誰もが人に影響を与えられる存在であること【少しの力にでもなる】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

以前から僕は、

先生にできることなんてほとんどない

と思って生きてきました。

今でもそう思っていますし、淡々と日々を過ごしています。

ただ先日、久しぶりにクラスに入ってきた生徒さんがいました。

先生に感謝したくて…

と。

始めに言っておきますが、先生とは何かと感謝される存在です。

嬉しいは嬉しいのですが、天狗になってはいけません。

どうやら僕の一言で、いろいろと人生を変えられたとのことでした。

今日は「自分にできる小さなこと」について書いていきます。

僕らには何もできない。でも周りの人に小さな幸せを与え続けることはできる。

基本的には生徒の力

いつも書いていることですが、僕はこういうことを言われますと気恥ずかしいのです笑。

「ごまかし」からの言葉でもありますが、

いや、自分で判断して行動に移せた、あなた自身の力ですよ

と伝えました。

生徒さんはホロリとしていましたが、

そういう一言が、私を変えてくれたんです

と、また感謝されました。

僕は基本的に、

  • 先生という立場であろうとも
  • どんなに学んで賢くなろうとも

人の上に立つことはできないと思っています。

自分を変えることができたのであれば、

それはその人自身の力だ

と思っています。

それは僕自身にも言えること。

僕にも尊敬する人はたくさんいますが、そこで影響を受けて変わろうと思った自分がいたからこそ、今ここに立てているのだと、そうも思うのです。

自慢でもなんでもなくて、行動するかしないかはもうその人自身にかかっているとしか言いようがない、ということですね。

僕はいつも、

こうしたらいい。あぁしたらいい

と自分の人生経験から、生徒さんたちに「持論を説いているだけ」に過ぎません。

その話を、

  1. どう受け止め
  2. どう解釈して
  3. どう人生に活かすか

は、その人次第。

僕の話が役に立たないことだってありますしね。

だから僕はいつも、

僕に感謝するのではなくて、変わろうと思えた自分を褒めてほしい

と、生徒さんに伝えるようにしています。

僕はただのきっかけに過ぎない。

もちろん、そんな「小さなきっかけ」を作ることができたとするならば、教育者としては本望ですけどね。

生徒を無理に変えようとする教育者は多い。結果的にそれで生徒が変わったとしても、変わろうとした生徒自身の力だということを、まずは伝えてあげよう。

近い人に幸せを

僕がその生徒さんに伝えたこととは、

空を見る余裕があるか?

ということでした。

これは少し前に読んだ『今日、誰のために生きる?』という書籍からの引用でした。

僕はこの本を読む少し前から、「幸せ」についてたくさん考えていました。

日本は本当に素晴らしい国で、歩けば歩くほど、その美しさや魅力がわかってきます。

だから、疲れている生徒さんに対して何か特別なことを伝えたわけじゃなくて、

とりあえず休んでみたら?意外と近くに幸せってあるものよ

と伝えただけでした。

僕自身、

  1. たくさん歩いて
  2. 内省/内観をして
  3. たくさん本を読んで
  4. いろんな人に会っていろんな景色を見て

日本で生きていることに感動を覚え、「生」を再認識したからです。

他にも、

明日死ぬかもしれない

という想いも伝えていました。

人生は一度しかありませんし、自分らしく生きなければ死ぬ時に必ず後悔します。

僕はそれがイヤで、

だったら先生を辞めてみよう。世界を見て回ってみよう

と思ったわけですね。

僕と話す人を全員幸せにすることはできませんが、こうやって、

  1. 自分で考えて
  2. 自分でやったこと

とは、なんだかんだで “刺さる” ものです。

なぜか。

「僕自身が体験したこと」だからですね。

こうした経験があればあるほど、多くの人に実話を元にしたアドバイスができます。

みんな必死に生きていますが、それは僕も一緒です。

何か大きなものを乗り越えたわけでもありませんし、「あぁでもないこうでもない」といまだに考えながら生きています笑。

ただ、

これは誰にでもできるものだ

と思ったことも事実ですね。

本当に些細なことでも、自分の経験を伝えれば何かを変える「フック(=きっかけ)」になるということ。

みんな「何かしら」持っているのです。

特に僕は「しゃべること」が仕事でもありますし、人と話して啓蒙してゆくこともまた笑、一つの仕事とも言えます。

世の中に正しいことなんてありませんが、自分が経験して考えて出した答えとは、そこまで否定されるものでもありません。

僕は僕なりの軸に沿って、生徒さんたちと話してゆくだけ。

そこに一縷(いちる)の光でも灯せれば、それで十分。

  1. 小さな幸せを
  2. 近い人たちに与える

これだけでいいのです。

近い人に少しでも影響を与えること。それは誰にでもできる。教育者として、僕はただただ話してゆくのだ。

また日々を生きてゆく

基本的なスタンスとして、

僕には何もできない

という感覚があります。

強がったり、カッコつけたりしているわけではありません。

影響力があることが偉いわけではない

と思うからです。

そうして生徒さんが言葉にしてくれたことは嬉しいとして、一万回近く授業をしてきたうちのたった一つの言葉に過ぎません。

それだけで、

俺はすごいことをしているんだ!人の人生を変える力を持っているんだ!

と偉ぶったり、調子に乗ったりしてはいけません。

僕は僕として、できることを淡々とやっていこう

と、また日々を続けてゆくのです。

特に先生をやっていた時は、卒業式なんかではかなり感謝されました。

「3年間、生徒を見てきた」という事実がありますからね。

そうだとしても、

  1. 本人の頑張りが全てであり
  2. 先生はただ見守っていただけだ

と思えるかどうか。

謙虚さも大事ですし、勘違いしてもいけません。

僕がこれからできることとは、一体なんだろう?

いつもこう考えて、これからも授業を続けていこうと思っています。

そんな生徒からの言葉なんて意味はない。何かを言われたからと言って嬉しくなんてない

という意味ではありません。

その言葉はありがたく頂戴しますが、僕のやるべきこととは特別変わることはないということ。

誰だって、

あなたのおかげで…

と言われたら嬉しいもの。

しかし、感謝されたいがために僕は授業をしているわけではありませんし、こうして自分の経験や考え方、生き方を伝えてゆくことが生きがいなのです。

生徒さんのきっかけになれたことは、それはそれで素晴らしいこと。

でも僕自身がずっと前に進んでいなければ、説得力に欠けてしまいますからね。

一喜一憂している場合ではない。

過去も未来も繋がっていますから、それはそれとして受け止め、また進んでいきましょう。

僕のすべきこととは、生徒を喜ばせて感謝されることではない。結果的にそうなったらそれでいいが、その後も大事だ。人生は線で繋がるようになる。未来から見た自分に恥じないよう、また淡々と過ごしていこう。

おわりに

ふと言われた一言とは、とても嬉しいものです。

それを「当然だ/当たり前のものだ」と言って切るわけではなくて、

うん。それは受け止めるけれど、実際はあなたの頑張りだ。僕もまた頑張っていくよ

というスタンスを崩さないこと。

それぞれには、それぞれの人生模様があります。

僕には僕の、やるべきことがあるのです。

またそれを、淡々と続けてゆくだけですね。

それではまた!

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