こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
同僚から勧められましたDIE WITH ZERO。
前から気になっていましたが、読んでいると共感の嵐でした笑。
なぜかといいますと、最近は「お金を使う力」について学び始め、浪費することの大切さをひしひしと感じているからです。
この本では「死ぬまでにどうやって自分の資産を使い切るか?」について書かれており、「貯蓄大好き社会」である日本(世界)に、面白い視点を与えてくれます。
今日は、僕自身がこの本を読んでどう感じたのかをお伝えしていこうと思います。
なぜ今、お金を使う必要があるのか?
現代に限らず、昔から日本、いや世界的に貯蓄することの正義が語られてきました。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」は典型的なお話でして、夏の間にせっせと備蓄をしていたアリたちが、その間に遊んでいたキリギリスたちとは違って飢えに困らないというものですよね。
結論からいいますと本書は、
- アリとキリギリスは両方とも極端である。
- どちらかと言うと世間では「アリ」派のほうが多いので、それに対して問題提起をしている。
という内容のように感じました。
僕も今となっては「貯蓄と支出のバランス」は大切だと思っていますが、1年前であれば、
- 倹約
- 節約
- 節制
と言った生活をしており、あまりお金を使わないことが正しいことだと思っていました。(アリ派ですね)
ただ、そのような「根っからの倹約家」であったことは結果的に良いことでして、浪費を始めた今はバランスがとれています。
この寓話での「アリ」の考えや行動はもちろん素晴らしいものであり、僕らでいうところのいわゆる「年金や老後生活」を考えた結果を、暗に意味しています。
本書でも、未来について考えすぎないこともまた良くないということは書かれていますが、一方でやはり「データが示す事実は残酷だ」とも書かれています。
それは人が亡くなった後に、かなりの額の財産が残ってしまうというものでした。
そうなってしまっては、せっかく「汗水流して働いて稼いだお金」や「仕事に費やした時間」が、なんの価値も生まないものとなってしまうのだ、と。
「だったら、死ぬまでに使いきれなくても、せめて一番適切なタイミング(20代〜30代あたり)でしっかりと使おうよ!」
ということですね。
著者の友人が借金をしてまでも、20代にヨーロッパを旅したことが書かれており、彼は経験をお金で買ったのだと書いてあって興奮しました。
なぜなら、僕も今まさにそちらの考え方にシフトしているからです。
すでに20代は終えましたが、「今」という若くて動ける時間は、もう2度と戻ってはきません。
その時間で、
- 好きな仕事に没頭したり、
- 自己投資のために勉強したり、
- 朝から晩まで働いていたり。
それらも立派なことではあるのですが、
- ではそのお金をいつ使うのか?
- 使うことを「無駄に」渋ってはいないか?
- なんの目的もなく「蓄財ゲーム」(資産が大きい者勝ち)に参加していないか?
と言った疑問が同時に投げかけられるのです。
極端な考え方は何事においても良くありませんが、そうした視点を持つことは今後の長い人生を生きていく上では、大切なことだと思っています。
だから著者の友人のように、「何にも代え難い経験」をしていきたいなと思っているのです。
思い出、健康、時間…
この本でも現代の流れに乗るように、「モノよりコト(経験)」に重きを置いている傾向があります。
特に「経験」については「経験をお金で買う」と述べたように、数万円かけてでもちょっとした旅行に行けば、
- 旅行の計画を立てている時間
- 行くまでの時間
- 現地で過ごした時間
- その後友人知人に思い出を語る時間
- あるいは思い出をシェアする時間
といった記憶の配当が、死ぬまでずっともらえるのだと書かれています。
著者は「おじいちゃんの思い出」の写真をたくさん詰め合わせたiPadを、おじいちゃんの誕生日に贈ったそうです。
おじいちゃんは涙を流し、「最高のプレゼントだよ」と言ったのでした。
つまり、若い時に多くの経験(例えば旅行や旅など)をしておけば、
「あの時行ったあの土地での出来事は、いい思い出だったよ」
と、その旅をした後でも当時の記憶を呼び起こし、再び楽しむことができるというのです。
