意外と適当でもなんとかなると思っておく【たまに適当に過ごす正義】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)

僕は「継続」の大切さを謳(うた)っている割に、結構適当なことがあります笑。

間違えて欲しくないのは、

「適当 = 何も考えていない」

というような発想を持たれることです。

“適当” とは、文字通り「ちょうどいい按配」という意味です。

現代の「テキトー」は、何も考えずにやっているようなイメージがありますが、僕が思う「適当」はそういった形ではありません。

今日は、そういった誤解に気をつけながらも、「適当の良さ」について書いてきます。

人生はなんとかなるし、なんとかするもの。一所懸命生きつつも、たまに適当になることは大事なことだ。

ベースはしっかり

大前提として、「クズ」であってはいけません笑。

え?パチンコも行くしギャンブルもする。借金もあるけど、なんとかなってるぜ!

という人を、推奨しているわけではありませんので笑。

「適当」であってほしいと思うのは、”いつも頑張っている方” に対してです。

まずベースとして、

  • 基本的な生活
  • 生きていける分の仕事

等は大事ですから、それらがあって初めて、「適当さ」が必要になってきます。

僕は、

  • 正確性
  • ルーティン

も大事にしていますが、一方で疲れている時や物理的に時間がない時、あるいは友人と一緒の時間を過ごす時などは、これらを無視することがあります。

普段からルーティンを心がけていれば、別に数時間や一日だけの単位の話ですからね。

無理をして、我(が)を通す

ほうが、非効率だったり苦しかったりするわけですから、そこに「適当さ/緩さ」みたいな余白があったほうがいい。

そう考えています。

「適当」という言葉を一つ取り上げて、

やっぱりそうだよな!適当に生きていてもいいよな!

という解釈を、してもらいたいわけではありません。

まずはきちんと、「丁寧な生活」を心がけること。

特に日本の方々は、僕以上に真面目な人が多いです。

それが前提としてあるからこそ、今日は適当な話をしているわけですからね。

まずはベースをしっかりと作り上げましょう。

話はそれからです。

適当と言っても、なんでもかんでも “テキトー” にやればいいわけではない。きちんと生活のベースを作っておくことだ。

なんとかするもの

僕も、幾度となく窮地に追い込まれたことはありましたが、人生とは意外にもどうとでもなるものでして。

  • 浪人もしたし
  • 教員も辞めたし
  • 個人事業主の外注先も失ったし

と、自分のせいでもあるのですが笑、

これはやばいぞ?

と思ったことは、今までにも何度かありました。

特に海外を周遊していた時も、ちょいちょい大変な目に遭ったこともありましたしね。

それでも、人間の生存本能とはすごいものでして。

僕の場合、失敗に気づいた瞬間に、

じゃあプランBは?プランCは?

と、超高速で頭を回転させて、次の行動を考えているのです笑。

人間、そういった状況になったとしても、なんとかして生き延びようとするのだと、自分自身の実体験を通して感じたものでした。

先ほどの「基本生活のベース」の話と合わせて考えれば、

普段から一所懸命頑張っている人は、何かがあってもなんとかするものだ

と思っています。

仕事はなくても、生活保護には頼らない

と思っている方は多いですし、一所懸命働いている人が多いのが日本ですよね。

だから僕は「なんとかなる」と考えているというよりも、「なんとかする」ものなのだと認識しています。

だったら、ある程度の「適当さ」は大事なのかも?

と、同時に思ったわけです。

人間(=特に日本人)は、勤勉に何かを続けることができます。

だから、

  • 仕事
  • 勉強
  • 趣味

においても、あまり追い込みすぎることなく、たまに「適当さ」を出していいのではないかと。

仮にみなさんが多少なりとも “適当に” やったとしても、世界は回りますし、明日も生きていけます。(何があるかはわかりませんが)

少し余白を持たせてあげても、それでちょうどいいくらいです。

何かがあっても、なんとかするもの。

それで人生、なんとかなるのです。

僕の経験でもそうだが、何かがあっても人間なんとかしようとするものだ。だから追い込み過ぎることなく、多少の適当さを出していこう。

余白を設けておく

ここで僕は、「余白を設けること」の大切さを説きたいと思います。

  • 教員をしていた時も
  • 個人事業主を始めてすぐも

追い込まなければならない時が、僕にもありました。

自ら進んでやった部分もありましたが、

どうしても、そうしないといけないのだ

と、環境によって “せざるを得ないこと” もありました。

そうやって余裕のない時間を過ごしてしまいますと、周りが見えなくなってしまいます。

それで体調を崩したこともありましたし、精神的にツラくなったこともありました。

あ、ダメだ

と思った時にはもう遅くて、取り返しのつかなくなる「一歩手前」までいったことがありました。

実はここ最近でも、仕事に余裕が出てきたことで逆に、

あ、だいぶ追い込み過ぎていたかも

と、自分の働き方の “異常さ” に気づくことができました。

僕はできる限り「有限な時間」を大事に過ごしたい人間ですが、かと言って「詰め詰め」の状態ですと、他のことを考える余裕がなくなってしまうのです。

今行なっている「言語学習」も、そうした “適当さ” が必要だと思っていまして。

勉強ができない日もありますし、たくさん時間が取れない時もあります。

それでもいいや。どうせ明日もやるし

と思っておきますと、そこにおける「ストレス」が減ります。

ストレスを感じながら続けていますと、それはそれで本末転倒ですから、これくらいの按配でいいのです。

ゆるくもストイックに

そんな風に「絶妙な按配」で続けることが、僕にとっては心地良く、何かを続けられる理由でもあります。

だからたまにサウナだって行きますし、友人と会う日には、

まぁ、今日はこれくらいにしておいてやろう

と、妥協する時もあります笑。

もしみなさんが、あまりにも追い込み過ぎている場合は、

  • 一旦休むこと
  • 少し適当さを混ぜること

をしてみましょう。

むしろそれが、何かを続けるための「いいリズム」になり得るかもしれません。

たまに休んだり、適当にやったりする按配を大事にしていこう。余白のあればセーブをして、何かを続けていきやすいのだ。

おわりに

せいじはストイックだ

と言われる割に、休む時間をとったり、適当に終わらせたりする時があります笑。

でもそれは裏を返せば、普段のベース(=ルーティン)をしっかりこなしているからだとも言えます。

自慢しているわけではありません。

そんな人たちほど、余白を作っていきましょうということ。

みなさん、普段の仕事で追い込んでいる人が多いですので、多少気楽に行っても大丈夫なのだと。

そうお伝えしておきます。

今日くらい、肩の力を抜いてみてはいかがでしょうか。

それではまた!

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