人に食べさせられる男を目指す【ついて行きたい人になる】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日読んでいた「成しとげる力」に、

食べさせることのできる人であれ

という主旨の言葉がありました。

ともすればなかなかの言葉でして、

え?食わせられる人であれって、経済的に強くあれってこと?

と思われても仕方ありませんよね。

僕も以前、「後輩におごること」について記事を書いたことがありました。

果たして「人に食わせることができるようになれ」という言葉は、不快感を与えるような言葉でしょうか。

今日は「人に食わせること」について書いていきます。

人に食わせられるマインドとは、人の上に立つ人のマインドだ。そのマインドを持っておくことは悪いことではない。

「この人と一緒に仕事をしたい」と思われよう

僕は、

  • 会社を立ち上げたりすること
  • 誰かの上に立ったりすること

をイメージしたことはありませんでした。

一方で「誰かの下で働く」というのも、あまり好きではありませんでした。

就活をしていた時代も、

うーん、なんだか違うんだよなぁ…

と思っていたものでした。

誰かの下につくということは、自分に裁量権がないことを意味します。

これが僕が今の学校、そして働き方について不満に思っていたことでした。

しかし、人の上に立つのが苦手な僕としては、本書の永守さんの言葉にはなかなか納得することができませんでした。

自分にはそんな力もないしな…

ただ、彼の言っていることは僕が理想としている生き方と重なる部分もあります。

後輩におごる機会も増え、同僚にお土産を買っていくことに抵抗もなくなってきたからです。

本書の意見と完全に一致はしなくても、「GIVEという意味」では近しいものを感じました。

また、

この人と一緒に仕事をすれば成功する!

と思わせることは、別に悪いことではありません。

それは1つの「尊敬のカタチ」であり、

そう思われるような人間でいたい

と思うことは間違いではありません。

それが「お金」だけの関係にとどまらず、1人の人として「一緒にビジネスをしたい」と思わせられるような、そんな人であればいいのです。

人の上に立つことが苦手であってもいい。この人と一緒にやっていきたいと思われるような人でいよう。

「食わせることができる」とは?

文字どおり受け止めれば、

「食わせることができる」=「経済的に豊かである

という意味とも取れます。

これは間違いではなく、著者の永守さんが言っている意味は理解できます。

それを邪(よこしま)な考えと捉える必要もありませんし、事実ですよね。

では、僕が目指すところはここなのか。

確かにそうだとも言えますが、実際は結果的にそうなればいいと思っているだけですかね。

現在こうして「おごること」や「与えること」ができているのは、自分が稼いだお金(給料ですが)を与えることができるほどの余裕があるからです。

将来、人の上に立つかどうかはさておいて、人に与えられるほどの余裕がある人間でありたいとは思っています。

学校を辞めると決断した当初は、

とりあえず自分が食っていけたらいいかな

と思っていたものですが、与えることに悦びを見出してしまった僕は、いつのまにか、

もっと…もっと与えたい!

と思うようになっていました笑。

そうなりたいのであれば話は早く、経済的にも豊かになればいいのです。

たくさん本を読んで気づいたことですが、「億万長者」のようにお金を稼いでいる人は、

  • 多くの人の役に立っていたり
  • 多くの人を幸せにしていたり

する人です。

例えば「Apple」は「iPhone」を作ったことで、多くの人の人生を変えました。

それによって会社が得たお金というのは、何も「悪いお金」ではありません。

お金は中立ですよね。

だったら、そのような場所を目指してもいい。

  • 億万長者
  • 有名な会社の設立

を目指すつもりはないですが、人に与えられるような人にはなりたいですね。

もちろん「お金が全て」ではありませんが、それもまた1つのGIVEのカタチなのです。

経済的に豊かであることもまた、選択肢や可能性を広げることのできるカタチである。そんな場所を目指すのも、悪くはない。

目指すべきさまざまなカタチ

とはいえ僕は、「さまざまな人生のカタチ」を認めています。

僕自身、将来どうなるかはわかりませんし、プロセスの中で意識が変わっていくかもしれません。

大原扁理さんの「年収90万円で東京ハッピーライフ」という書籍は、僕の好きな書籍の1つでもあります。

人の生き方はさまざまであり、起業家や社長を目指す人は、永守さんのような「社員を食わせる」という考え方を大切にしてもいいのかもしれません。

ただ、大原さんのように「自分という人間」が最低限幸せに生きていけるような人生も、また1つの選択肢であり、それぞれの心地よい落とし所を見つけていけば良いのです。

僕の場合は、図々しいかもしれませんが、

  • できれば人を食わせられるようになりたいし、
  • 自分一人がなんとかなればいいとも思っている。

というなんとも中途半端な考え方です笑。

ただ将来的には(今から)思いっきり誰かのために働いて、社会貢献をしたいとは思っています。

こうしてブログも書き続けて1年以上が経ちますが、考え方においてはいろんな変化もありました。

人の思考とは、いつまでも一緒とは限りません。

2年前から僕の考え方が変わったように、人はいくらでも変わることができます。

「人を食わせる」いうことは、並大抵のことではありません。

  • 誰よりも行動し続け、
  • 人の悩みを解決し、
  • 人の役に立たなければ、

僕にお金も集まりませんし、余裕もなくなってしまいます。

大切なことは、いつまでも持続可能であることです。

「人を食わせること」を念頭においても良いですが、さまざまな形を経ながらも「僕という人間」が持続しながら生きていく必要があります。

  • 自分で食っていく余裕があり、
  • 結果的に人を食わせられれれば良い。

この形を目指しながら、自分が一番心地よいと思える生き方を目指しています。

何においても「自由」が一番。

最終目標として、周りの誰かを食わせていけるくらいの、大きな人間になれれば本望ですね。

人を食わせられたら素晴らしいと思う。それだけ余裕があるからだ。そのために自分が今できることは持続可能な生き方だ。最終目標を見据えて日々努力していこう。

おわりに

最初こそ違和感を覚えた「人に食べさせる」という表現。

それでも、多くの起業家や実業家が力をつけては人を救っているように、僕の目指すべき姿はもしかすると彼らに近いのかもしれません。

答えを出すのは難しい内容ですが、行動し続け、最終的に行き着くところがゴールなのではないでしょうかね。

それまではなりふり構わず、一直線に駆け抜けて生きたいと思います。

それではまた!

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