僕もこの1年でいろんなところに行って、そのことを実感しました。
だから「若いうちにいろんなことを経験しておきなさい」という言葉があるのだなと思いました。
そして、そこに絡んでくるのがカラダ・健康ですね。
どんなに大金を積まれたとしても「老人である私と、若いあなたの体を取り替えてくれませんか?」という取引には、応じたくないですよね。
「老人は何もできない」「もう終わっている」というつもりはありませんが、
- 体の限界がくる。
- 食欲がなくなる。
- 物欲がなくなる。
と少しずつ体が動かなくなるほか、世界への興味が薄れてゆくことも事実としてあります。
時間やお金がどれだけあったとしても、老後「それに見合う価値のある体」でいられるかと言われれば、アンバランスなのではないかなと僕もそう思います。
体が自由に動く若いうちに、
- 時間を使って新しいことを経験したり、
- お金をかけて新しいものを見たり、
- 自分に価値のあるものを買ってみたり。
こうして多くのことに時間やお金を費やしてみることが、人生の幸福度を最大化する浪費なのではないか、という提案なのです。
これには納得しています。むしろそう思って過ごした1年でしたしね。
もちろん、どこまで行ってもバランスは大切です。
- 貯蓄を意識するあまり溜め込み過ぎず、
- 今を楽しもうとするあまり散財し過ぎず、
その時その時の世代を謳歌することがイチバンです。
そのために、先に訪れる「死」を意識する必要があります。
「死」を意識しよう
何か物騒な表現ですが、「死」を意識することは今では大切なこととなりました。
特に何の考えもなく自動貯蓄マシーンと化していた僕は、生きながらに死んでいるような「まるでゾンビ」でした笑。
楽しくなかった年が続いたというわけではありませんが、
- お金
- 人生
- 幸せ
- 将来
- 仕事
- 最期の瞬間
等について、真剣に考えていなかったことだけはわかっております。
本書では「人はいつ死ぬかわからないため、『ゼロで死ぬ』は不可能に近い」と書いてありますが、一方ではある程度の逆算をして「今」という価値を見直すことも勧めています。
資産を最期の瞬間に使い切ることは難しくても、「自分」が終わる瞬間である「死期」をある程度考えることによって、自分の資産を最大限に活用できるのではないか(あるいはすべきではないか)という立場なのです。
先の未来は読めなくても、この考え方自体はとても大切だと思いました。
「死」を意識して「今」を考えることで、何も考えずに散財したり、なんとなく不安や恐怖で蓄財したりするよりも、「今」という時間のありがたみをより感じることができるからです。
一見すると「怖い」「そんなこと考えたくない」と思いますが、「死」から目をそらさずにいるほど「今」を大切にできます。
実際僕も先生をやりながらも、
「あと10年か20年くらい、この仕事して退職して死に向かっていくのかぁ…ってそんなわけあるかい!」
と思いましたからね笑。
ざっくりでも構いませんので、一度自分が最期をむかえる時、あるいはその直前を想像してみてはいかがでしょうか。
すると、「本当に今のままでいいのだろうか?」と思えるはずです。
おわりに
「ゼロで死ぬ」ことができればそれは理想であり、
「きっちりと使い切ったー!もうこの世に思い残すことはない!」
と、この世におさらばすることができます笑。
しかしそれが現実的に不可能であるのは、人がいつ死ぬかわからないという事実があるからですよね。
ただ「不安や恐怖」によって蓄財をしていた僕は、どこか本質がズレていました。
「今」のお金の使い方をもっともっと自分なりに突き詰めていいし、もっともっと試して最大限に使ってみたらいい。
そのような考え方を持つだけで、今感じることのできる「幸せ」を最大化することができますし、何より「死」に対してポジティブになることができます。
資産を使い切ることはなくても、決して後悔のない人生を歩もうと努力していけるからです。
乱暴に言えば「逆算」という言葉になってしまうのでしょうが、今の本当の価値を生み出したいのならば、一度考えておくべきことだと思っています。
お金や時間の使い方はそれぞれではありますが、ぜひ最大限に活用していきたいですよね。
僕もこうして浪費の方法を発信していきますので笑、ともに幸せになっていきましょう。
それではまた!
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