学生時代に思い描いていた未来との違い【実は求めすぎなのでは?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

ふと、この前電車に乗っていた時に、電車内のモニターに様々な広告が流れてきました。

  • 旅行
  • サービス

といった贅沢な動画が流れてくるわけですが、

はて?自分は学生時代に、このような贅沢な日々を送りたいと思っていただろうか?

と、疑問に思ってしまったのです。

僕が学生時代の時は、

世界を見てみたい!

とか、

最高の贅沢をするんだ!

なんて考えたことは、一度もありませんでした。

ただただ目の前の勉強やダンス、恋やバイトなど、いろんなものに興味があって、

あの時は若かったなぁ

と感じています。

しかし、そこから学べることもあります。

今日は「今求めているもの」について書いていきます。

以前、僕が求めていたものと、大人になってから見えている世界はなんだか違って見えた。あの時の感覚を思い出すべきなのではないか。

学生の頃は目の前が青春だった

青春時代、僕は目の前のことにだけ集中し、将来のことなんてあまり考えていませんでした。

それだけ、日本がまだそこまで落ちぶれていなかったのかもしれません。

現在ほどの問題も浮上していませんでしたしね。

平和ボケと言えば平和ボケでしたが笑、あれはあれでいい時代でした。

ただ、「時代」を考えなくとも、

若い時ってそんなに何かこう、ラグジュアリーな生活を望んでいたっけ?

と思ってしまったんですよね。

  • 部活
  • 恋愛
  • 勉強

などが生活の大半を占めていて、帰りのコンビニで1ℓのジュースを買えれば幸せでした笑。

クラス替えでは緊張したり、大学時代もダンスにだけ集中したりと、あらゆるものが新鮮でしたね。

そうなんです。

そこに「贅沢」という望みは、全くと言っていいほどありませんでした。

お金もなかったので、“そのような世界” を知らなかったフシもありますけれど。

とにかく、頭になかったんですよね、そのような「贅沢な暮らし」が。

たぶん、みなさんも学生時代を思い返せば、

確かに、そんなことは考えていなかったなぁ

と思う人が多いかと思います。

金銭的にしんどかった方は、お金についてもっと考えていたかもしれません。

それでも、なんだか目の前のことをこなしてゆくのに必死でしたし、現代ほど、

もっと贅沢できたらなぁ

なんて発想にすら、至っていませんでした。

良く言えば純粋でしたし、そこまで日本も壊れていなかったと思っています。

僕は大人になってから、一体全体どうなってしまったのだろうか?

と、ふと感じたのですね。

中高生から大学生の頃は、贅沢の「ぜ」の字も頭に思い浮かばなかった。今となっては、どこかに「贅沢したい」という気持ちが入り込んでいるのではないだろうか。

どこか高望みしていないか?

大人になってからですと、多少なりとも経済的に余裕が出てきます。

働いていますから、ちょっとした外食ならなんとでもなるでしょうし、

おー、旅行かぁ。いいねぇ

と、電車の広告を見ては飛びついていたに違いありません。

しかし、電車に揺られながら考えを巡らせていますと、

いや、僕が学生時代の頃なんて、こんな贅沢は求めていなかったはず

と思い返していました。

青春の大半は、二十歳までに詰め込まれていると言われていますが、あながち間違いでもないと思っていまして。

それくらい「今、望んでいるもの」とのギャップがすごいのです。

多分僕ら “大人” は、

  • ストレスから逃げようとしていたり
  • 自分の経済力に傲(おご)っていたり

しているのではないでしょうか。

今となっては両方ともありませんが(おい笑)、ちょっと前の “先生になりたての頃” なんかは、そのような「贅沢をしたい気持ち」は多少なりともありました。

ただそれでも、僕は倹約なほうだったと思っています。

かなりの額を貯め込んでいましたからね笑。

この「贅沢をしたい」という点を分析しますと、もしかしたら、

大人になってくるといろんなものが見えてくるから

そう思ってしまうのかもしれません。

目の前の「やらなければいけないこと」が、学生時代のそれとは明らかに変わってしまった…

  • 仕事
  • 家族
  • 人生設計

など、考えなければならないことが山ほどあって、

ええい!たまには贅沢でもするか!

と思うようになってしまったのではないのかなと。

なまじ経済力はあるものですから、どこか青春時代に感じていた「幸せ」とは違った “贅沢” というとっつきやすいものに、感情を支配されていたのかもしれません。

新鮮なものも、周りにだいぶなくなってきますからね。

それは「変なカタチ」で幸せを求めた、歪(いびつ)な思いなのでは?

あの頃を思い出しますと、もっと純粋に、

  1. 公園で遊んで、家で食べるご飯が幸せで
  2. 勉強や部活に全てを捧げて、毎日が感動の連続

でした。

そう。

今の僕らは、何か「お金」や「権力/ポジション」が全てになっているのではないでしょうかね。

大人になってくると、どこか変なカタチの贅沢さを求めてしまうのかもしれない。学生時代を思い返せば、もっと純粋に毎日が楽しかったものだった。

あの頃を思い出せ

清貧な生活を求めていた僕は、また少しずつ体がバキバキになってきていまして笑、特に贅沢をすることもなく、公務員時代の「ルーティン生活」に戻りつつあります。

僕みたいに「世界一周をした人」に対してみなさんが思うのは、

もっと特別なことをしないの?

という疑問ではないでしょうか。

でも僕は、

何か特別なことをすれば、イコール幸せであり豊かである

とは思っていません。

むしろ毎日見上げる空が綺麗で、公園で遊んでいる子どもたちを見られれば、

なんて今日も世界は平和なのだろう?

と、幸せに満ちるようになります。

どこかスピリチュアルな感じもしますが笑、実際そうだからそれでいいのです。

もっと若い頃は、このような「落ち着き」なんてありませんでしたが、毎日自分が主人公のような気持ちで生きていて、とても楽しかったですね。

先日、電車に乗ってふと学生時代を思い出したように、

そうそう。これでいいんだよ、これで

と、改めて思うことができました。

昔は、お小遣いをやりくりして駄菓子屋さんで買い食いをしては、自販機でジュースを飲めればハッピーでした。

今も実は、この感覚に近い感覚を持てていると思っています。

もちろん、消費しない社会とはデフレに陥ってしまいます。

しかし、かといってムダにお金を使いまくればいいというわけでもありません。

僕は日本の企業さんにも投資していますから、そういう意味ではいい使い方なのではないでしょうかね。

こればかりは、それぞれの価値観に委(ゆだ)ねるしかありませんが。

いつの間にか大人になって

うっかりして真面(まとも)になって

失った宝物を探しに行こう

これはMr. Childrenの『fanfare』という曲の歌詞です。

僕らはいつの間にか、「大人ってこういうもの」という偏見に侵(おか)されているのかもしれません。

いいんです。

昔の古き良き時代を思い出して、是々非々で「この点はよかった」という点を見つけ出し、そこに回帰することも大事なことなのですから。

僕らが学生だった頃は、小さなことや目の前のことで必死だった。大人になったって、無理に贅沢をしなくたっていい。あの頃の幸せを探しに行こう。

おわりに

ぼーっと立っていた電車の中で、ふとフラッシュバックした学生時代の映像。

そうか。何かこう追い立てられていたけれど、やっぱりこの「当たり前の生活」に幸せを感じられれば、それでいいんだ

と、再認識しましたね。

時代もありますし、今日本が瀬戸際ということもあります。

切迫感があるから、そう感じてしまうのかもしれません。

あの頃の忘れ物を、また探しに行きましょう。

それではまた!

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