大人になってから失敗するメリット【子どもたちの前で失敗しよう】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日読破しました、「今日、誰のために生きる?」では、

失敗することがいいことだ

と書いてありました。

僕も遅ればせながら、やっと人前で失敗することができるようになってきました。

失敗することは、日本に限らず多くの大人たちが「敬遠していること」だと思っています。

でも僕らは、失敗して生きてきましたよね。

大人たちが失敗するのはなぜいいことなのか。

書いていきます。

子どもの前で失敗することで、「失敗していいんだ」という感覚を身につけさせられる。

失敗することはかわいくて人間らしい

日本だと多いのかもしれませんが、「人の失敗を笑う」という文化が強いです。

もちろん、笑ってもらえるということもまた嬉しいことですから、ここでの悪い意味での定義は「嘲笑う」として定義させていただきます。

うわwだせぇw

というように、人の失敗を見てメシがうまいと思うような、そんな笑い方です。

僕は笑われることがあまり好きではありませんでした。

  • ダサい
  • 恥ずかしい

といった気持ちが強かったからです。

「笑われる」にもいろんな種類があるのですが、僕は混同していたんですよね。

「嘲笑われている」と感じていたのです。

この書籍には、

失敗するのは人間らしいことであり、かわいらしいことだ

と書いてありました。

なるほど。

今の僕ならとてもよく理解できます。

失敗するからこそ人間らしいですし、愛されていきます。

愛を持って笑ってくれる人が周りにいるはずですし、仮にもしバカにしてくるような人がいるのであれば、離れればいいだけです。

つまり僕は、勝手に「バカにされている」と勘違いしていたということ。

本来そんな人はあまりおらず、いるとしても匿名で石を投げてくるような、本当に知らない人たちだけです。

だから失敗しても、そんな自分を愛してあげることです。

特に僕は、世界一周をしてからというもの、

失敗なんて、してなんぼだ

と思うようになりました。

海外ではうまくいかないことばかりで、多くの友人たちに笑われたものでした笑。

でもそのおかげで学んだことはたくさんあって、失敗があったからこそ「経験談」として語ることができるようにもなりました。

なんだ。失敗してもかわいいもんじゃんか

失敗すればするほど愛される。

失敗を糧にして前に進んでいれば、自然と愛されてゆくのです。

失敗するなんてかわいらしいし人間らしい。失敗して笑ってもらおう。

子どもたちの前で失敗しよう

先生という職業の難しいところは、

生徒たちの前で恥をかかないようにしよう

と、やたらプライドだけ高い教師がいるということです。

以前の僕ですね笑。

これがいかに生徒に悪影響を与えるかと言いますと、この姿勢が生徒たちに「失敗しちゃダメ」という観念を植え付けてしまうからです。

先生たちって完璧だよね

と思われることは、一見すると良さそうですが、実は悪影響です。

大人たちが失敗を隠し続けてしまいますと、子どもたちは失敗を目にする機会が減ってきます。

すると生徒同士で、

  • 失敗
  • できないこと

バカにし合うようになります。

すると「失敗すると恥ずかしい」と思うようになり、過度にチャレンジすることをイヤがるようになります。

これは決して、先生に限ったことではありません。

だからこそ、僕は世界一周をする時、

絶対に毎日発信して、誰かの役に立つようにしてみよう

と思っていました。

数年前あたりから「失敗すること」を恐れなくなった僕は、あえて自分を実験台のようにして、人前でいろいろとチャレンジして、失敗するようになりました。

それがカッコいいのだ

と思い始めたからです。

そして何より、僕の元生徒やSNSをフォローしてくれている人の励みになると思ったからです。

せいじもたくさん失敗してるし、いっちょ挑戦してみるか!

そう思ってもらえれば嬉しいのです。

僕も昔は本当に挑戦することが苦手でして、「うまくいったこと」だけを報告し、失敗したことは闇の中へと葬(ほうむ)り去っていました笑。

そういった部分も含めて、周りの人に見てもらうこと。

確かにせいじは、たくさん失敗してきたよな

そんな風に思ってもらえれば、愛されるのです。

全ての失敗を伝えていけばいいというわけではありませんが、少なくとも僕は、そうした「失敗談」を話すようになってから、

  1. 自分を愛すようになり
  2. 他人からも愛されるようになった

と思っています。

だからこそ若い子たちには、

挑戦して失敗することはいいことなんだよ

と伝えるようにしています。

子どもたちに失敗を見せないようにする姿勢は、逆効果だし子どもたちの挑戦を妨げることになる。

いかに失敗していく姿を見せるか

失敗していく姿を見せること。

一見するとネガティブですが、失敗の前段階に必ず「挑戦」があります。

当たり前のことですが、挑戦があるからこそ「失敗」があるのです。

つまり失敗を恐れることは、挑戦を恐れることも意味します。

以前の僕は、全然カッコよくありませんでした。

  • 挑戦することも
  • 失敗することも

恥ずかしいことだと思っていたからです。

日本文化のせいにするわけではありませんが、そうしたマインドになってしまっていたのは間違いありませんでした。

だからもっと、

間違えてもいいような環境を作ってあげることが大事なんだ

と感じました。

特に英語においては、僕自身もネイティブではありませんから、よく間違えますし聞き取れないことだってたくさんあります。

先生だからこそ、

ちゃんとできなきゃなぁ…

と思うべきだと言われれば、確かにその意見もわかります。

しかし先述した通り、「間違えながらも/転びながらも」走り続けているその姿のほうが、愛されるのだということがわかりました。

もちろん、「適当にやってればいい」ということではなくて、

  • 経験
  • 知識
  • 成長
  • 人柄

などをうまく融合させてゆくことで、「人からの支持」は得られるのだと思っています。

失敗とは決してネガティブなことではなく、僕の人柄を形造(かたちづく)る要素にすらなるのです。

先生とは「先に生きる」と書くように、僕が生徒たちの前を走って挑戦できることは、これからもまだまだたくさんあります。

その中で「失敗しないこと」なんてあり得ませんよね。

毎回100点が獲れるようなテストなんてないですし、仮にあったとしても相当つまらないです笑。

失敗するからこそ人間らしいし、魅力も深みも生まれてくる。

その「良さ」を見せることも大切ですし、挑戦する姿それ自体も、他人に力を与えられるのだと思います。

すると他の人の失敗も笑ってあげることができて、

人間らしいね!また挑戦したらいいよ!

と言って、また自分は自分で挑戦する日々に戻ることができるのです。

たくさんたくさん、僕は背中を見せていきます。

それが「先生」なのです。

挑戦して失敗する姿を見せていこう。それが人間らしさを深めるのだ。

おわりに

僕は30年以上生きてきて、たくさん失敗してきました。

え?大した失敗してないでしょ?

それはその人から見たものであって、それぞれが感じている「失敗」とは小さなものから大きなものまで様々あります。

その大きさを競っているわけでもありませんからね。

失敗のおかげで「今の僕」がいて、しかもそれを曝(さら)け出すほど愛されるようになりました。

失敗はたくさんしたらいい。

それだけ挑戦したということなのですから。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました