こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
教師をやっていますと、「自分の評価はどれくらいなのだろうか?」と考えることは…ありません笑。
「あまりにも気にしないこと」はよくありませんが、正直に言いますと「適切に評価されている気がしない」というのが本音です。
みなさんにもそうした経験があるのではないでしょうか。
- 「陰では一所懸命頑張っているのに!」
- 「なんであいつが?!」
- 「上に取り入ってるだけじゃないか」
- 「あの人はいつも、寝てるかスマホをいじっているだけじゃないか!」
と、ひとたび社会に出れば、理不尽極まりないことばかりですよね。
それでも僕は、「陰ながら頑張ること」を大切にしています。
結論:「それがゆくゆくは、周りから正しく評価されてゆくものだから」です。
早速みていきましょう。
見えていない部分はたくさんある
学校の先生の間では、教頭・副校長・校長の3人のことを「管理職」と呼びます。
- いい人と出会うことができる時もあれば、
- 全くもって現場の教師たちを見ていない人と出会うこと
もあります。
ある日、いつも通り入試業務を一所懸命頑張っていた数人(すずき含む)は、他の同僚が「そつなく仕事をこなしていること」に気づきました。
もちろん、「悪い意味で」です笑
確かに、与えられた業務はしっかりとこなしているのですが、その方にとっては2〜3年目の業務であり、とても狭い範囲(年に一度)の仕事ですので、失礼かもしれませんが僕は「できて当たり前」だと思っていました。
するとその姿を見た管理職が、「この人はできる人だ!」となぜかベタ褒めしていたのです笑。
僕も「その方の仕事」については純粋に素晴らしいと思いましたし、申し分ないとも感じました。(すでに2〜3回目の業務ですけどね笑)
でもその人は、それ以外の業務になりますと、
- ずっと自席にいて、
- 他業務は手伝いに来ず、
- さっさと帰ってしまい、
- 資料やマニュアルは最低限のもの(コピペ)しか作らず、
- 後輩には見栄を張っている
ような人でした。
そんな人が、1回きりの業務だけでスポットライトを浴びていたので、
「陰で頑張っている若者たちがかわいそうだ」
と思いました。
管理職も人間ですから、僕ら他の教員たちが頑張っている姿を、全てくまなく見て評価することは難しいことも重々わかっています。
しかし「そういう評価」をされてしまいますと、普段から雑務や細かな仕事で活躍している先生たちの立場は、一体どうなってしまうのだろうかと思ったのです。
「地味な仕事」や「縁の下の仕事」こそ、会社や学校、社会では大切なはずなのに、そこが評価されていない。
しかも「あからさまに」です。
それでは、職場の「やる気」は下がってしまう一方です。
「見えていない部分」の仕事を評価することは難しくとも、「そこをなんとか評価しよう/見ていこう」という姿勢は欲しいものです。
では、こうした「陰の地味な頑張り」とは無意味なのでしょうか。
実は、僕はそうは思っていないのです。
その理由をお伝えしていきます。
周りから支持を得ることができる
こうして入試業務を死に物狂いで手伝っていますと、やはり見てくれている人はいるようです。
先日、現業のおばちゃんから、
「すずきさんはいつも至るところにいるけど、全部の業務を担当しているのかしら?笑」
と言われました。
これはとても嬉しいことでしたね。
僕自身は、
- 別に恩を売りたくてやっているわけではなく、
- 評価を上げたいからやっているわけでもなく、
- チームとして当然だと思うし、
- シンプルに楽しいから、
業務を手伝っているだけです。
おばちゃんが見てくれていたように、周りの後輩たちも、先輩である僕らの働き方をよく見ています。
彼らと絡みながら業務を進めていますと、
- 普段会話しない後輩たちと会話したり、
- 自分が抜けた後を埋めてもらうため、業務を引き継いでもらったり、
- 信頼関係が構築できたり
と、メリットだらけです。
特に後輩たちは新しい業務を担当することは初めてであり、とても緊張しています。
人前に立って指示を出したり、作成した資料を全職員に見せたりすることは、僕も吐きそうになるくらい緊張していたものです。
ですから、
「最初は俺も一緒にやるし、作ってくれた資料には目を通すから、安心してやってみな」
と言ってあげるのが先輩の義務だと思っています。
