “元同僚” と会うことはあっても、特に言い合う場面もありません。
SNSもいろいろとやってはいますが、攻撃的な発信はしないようにしています。
このブログで批判的なことや自分の意見は言いますが、「不愉快だ!」と言われたこともありません。(意見の違いはあるかと思いますが)
しかし一方で、若かりし頃はよく批判的で攻撃的なポストをしていました。
グチも多かったですし、「自分が正しいんだ!」と思い込んでいました。
仮に僕が100%正しかったとしても(それはない)、言い方が “あれ” でしたら、あまり僕のポストは見たくないと思われていたことでしょう。
言い方や態度に気をつけるだけでも、
となります。
先日、こんな動画も見ましたが、みなさんはどう思うでしょうか。
左の青年は、
- 相手のことを否定し
- 自分の意見を押し通そうとする感じ
が否めませんよね。(コメント欄もご覧ください)
もちろん、彼の見識が広いこともよくわかります。
しかし、
と決めつけて「結果ありき」で話を進めてしまいますと、もう議論にすらなりません。(長尺のライブ版の最後には中指まで立てる始末です…)
だって、彼の中で答えが出ちゃっているんですもの。
そういう態度ではなくて、
- 相手の話を聞いて
- 指摘する部分は指摘し
- 相容れない部分は互いに受容する
こうしたやりとりができなければ、どんなに正しいことを言っていても、誰も聞こうとしてくれなくなります。
特に、民度の高い日本では致命的。
気をつけたいところですね。
正論が正義ではない

よく僕が教員時代に言っていたことは、
ということでした。
特に若い教員たちとは、生徒たちを正論で説き伏せようとします。
そうしますと、実は「敵を作りやすくなる/生徒たちから純粋にイヤがられる」ということもあるんですよね。
Netflix内ではもちろん、社員さんたちが互いに「ド正論」をかましているのでしょうけれど笑、多少なりともそこには「主観」が入ります。
ゆえに、その意見が批判された人にとって、
と感じたのであれば、ただ改善に繋げるだけのこと。
そうらしいのです。
つまり発言それ自体は、どこまで行っても発言者の主観(正義)でしかないということですね。
正論は、聞いている周りの人たちも気持ちよくなれますが、
- 相手をねじ伏せるだけ
- 攻撃して再起不能にすること
は、実際のところ議論の目的ではありません。
みなさんの周りでも、そうした人はいるのではないでしょうかね。
はっきりと言うことそれ自体は良いですが、その裏に「相手を傷つけてやろう」という気持ちがある人も、中にはいらっしゃいます。
以前の僕もそうでした。
とね。(ヤバいやつ笑)
結論、これはうまくいきません。
一方で、「平和的に解決することが全てだ」という意味でもありません。
お互いにリスペクトがあって、
とか、
と、そんな生産的で前向きな関係性が作れることが大事ですよね。
自分の意見を言う時とは、正論であってもそれはあくまで “その人の中での正義” が働いているだけだということ。
それを理解し、いい意味での「妥協点」を見つけることです。
はっきりと意見を言えることは素晴らしいことです。
しかしその裏に、
- 自分の正義を押し付けようとしたり
- 相手を貶(おとし)めようとしたり
している自分がいないか。
ここを考えておきたいですね。
おわりに
はっきり言い合える仲というのは、憧れますよね。
僕も今では、あまり忖度することはありません。
一方で、自分の正しさを押し付けることもありません。
相手に敬意を払うのが基本ですから、上の動画の青年のように、
と思う人は、取り合わないようにしています。
難しい按配ですが、
- はっきり言いつつ
- 相手へのリスペクトを忘れずに
それではまた!
