人が嫌いだった僕が人を好きになっていくまで【人生を悟る】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は以前から「FIRE」(=経済的自立、早期退職)についての記事を書いてきました。

その中で、「心の中に平穏がある」という意味では、

もう気持ちはFIREしたようなものだ

ということもまた、幾度となく書いてきました。

  1. 圧倒的に生活水準が低いこと
  2. 見栄のためにお金は使わないこと
  3. ずっと貯蓄してきたお金を投資にブチ込んだこと

などが影響したおかげで、いよいよ「仙人」のレベルへと到達しつつあります笑。

今日はそんな僕が、

  • 他人に対して何を思うようになったのか
  • 人との接し方がどのように変わっていったのか

などについて書いていきます。

人に対して分け隔てなく好きになることができたのは、自分の人生に使命感を持って生きるようになったからだ。

僕が人を好きになっていくまで

以前にも、僕自身が悟りを開いたかのような記事を書きました笑。

しかしもっと昔は、

自分を中心に世界が回っているのだ

と、大きな勘違いをしていたものでした。

そのおかげで、

自分は嫌われていないだろうか?

と、ビクビクしていた時期がありました。

なぜなら「自分が中心だ」と思い込み、周りの人を「敵」だとみなしていたからです。

もちろん、そんな心を持っていた当時は人が寄ってくるわけもなく、ただ「プライドの高いイキり野郎」でしかありませんでした笑。

しかし多くの本と出会い、偉人や成功者たちの考え方を学んだ結果、

自分は今まで、なんて小さな器(うつわ)だったのだろうか

と反省するようになりました。

それからというもの、離婚やコロナなどの「人生の転機」もあってか、

一度きりの人生において、僕にできることはなんだろうか?

と深く考えるようになりました。

ずっと「一匹オオカミ」の生活が好きだと思い込んでいた僕でしたが、やはりどこかで、

人の愛を欲し、人と触れ合うこと

を求め、望んでいました。

離婚直後こそ「新たなパートナー探し」に躍起になっていたものですが、それも2ヶ月ほどで「何かが違う」と感じてしまい終了…

もう一度人生について考える時間を取ることにしました。

人と触れ合うことは、以前の僕であれば、

  • 飲み会への参加
  • 手当たり次第に会う

といった発想しかありませんでしたが、「誰かの役に立ちたい」と強く思うようになり、人との出会いを本当に大切にするようになりました。

そこから「自分を中心とした人生」の考え方が180°変わり、「FIRE」という概念が消えてしまいました。

足るを知り、自分の生活の「必要最低限の額」がわかったことも後押ししました。

今の僕には、

  • 衝動的で
  • 渇くような

欲求はなくなりました。

ただただ「誰かの役に立ちたい」という思いが先行し、そのために先生をやめて自分の人生を切り拓いていきたいという、新鮮な「欲求」に突き動かされているのです。

お金について、人生について深く考えた結果、自分の欲はなくなり「人のために生きること」が最優先事項となったのだ。

全ての人を愛おしく思えるようになる

せいじって好きな人とかいないの?

と言われるのですが、即答で「いない」と答えますし、少なくとも今の自分には必要ないと思っています。

それは自分の人生に「使命感」を覚えたことがきっかけでした。

毎日やることがあって、パートナーのための時間を取れる気がしないからという理由もあります笑。

それ以上に今は、道行く人たちが愛おしく思えてきてしまい、

みんな今日も頑張っている…僕も頑張らなきゃ!

と切に感じているのです。

慈悲心」と言ってしまいますと、ブッダか何かと思われてしまい、

何様だ!仏様のつもりか!

と非難されてしまいそうですが笑、「上に立っている」というよりも「下から支えたい」という意味ですのでご容赦ください。

そのために自分なりに「アクション」を起こして、少しでも誰かのために役立てる時間や施設、環境を作ってみたい。

ブログや英語の授業も微々たるものではありますが、「自分にできること」を探した結果なのかもしれません。

僕自身でも「どちらが先」ということはできないのですが、

  1. 人生に余裕ができたから、人を愛せるようになったのか
  2. 人を愛せるようになったから、人生を達観できるようになったのか

は、定かではありません。

ただ、「自分の人生」という大きな枠を俯瞰(ふかん)しながら、

  • 経済的なこと
  • やりたいこと
  • 大切にしていること

などを考えたからこそ、たどり着いた境地なのは間違いありません。

人を分け隔てなく愛せるようになるのは、生来の気質だけとは限らないのでしょうね。

自分の人生について真剣に向き合うと、人のことを愛せる境地に達する。一人一人が一所懸命生きていることに、敬意を払うことができるようになる。

「君の進み方で間違っていない」

先日も、同僚の先生とALTと僕の3人で話していますと、やはり「僕の来年」(2023年)の話となりました。

利益やお金の話になったとき、同僚の先生は、

たぶんせいじくんが目指しているのは、大きな会社とか利益だとか成功だとか、そういうのじゃないんだよね

と言ってくださいましたし、ALTの方も、

君の他人に対するポジティブで優しい心は、決して間違っていないと思うよ

と言ってくださいました。

僕自身も理由はわからないのですが、自分の向かっている方向が、

  • どこかうまくいくような
  • それでいてとても気持ちのいいものであり
  • 人生をかけてでもやり抜いてみたいもののような

そんな気がすると、なぜか確信を持って言うことができます笑。

同僚の先生が言ってくださったように、僕は決して、

成功者はGIVEをしていたから、とりあえず与えようかな…

と「成功を目的として」、現在いろいろなことを継続したり、挑戦していたりするわけではありません。

ブログを始めた当初はそのような気持ちもありましたが、今はもっと違う目的、それも内側から溢れ出る気持ちでいっぱいになったのですから、人間不思議なものですよね。

今の社会はいろいろと理不尽なこともあって、僕だって疑問を持つことや、納得のいかないことがあります。(よくブログで書いています笑)

でもトータルして見てみれば、それぞれにそれぞれの過去や背景があって、それぞれが必死に生きていることがわかります。

もちろん、想像の範疇を超えることはありませんが、その様子を想像することも悪くはありません。

すると、それぞれの苦労もわかるようになりますし、余力のある自分だからこそ「僕にもきっと何かできるだろう」と思うようになるのです。

僕は今、自分の進んでいる道、向かっている方向が漠然と「好き」になっており笑、やたらとワクワクしています。

周りの友人たちから、

君の進んでいる方向は間違っていない

と言われたことも、大きかったですね。

これからも自分を、仲間を信じて、進んでいこうと思います。

人のためにアクションを起こしていると、周りからも反応がある。その反応がポジティブなものであれば、その道は決して間違っていないはずだ。

おわりに

人を分け隔てなく愛せるようになったのは、いろんな要因がありますが、

  • 自分に余裕があるとわかったこと
  • 周りの人の役に立てるような行動を起こしてみたこと
  • 本当に大切なことだけに時間やお金を使うようになったこと

などが主な要因だと思っています。

本来は、余裕がないときこそ人を愛せればパーフェクトなのですが、僕の器(うつわ)ではまだまだのようです。(ちなみに偉人たちはそのような人が多いです)

今は周りの人を幸せにすることを考えており、その時間こそ「自分の幸せ」だと感じるようになりました。

今後も自分の信じた道を進み、何かできることはないかと必死に考え、行動に移していきたいと思います。

それではまた!

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