一方で先ほどの先生は、
- 後輩に「いい格好」ばかりする割に、
- 業務を手伝いに来ないわ、
- 実践的な引き継ぎをしないわ
で、後輩たちからの評価は断然低いということを、先日知りました。
僕は昇給や地位は気にしませんので、
- 管理職からは謎に評価され、
- 周りの後輩たちからは評価されていない先輩
よりも、
- 管理職からは見えていないが、
- 現場の後輩たちからは厚い支持がある先輩
のほうが、よっぽど健全で、持続可能な関係性が築かれていると思っています。
ただそのような理不尽な評価体系は、「なんだよその評価は!」と職員のやる気が下がってしまうものですので、早急に直すべき評価システムだとは思います。
しかし僕個人としましては気にしておらず、「信頼貯金」が貯まりますので、「実際の現場で動いている先生」たちとの絆が深まるほうが断然いいです。
ゴマをすって成り上がるのも1つの戦略かもしれませんが、僕はそれは本来の信頼関係のカタチではないと思っています。
「上から適切に評価されること」も確かに大切なことではありますが、陰でしっかりと周りとの人間関係を固めていれば、いつか「すずきさんのためなら!」と思ってくれる人も現れるはずです。
僕は「GIVEをすることでできる関係」のほうが好きですし、気持ちがいいです。
見てくれている人は、見てくれています。
手を抜かず、仕事に全力を捧げ、他業務にも力を貸し続けていきましょう。
正しい評価とは原始的なもの
「上から評価されるためにイイカッコをすること」
これは本末転倒であると思っています。
- そんな姿勢は長持ちしませんし、
- 職場にいづらくなってしまいます。
- 自分の能力も適切に評価されているわけでもないですし、
- 周りから人が離れて行ってしまいます。
どこまで行っても人は感情の生き物です。
- 自分のことを大切に思ってくれる先輩
- 困ったときに手を差し伸べてくれる先輩
- なんでも動いて行動で示してくれる先輩
- 面倒見の良い先輩
こんな先輩であることのほうが、僕の「先輩としての信念」に合っていますし、気持ちのよいものです。
僕は上からの評価「なんか」よりも笑、こうした小さいけれど強固な関係のほうが好きなのかもしれませんね。
一所懸命に仕事をしている姿を「一瞬だけ」見られて、「すずきくんは仕事ができるなぁ!」と思われるのも不本意ですし、癪(しゃく)に触りますからね笑。
しっかりと普段の働き方を見てもらってから、正しく評価されたいものです。
ただそれが「目的」となってしまっては、本当の意味での周りからの評価は得られませんけどね。
信頼関係を築いていくには、生徒も同僚も一緒であり、
- 時間がかかり、
- 丁寧に積み上げてゆくもの
です。
いつの時代においても、「原始的な方法」に立ち返ることが大切です。
- 後輩を思いやり、
- 面倒をみながら、
- チームとして一丸となれるよう、
- 責任をとりつつ、
- 指導して一緒に仕事をすること。
素晴らしい先輩に出会えた後輩は、先輩の生き方を尊敬しますし、何より丁寧に指導された経験を、自身の後輩にも同じように伝えるようになります。
先輩だからと言って偉ぶるのではなく、自分が後輩の立場になって丁寧に教えること。
こうして得られた周りからの評価や信頼のほうが、僕にとっては圧倒的に価値があります。
もちろん、一緒に仕事をしていく上で管理職とのコミュニケーションも欠かせません。
一番大切なことは、複雑な手法や小手先のテクニックではなく、もっとシンプルな「愛」です。
僕はその姿勢を貫いていくことで、いつか「真の評価」を得られたらいいなと思っています。
おわりに
以前も職場での態度について語りました。
結局何をしようとも、僕ら人間にとっては、「仁・義・礼・智・信」のような、「人としてのあり方」を意識した姿勢が大切です。
言い方や表現は様々あるので、言葉で表すことは難しいのですが、僕が求める理想像はそのような「かっこいい生き方」だと思っています。
しかし裏を返せば、人間は感情の生き物ですから、負の感情に支配されてしまうこともありますよね。
そんな時にも冷静に、落ち着いた人でありたい。
そのために、日々マインドフルネスを駆使して修行を積んでいきたいと思います。
明日も後輩たちにGIVEできるよう頑張りますね!
それではまた!
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