こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の周りには、なかなか自分に自信を持てない人が多くいます。
これは驚くことではなく、現代の多くの人の課題でもあります。
先生として仕事をしていますと、自己肯定感の低い生徒を見ることは日常茶飯事です。
以前も、そんな生徒に関して記事を書いたことがありました。
まずはその生徒の存在を認めてあげること。
それによって生徒が、
と思えるからです。
過去にそんな記事を書きましたが、今日はまた違った視点から、なかなか根の深い課題である「自己肯定感」について書いていきます。
価値観が同じ仲間と一緒にいること
自己肯定感を上げるためには、「褒めてもらうこと」が必要不可欠です。
しかしこれが難しいところでして、
という人が後を絶ちません。
僕は学生時代から、母親に幾度となく褒めてもらって生きてきました笑。
しかし一方で、自分の外見や性格にはコンプレックスがあり、
と、確かにうすうす感じていました。
もちろん、褒めてもらうことは大前提として「あったほうがよいこと」なのですが、周りの人だって、なんでもかんでも適当に褒めるわけにはいきません。
最終的には自分でなんとかしなければならないということは極論であり、みなさんもその点は十分に理解されているかと思います。
ここで大切なことは、身を置く「環境」であると思っています。
「褒めてもらえる環境」以上に、自分の居心地の良い環境に身を置くこと、でしたね。
その中でも「価値観」はとても大切なポイントだと思っています。
僕はずっとダンスを続けていますが、ある時期に一緒に練習していた人とうまくいかなくなったことがありました。
- ダンスは好きだし、
- スキルも褒めてくれるし、
- 一緒に練習もしてくれる。
と思われた方もいるかと思いますが、僕がその場を離れることになった決定打は「価値観の相違」でした。
離婚をした時も、同じように「価値観のズレ」がありました。
つまり、
- 褒めてくれる環境
- 好きなことができる環境
にいくら身を置いたとしても、人として「生き方の価値観」が合わなければ、それは居心地の悪い環境であると言い換えることができます。
まずは価値観の合う友人や、仲間たちと出会うこと。
それが自己肯定感をUPさせる、最高の環境だと思っています。
傷のなめ合いは自己肯定感を下げるだけ
「価値観の合う仲間たち」と出会えたら、それが「ポジティブな環境」であるかどうかも考えてみましょう。
自己嫌悪に陥る時は、
- 周りがすごいから
- 周りは頑張っているから
と思うことが多く、「人と比べて自分は…」と考えがちです。
挙げ句の果てには、
と思ってしまうことさえあります。
僕はこの考え方は、絶対に間違っていると思っています。
- 周りにすごい人がいる
- 頑張っている人がいる
という環境は、探してもなかなか見つからない環境だからです。
また、
- 成長しようとしない環境
- グチばかりで前に進まない環境
にいても、自己肯定感は上がるどころか下がってしまい、そもそも人としてもダメになっていってしまいます。
自分が成長することをやめてしまい、結果的に「褒めてもらえる材料」がなくなる。
だから自己肯定感の向上にも繋がらない…と悪循環に陥るからです。
むしろ、
「前を向いて一所懸命頑張っている人たち」
のいる環境に飛び込むほうが、その人にとって必ずプラスになります。
- 自分を引き上げてくれる存在
- 一緒の方向を向いている存在
が近くにいることで、ポジティブなロールモデルを見ることができるからです。
大切なことは、その人たちの出している「結果」ではなく「姿勢」です。
その「姿勢」や「熱量」、「ベクトルの方向」はみなさんが求めている姿であるはずだからです。
人と比べた時、自分のことがどんなにイヤになったとしても、その環境は手放すべきではありません。
それだけ、貴重な場であることを忘れてはいけないのです。
「自分」も1人の人間
とはよく言われたものですが、実際のところ、それはなかなか難しいことだと思います。
だったら、いっそのこと他人と比べてしまえばいいのではないかと思ったことがありました。
ここでの「比べる」は、「ただ比較してみるだけ」という意味です。
その上で、
「彼らに対して、自分がどういう感情を抱いたのか」
を、具(つぶさ)に読み取ってみましょう。
僕は大学/大学院時代の友人や、教員仲間、コミュニティの人たちと会うたびに、
と思うことがよくありました。
と。
彼らに対して尊敬したり、すごいと思ったりすることばかりでした。
そして大切にしていることは、その感情を押し殺したり否定したりしないようにするということです。
素直に「この人はすごい!」と思えたということは、その人の「魅力的な部分」を、
- 見つけて
- 尊敬して
- 褒めること
ができたということだからです。
他人を尊敬したり褒めたりできる人は、自分の素晴らしいところを必ず褒めてあげることができます。
むしろ「自分の頑張り」を褒めてあげないなんて、自分に対して失礼ですし、せっかく頑張った自分がかわいそうです。
他人のことを素直に「すごい!」と思える人が、「自分」のことになると急に他人と区別し始める。
自分だって1人の人間であるということは、同じことなのではないのかなと、僕はそう思っています。
それなら、他人に敬意を払ったり「すごいね!」と褒めたりするのと同様に、自分という「1人の人間」にも声をかけてやるべきです。
他人と比べてみた時に、
という感情以外に、他人に対してポジティブな感情も湧いてきていることに気づくこと。
他人への尊敬の気持ちや「すごいな!こうなりたいな!」という気持ちを押し殺さずに、大切にしておくこと。
僕はそれができているだけで、すでに十分素晴らしい人格者だと思っています。
そうしましたら次にやるべきことは、
- 「自分なんて…」と落ち込んでしまうことよりも、
- 「この人たちすごい!」と尊敬の感情のほうに焦点を当てること。
すると「人と比べること」自体が客観的でポジティブな作業になっていきますし、少しずつ自分の「できたこと」にも焦点を当てられるようになってきます。
みなさん一人一人も、大切な「1人の人間」です。
他人に優しくできるのであれば、自分にも優しく。
自分にも敬意を払い、「人として」尊敬してあげましょう。
おわりに
と思うことは、簡単な行為だとしても、心からそう思うには難しいものです。
以前の僕は、人の成功や結果を素直に喜ぶことができませんでした。
その時期は、自己肯定感が下がりに下がっていました。
人を尊敬することができないのに、自分を尊敬することなんてできないからです。
逆もまた然りと言いたいところですが、それは少し難しいようです。
でも人を尊敬することができる人は、自分を尊敬して大切にすることができるのは間違いありません。
ほとんどの人は、(以前の僕と違って笑)他人のことを尊敬することができていることでしょう。
ですから次は、自分自身にも敬意を払ってあげてください。
あなたも立派な「1人の人間」なのですから。
それではまた!
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