人間関係

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教員を辞めてからやりたいことを考えよう【今年の動きが来年を生かす】

「来年からどうする?」ALTのおじさんはいつも僕にこの質問を投げかけてくる。そうだ。自分は一体何がしたいのだろうか。ありとあらゆるアイディアは浮かぶが、それを実行に移せるのかどうかは疑問が残る。すずきが出した答えは、今年の動き方が来年を決めるということだ。お金のことを横において、まずは自分のやりたいことをやってみよう。
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子育てしている親を全力で応援しよう【自分のことを棚に上げない】

赤ちゃんが泣くことはいつの時代でも変わらない事実であり、何も理不尽なことではない。それに対して投げかけられた「うるさい」という一言によって、すずきは深く考えさせられることとなる。誰だって生まれたら迷惑をかけて生きていくものだ。世の中はもっと寛大に、優しくなっていい。想像力を働かせて、赤ちゃんたちに笑顔を送ろう。
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「みんなで頑張ろう」という声がけは何も生まない【行動で示そう】

言い放たれる「みんなで頑張ろう」という抽象的な言葉…すずきはこの言葉に対して良い印象を持っていない。この言葉ほど無責任で実を伴わない言葉はないからだ。自分がまずは率先すべきであるし、個人が頑張らなければ組織はうまく機能しない。一人一人が頑張るからこそ、チームは成長して強くなっていくのだ。
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他人ができていないことをいちいち批判しない理由【自分がキツくなる】

以前のすずきは、よく人を批判していたものであった。しかし実際のその時間は無意味で非生産的であるだけでなく、自分自身の生きづらさを助長するだけであった。人間にはできなくて当然のことがある。そんな悪いところばかりをつつくことなく、相手の良いところを見ることを心がけよう。すると結果的に自分の良いところを見てもらえるようになる。
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話が長い人は、他人の時間を奪っているのだ【僕が簡潔に話す理由】

説明会などで長々と話すスピーカーに対して、すずきはちょっと待ったと言いたい。それは他人の時間を奪ってやるほどの価値がある話なのか、と。舞台に立って話すからには、しっかりと準備して、要点を押さえた簡潔な説明や授業を展開するのが話し手の責務だ。お互いの時間を最高のものとするために、思いやりを持って登壇しよう。
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言葉に感情を乗せずに話すメリット【相手の反応を気にする必要はない】

コミュニティにいれば、どこかで意見がぶつかり合うことはある。しかしそれこそが、多様性の証でもある。そんな時、感情が乗ってしまったら終わりだと思っていたほうがいい。感情のぶつけ合いと化すだけだからだ。相手の気持ちや立場に配慮はしつつも、相手の出方や機嫌を伺うような発言ならしないほうがいい。馴れ合っている共同体は不要なのだ。
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人におごるときの気持ちが変わり始めた理由【格好つけないおごり方】

生徒たちとの合同練習や、ご飯代を奢ることなど、いくらでもしてきた。しかしその裏にあった気持ちは、荒んでいて貧しい心だったことに、ようやく気付いたのだ。与えることはいつになっても難しい。その考え方を改めると、行動や習慣、人格までも変わり始める。自分がどういう気持ちでおごっているのかに気づくことは、並大抵のことではないのだ。
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今の時代、職人気質は通用しないのか?【飲食店経営者と雑談した話】

2回目の訪問となったステーキハウスの店主と、なぜか話をするという稀有な状況になってしまった。そこから飛び出てくる言葉の1つ1つは、職人という「堅くて古い」イメージを払拭するような、熱くて芯のあるものであった。どんな仕事においても、熱中と夢中をしていけば、必ず誰かに届くはずだ。真剣に仕事をしている人には敵わないのだ。
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若手教員は教育の未来を担っている【僕が残りの教員人生ですべきこと】

定期的に書かれる「生徒指導のあり方」に関する記事のお出ましだ。すずきはいつも、生徒のためにあるべき先生の指導法を模索している。それは答えのない解を求めて、暗中模索をすることだと思っていた。しかし、生徒と先生の関係は人間同士の関係以外の何物でもない。自分が生徒から認められる存在になることが、信頼関係の構築なのではないだろうか。
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ものごとには良い面と悪い面がある【悪い面を認識し受け入れよう】

何かがうまくいかない日、気になってしまう他人の悪い面。そんなものは、必ずあるということを認識しておこう。そうすれば、自然と自分にも他人にも優しくなることができるのだ。そうした悪い面も含めて人生であり、人間らしいのだと受容できた時、自分の感情の波は落ち着き、おおらかになることができる。まずは認識し、許してあげることだ。
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自分はいつでも空いていると主張するメリット【自分も何かを提供する】

「自分は空いています」というアピールは、人から誘われる機会を多く生み出すことになる。しかし一方で、「クレクレ星人」となってしまっては、周りの人も誘おうとは思わない。自分も何かの価値を提供して初めて、周りもその人に魅力を感じるからだ。難しく考える必要はない。人生の一瞬一瞬を大切にして、人と繋がっていけば自然と輪は広がるのだ。
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「華がありますね」は避けるべき表現か【表現の規制による弊害とは?】

いまだに社会に残る差別によって、生きづらさを感じている人もいる。ただ一方で、なんでもかんでも「その表現は差別的だ」ということにも、すずきは疑問を持つようになる。そこでいつも通り「分析」をしたところ、公私の境界線の確認や、人とのコミュニケーションの大切さを、結論として導き出した。自分で正誤を考えると、より柔軟になれるのだ。
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教師とは生徒たちの未来を担う仕事である【上っ面の生徒指導はしない】

幾度となく繰り返される生徒指導という課題。果たして先生のあるべき生徒指導とは、一体どこがゴールなのだろうか。すずき個人としては、厳しい指導や甘やかす指導は、生徒指導の本質ではないとしている。生徒個人を一人間として認めてあげて、その未来を担う責任を持つことが全てだ。その本質がブレなければ、信頼関係が重要だとわかるようになる。
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1年間ブログを書き続けた男はどうなったのか【ただ、ありがとう】

長いようで短かった1年だった。右も左もわからずに始めたブログが、1年間続いたのだ。少しずつ多くの人に読まれるようになったが、その本質はいつも変わらず、続ける意味を与えてくれるのは「人の心」であった。すずきが続けるのには意味がある。それは読んでくれるたった1人が、世界のどこかにいるからだ。それさえあれば、続けられるのだ。
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人は誰かの役に立つことを願っている【人生の最幸の生き方とは?】

多くの人に感謝されることは、確かに多くのお金が回ってくることを意味してもいる。しかし、資産の拡大を目指し、自分が幸せになるということをゴールにしていたすずきは、何かが腑に落ちないことに気づき始める。自分が経済的自由を成し遂げることが、人生の終着点ではないと感じたのだ。誰かの役に立ち、感謝されること。それが有終の美なのだ。
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