こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、
- 大阪
- 名古屋
- 東京
で、海外に行く僕のために「送別会」が催されました。
何度でも言いますが、僕は本当に「この手のパーティー」が苦手で、中心に立つことができません笑。
最初こそ我慢してたのですが、やはり感情が昂(たかぶ)ってしまい、たくさん泣いてしまいました。
僕は以前、
と思っていました。
もちろん、逆に「人前で泣けることがカッコいい」と思っているわけでもありません。
今日は「泣ける瞬間」について書いていきます。
大人になると泣かなくなる?
と、思われる方もいるかと思いますが、僕はそうは思いません。
むしろ以前よりも、
- 感動したり
- 幸せを感じたり
と、より敏感な感性になったような気すらしています。
最近では、
- 動画を見て泣く
- 映画を見て泣く
- 本を読んで泣く
- 漫画を読んで泣く
こんなことも多くなりました。
また「学校の先生」ということもありますから、卒業式やダンス部の引退公演でよく号泣したものです。
僕個人としては、たくさん経験をしてきたことで「共感して泣ける」ようになったと思っています。
大人になっていく中で、人が経験するツラさも感じられるようになりましたしね。
ところでみなさんは、「泣くこと」はあるでしょうか。
もちろん「泣けばいい/泣いたほうがいい」というつもりはありませんが、僕は「泣けるシーン」が多くなったと思います。
そのシーンとは、いつも「一所懸命に何かに打ち込んだ後」のことが多いです。
あるいは、自分の中にある「熱い何か」と共鳴した時に、自然と涙がこぼれ落ちてきます。
ということは、
と感じている人は、もしかすると何かに一所懸命になれていないのかもしれませんし、一緒に真剣になれる仲間がいないのかもしれません。
そうですね。
僕が気にしておきたいところは、
- ともに歩める仲間がいたり
- 何か打ち込めるものがあったり
するのかという点のほうです。
結果として涙になることもありますし、心の中で密かに燃やす闘志の場合もあります。
大切なことは「表現されるかどうか」ではありませんからね。
ただ、自分が生きてゆく人生の中で「感動できる場面」があるということは、人生を豊かにするのは間違いありません。
できるのならば、大人になっても泣けるような、涙が自然とあふれ出るような経験をしていきたい。
僕はそちらの人生を、選んで生きていきたいと思っています。
人前で泣いたっていい
以前の僕は「人前で泣くこと」が恥ずかしく、感情を堪えることが多かったです。
今回の送別会でも、最初のほうは結構頑張って我慢していました笑。
それでも、
- 寂しさから泣いてしまう友人
- 送り出してくれる人たちの笑顔
を見ているだけで、感情が湧き上がってきてしまい、胸の奥底から出てきた熱は目頭を熱くし、涙という形に変わって、とめどなく流れてきました。
大人になって泣くことは何度かありましたが、多くの人たちから感謝の気持ちを伝えられたのは、生まれて初めてだったからです。
自分の感情をどう制御したらいいのかわからず、泣くことでしか感情を表すことができませんでした。
でも僕は、それでよかったのだと思います。
僕は昔から不器用でして、天然でボケをかましてしまうこともありますし笑、人目も気にせずものすごく感情移入してしまうこともあります。
人前で泣くことは恥ずかしいことでしょうか。
以前の僕だったら、そう思っていたことでしょう。
今の僕は、自分の感情に素直に従えるようになったと思っています。
本音で言えば、とても寂しいですし、ずっとずっと友人や仲間たちと一緒にいたいです。
だからこそ、
そう思いました。
何度も言いますが、その思いを表出すること自体が大切なのではありません。
そこにある「自分の気持ち」に、逆らわずに身を任せること。
それが大切なのですね。
大人になりますと、恥ずかしがったり無理に感情にフタをしてしまうことが多くなります。
でも、その時に感動したのならば、思いっきり泣いてもいい。
- 感情を素直に出せる「環境」があること
- 感情を素直に受け止めてくれる「仲間」がいること
そんな場で、そんな仲間の前で、思いっきり涙を見せられることは、これからの人生でなかなかないことなのですから。
本気で生きるから泣くことができる
気持ちに素直に従うことは大切なことです。
ただ、泣くことができるほど仲間と関係を築いたり、結果を残したりすることができるのは、真剣に自分の人生と向き合っている人だけです。
僕が3月に入ってから本気で泣くことが多くなってきたのは、それだけ「本気で」取り組んできたことが多かったからでした。
ただし、一人ではここまで来ることはできませんでした。
- 一緒に頑張ることのできる仲間や友人
- なんでも気兼ねなく話すことのできる気の置けない存在
彼らがいなければ、今僕はこうして涙を流すことはなかったと思います。
僕の場合、思いっきり泣いた時というのは、決まって「何かしらのコミュニティ」の中でした。
- 学校の同僚
- 部活動(生徒)
- ダンスサークル
- 英語の自主ゼミ
- オンラインコミュニティ
別に「どこ」と決める必要はありません。
何かに一所懸命になることのできる、そんな仲間を見つけること。
それだけのことです。
僕はここ1〜2年で、一度しかない自分の人生について「真剣に」考えてきました。
僕の胸の深いところから湧き上がってくる、熱い思い…
と言ってくださる人が、少しずつ周りに増えてきました。
もし僕の中に、このような「何かを変えたい」という熱い思いがなければ、ここまで泣くことはなかったと思います。
「熱い想いを持つコミュニティ」に属してみたいと思うことは、個人的には「本質ではない」と思っています。
いえ、実際はその集団の中に「熱い想い」はあるのかもしれません。
しかし、自分が「熱い気持ち」を持っていなければ、共鳴することはできないからです。
僕はたぶん、どのコミュニティに入っても、
そう思っているから、どこでも泣くことができるほどの経験ができるのだと信じています。
その集団やコミュニティに頼るのではなく、自らが熱く燃えるような、熱い気持ちを心の奥底に持つこと。
これだけを忘れずにいれば、いつか思いっきり感情を爆発させることができます。
僕は今月、たまたま泣くことが多かったのですが、それは熱い気持ちをずっと持ち続けて、様々なコミュニティの人たちと関わってきたからこそなのだと感じています。
まずは自分から、なのです。
おわりに
思いっきり自分の感情を出せる機会とは、意外にもあまりないものです。
「涙」はとてもわかりやすい感情で、もてはやされてしまいますが、「自分の熱い想いが表に出る」という意味では、僕は好きな表現の仕方だと思っています。
僕だって、泣きたくて泣いたわけではありませんから笑、それだけ涙が出るほどの関係を築いてきたということを感じられたのです。
これからも、そんな大切な瞬間を経験できるようにしていこうと思います。
それではまた!
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