どうしたら安心感を与えられる人間になれるか【聞いて認めること】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、トルコのイスタンブールで出会った日本の若者と、まさかのラスベガスで再会することとなりました。

彼は意図的に日本人と会うことを避けていたようでしたが、

なんだかせいじさんだと安心感が半端なくて、会おうって思っちゃっうんですよね

と言ってくれました涙。(脚色あり)

去年あたりから「批判的な自分」がいなくなり、度量も広くなった僕ですが、

一体どうして、そういった安心感が与えられるようになったのだろう?

と考えてみました。

今日は僕なりの「安心感に繋がる行動」について書いていきたいと思います。

相手の話を聞いて、批判をしないことだ。しかし同時に自分の考えも表裏なく伝えることだ。

批判的にならないこと

僕が彼と話していて感じたことは、

僕って以前より本当に批判しなくなった

ということでした。

ここで間違えて欲しくないことは、「なんでも受け入れろ」という意味ではないということです。

彼に限らず、多くの人と話していればそれだけ「意見の相違」はありますし、オンライン英会話でも生徒のみなさんとよく議論を楽しんでいます。

  1. 批判的に考えること
  2. 純粋に相手を批判すること

では、その意味に大きな差があります。

コミュニケーションや人との会話においては、

まず相手を受け入れること

ができない限り、文字通りお話になりません。

相手を批判しよう

と思っていなくても、無意識に意見の相違に反応してしまう人は、当然のことながら相手としても、

何か言われるんじゃないか?

と感じてしまうものです。

それでは安心感を与えることはできず、人は離れていってしまいます。

後述しますが、ただただ相手の全てを受け入れればいいということでもありません。

ここは「先生」の気質が出てしまうのですが笑、相手のことを思いながら話を聞くことと、聞き流すことでは全くの別物です。

相手を真に思うのならば、

  1. 批判せずに
  2. 同時に意見を真剣に聞くこと

ですよね。

すると、

この人ともっと話していたい
もっと話を聞いてもらいたい

と思われるようになります。

僕は相手を真っ向から批判しなくなってから、多くの人と良好な関係を持てるようになりました。

それぞれがそれぞれの正義を持っているのですから、

それもまた正解だ

と言ってもらえることは、誰だって嬉しいものです。

その上で、議論をしたり、よりよくなる方向に向かおうとしたりすることが、会話では大切なことなのですね。

人と話していると意見の相違なんてよくあること。そこで批判的にならないことで、この人と話したいと思われるようになる。

相手の話をめちゃめちゃ聞くこと

これも以前に何度か記事にしましたが、僕はダンス部の顧問や担任をしていた時に、生徒から数時間の悩み相談を受けることが多々ありました笑。

別にイヤイヤやっていたわけではなくて、腰を据えて彼らの現状を聞くことが、とても好きだったのです。

こればかりは、根本的に「教育者」なのだからかもしれませんけどね。

彼とラスベガスの広い街を歩きながら、彼の現状や彼が考えていることなど、ずーっと多くの情報を受け取っていました。

もちろん、イヤな気持ちは一切なくて、

むしろ楽しい時間をありがとう

とすら思っていました笑。

それだけ「人の話を聞いてあげる」ということは、多くの人が求めていることであり、僕の「人の話を聞けること」とは、大きな力なのかもしれません。

「聞き方」にもポイントがありまして、「批判しないこと」は当然のことですし、相手の言ったことを繰り返しながら、自分なりに相手の立場に立って考えてみることも大切なことです。

「親身になって聞く」ことができるようになってからというもの、いろんな人と話すのが楽しくなっただけでなく、

ぜひ会いたい

とも言われるようになりました。

包容力」と言えるほど自分が大人になったとは思っていませんが、

うんうん、なるほどねぇ〜

と人の話をじっくりと聞いてあげられるような、そんな人間にはなれているかなとは思っています笑。

でもやはりこの「聴く力」は絶大でして、いろんな人の気持ちの整理や、悩み解決に繋がっています。

そこから生まれる「安心感」。

どんな人にでも、この安心感を与えることができれば、

話してて心地よい

と思われます。

僕は基本的に批判もしませんので(しなくなりましたので)、その点も買ってくださっている人がいるのかなと思っています。

話してて感じる安心感。

それは僕自身が、会話を楽しんでいるからでもあるのかもしれませんね。

相手を批判することなく、じっと話を聞いてもらえると、人は安心感を覚える。一度安心感を覚えれば、また話したいと思ってもらえるのだ。

自分の意見を示すこと

先述した通り、「ただただ話を聴くだけ」ではよろしくありません。

よく言われていることは、

女子って話を聞いてもらうだけでいいんだよ

という通説ですが、僕は半分間違っているような、そんな気もしています。

僕は「性」に関係なく、相手の立場に立って「僕なりの意見」をぶつけることを基本にしています。

キツく聞こえるかもしれませんが、決して批判的には言いませんし、上から目線でアドバイスするような口調にもならないように気をつけています。

「悩みを相談される」ということは、そこになんらかのリアクションが欲しいということでもありますからね。

僕は元先生ということもあって、

僕だったらこう言うだろうなぁ
こうしたらもっとよくなると思うけどなぁ

と、「仮定の話」をすることが多々あります。

また、世界を飛び回ったことで得た経験もありますから、多少は人より「広い視野」を持っていますし、いろんな角度から意見を伝えることもします。

  • 話を聞いたり
  • 議論をしたり

する時は、意外にもニュートラルな立場に立つのが難しいものです。

誰だってどちらかに寄ってしまったり、感情的になってしまったりすることなんて経験したことがあるはずですし、僕も批判的かつ攻撃的だったものでした笑。(やべぇヤツ)

そこを「うまい按配」で伝えることができるということは、それはそれはいいポジションだということなのです。

絶妙に、

  1. 批判せず
  2. 多角的に意見を伝える

のです。

昔の僕は、これができていませんでした。

でも「受容」ができるようになりますと、それだけで人は寄ってきてくれます。

さらにそこから、適切ではなくても「僕なりの意見」を伝えることができれば、相手も嬉しくなりますよね。

守りと攻めを同時にしているような、そんな感覚でしょうか。

別に戦略的に話をする必要はなくて、純粋に相手のことを思いながら「自分ならこうする」という意思表明をしているのです。

この域に到達するには、前提として「相手の話をしっかりと聞けること」が大切になってきます。

その上で、話をするときに適度に自分の言葉に「肉付けをしながら」やりとりができるかどうなのか。

僕もわずかですが、以前より成長したからこそ、

安心感あるわ〜

と言ってもらえるようになったのかもしれませんね。

相手の話を聞きつつも、自分なりの意見を伝えることだ。どちらかに寄ってしまう人は多いから、ニュートラルに考えられるようになると、それだけで必要とされることになる。

おわりに

安心感がある

初めて言われたような気もしますが、こうして多くの人から「話したい」と思われるようになったのは、それだけ器が大きくなったからなのかもしれませんね笑。

「話したい」と言われるように「なった」のであり、僕は以前からこんな人間ではありませんでした。

そこには技術やテクニックよりも、もっと根本的な「優しさ」や「視野の広さ」が必要なのでしょうね。

偉そうに言っていますが、僕もまだまだこれから。

もっと「必要とされる人間」になっていこうと思います。

それではまた!

コメント

  1. Timothy Bull より:

    Nice, thoughtful article Merry Christmas Seiji

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