上下を意識しない、人との付き合い方【経験を語る人でいよう】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

人と付き合っていく上で、僕が大切にしていることは「オープンにすること」でした。

このことについては、何度か記事にしました。

先日、気の置けない同僚の先生と教育論について語っていますと、

生徒に対しても、心を開いたほうがいいよね

という話になりました。

僕が生徒に対して心を開くとき、大切にしていることは何か。

書いていきたいと思います。

人との付き合い方では、上下を気にしないことは大切なことだ。だから生徒にもありのままの自分を出していこう。

信頼を獲得するために

生徒に対して「威圧」や「暴力」でなんとかしようとする先生は、すでに生徒のことをコントロールできていないということを意味しています。

それよりもまず大切なのは「信頼関係」ですよね。

生徒との信頼関係を築くためには、こちらがある程度オープンにならなければいけません。

同僚の先生も僕も同じだったのですが、若かった頃は、

生徒になめられまい!

と思っていたこともあり、あまりプライベートを話そうとはしていませんでした。

当時は生徒との距離感を計ることが苦手で、どうしても近づき過ぎたり離れ過ぎたりしていたことが多かったのです。

しかし必要以上にプライベートを話さなかったことは、今思えばとてもいい判断だったと思っています。

一方で余裕ができた現在は、できる限りあけすけにプライベートについて話すことが多くなりました。

その姿勢を保ち、オープンに話すことを繰り返していますと、

  • 生徒から質問が来たり
  • 単純に興味を持ってくれたり

と、ほどよく距離を詰めてくれるようになります。

え?先生としての線引きはできているの?

と思われる方もいるかもしれません。

それは、こちらの匙(さじ)加減でどうとでもなります。

目に余る生徒の行為については叱り、うまく距離を保てば良いのです。

あ、せいじ先生はここまでやったらダメなんだな

とラインをわからせておけば、あとはお互い「ひとりの人間として」接すればいい。

さらに生徒のためになるような話や、興味を引くような話をしてあげますと、生徒も心を開くだけでなく、こちらを信頼して話を聞こうとしてくれます。

オープンにすることは多少のリスクがありますが、それをコントロールできれば問題ないのです。

生徒や目下の人に対しても、ある程度オープンでいることだ。すると相手も心を開いて信頼してくれるようになる。

経験を語る人となろう

僕は「先生」という言葉を、

「先」に「生」きた人

と、捉えています。

教える立場にいることはもちろんのこと、道を示してあげることもまた1つの役割だと思っています。

僕は言うほど人生に厚みがあるわけではありませんが笑、ちょっとした日本国内の旅を語るだけでも、生徒たちはキラキラと目を輝かさせてくれます。

先生だって完璧ではありませんから、誰もが深くて濃い人生を歩んできたわけではありません。

ということは「人生に厚みのある人」が人気者になるのか。

否。

そうでもありません。

僕が何度か旅をしてきて感じていることは、「いつまでも経験を語る人」でありたいということでした。

先生が常に「ワクワクしている人」であれば、聞いている側も、

次は一体何を話してくれるのだろうか?

と興味津々になってくれます。

  • 新しい場所に行き
  • 新しい人に出会って
  • 新しいことにチャレンジする

いつでも僕らをワクワクさせてくれるのは、「新しい体験」です。

まだ人生経験の乏しい生徒たちに、未熟ながらもいろんなことを体験して伝えることは、

  1. 自分にとっても
  2. 生徒にとっても

良いことなのです。

いくらオープンな姿勢をとったとしても、「経験を語る人」でなければ、話を聞いていても面白みがありません。

俺はこんなものを買ったんだ!
俺はこれだけの資産を持っているんだ!

こうなってきますと、もはや「オープンである」というよりも「自慢」でしかありません笑。

生徒たちが欲しいのは、「先生という大人」からのマウントではなく、

  • 生き方のヒント
  • 生き方そのもの

です。

自分が経験してきたことを語ることで、生徒たちもその人の「生き様」をより知りたくなることでしょう。

自分が消費してきた「モノ」ではなく、「コト」にフォーカスを当てて話をしよう。生徒たちが求めているのは大人の自慢ではないのだ。

上も下も関係ない

僕は「後輩」のほうが好きですし、上と下で付き合い方を変えたりすることもあります。

生徒に対しては、ビシッと叱らなければなりませんからね。

ただ、最終的には「どちらも同じ人間」だと思っています。

え?でも大人から好かれることと、生徒や子どもから好かれることは別モノなのでは…?

「好き嫌い」の表現の仕方に若干の違いはあれど、「好かれる」ことの本質は変わらないからです。

  • 素直に表現する人
  • 大人の対応をする人
  • フェードアウトする人

など、どの世代にもいろんなリアクションの取り方があり、上だから下だからという感覚はありませんね。

ただし、「誰からも好かれる人」を目指すことは間違っています。

というより、「不可能」なのです。

名著「嫌われる勇気」にもあるように、誰もが僕のことを、あるいはみなさんのことを好きになるとは限りません

たとえ嫌われなかったとしても、「性格が合わない」という理由から縁が切れることだってあります。

大切なことは、

自分を貫き、その自分を表出すること

です。

軸がしっかりしていれば、自分を「オープンにすること」で自身の魅力を発信することができます。

先ほどの「経験を語ること」と似ているように、いくら自分を出したって、軸が定まっていない人と話したいとは思いませんからね。

軸(=芯)がしっかりしている人であれば、上だろうが下だろうがいくらでも話すことができます。

中心軸さえブレなければ、その軸に魅了された人たちが集まってきますから、上も下も関係なくなっていくのですね。

すると、自分の周りが「自分のことを好いてくれる人」で埋まっていきます。

大切なことは「全員に好かれたい」と思うことではなく、結果的に自分を好いてくれる人たちが集まっているという事実のほうです。

どんな形でも構いませんので、上からも下からも好かれる人であること。

僕はこの形を目指しつつ、

  • 自分の軸をブラすことなく
  • 好かれることを目的とせずに

精進していこうと思っています。

上からも下からも愛されるというのは、一見すると共存しないことのように思える。しかし定めた自分の軸をオープンにすれば、そこに魅了された人が集まってくるはずだ。

おわりに

生徒にもオープンに。

しかしそこには、

  • 軸を持ち
  • 経験を語る

必要があります。

そうしなければ、相手が生徒だろうが大人だろうが「自分は伝わらない」からです。

逆にその点さえしっかりとしておくことで、上下に関係なく人と関わってゆくことができるでしょう。

それではまた!

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