最近僕が意識している人生の終わり【永遠が続くことはないから】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

死生観については、以前の記事でも書いたことがありました。

最近でも、よく「日常の小さなこと」に感動することがあります。

  • 友人と話している
  • サウナに入っている
  • カフェでゆっくりしている
  • ランニングや筋トレをした後に爽やかになる

など。

あぁ、自分は今、生きてるんだなぁ

と思うことがありますね。

また改めて考える、自分の最後

今日もまた「死生観」について書いていきます。

いつまでも自分の人生が続くわけではない。だからこそ、今に集中してできることをしていこう。

終わりを意識する

以前にも書いたことがあるのですが、僕はよく、

自分が、もし明日なくなるとしたら?

と考えています。

えー。なんかちょっと悲しい…ネガティブなんじゃないの?

いえいえ。

悲観的というよりもむしろ、もっと今を楽しむような、そんな楽観的な考え方です。

YouTubeの動画でも、

  • 屠殺の動画
  • ハンターの動画
  • なんなら料理の動画

などを見ては、

この食材(=肉)も、元はと言えば生きていた動物だったんだよな…

と思うようになり、

自分がもし、この動物だったら当然もう意識はないし、あとはその人の血となり肉となるだけだ

と、謎に想いを馳(は)せることもしています。

そこでなぜポジティブになれるのかと言いますと、

なんだ。今僕はちゃんと意識がはっきりとあって、”生きている” じゃないか

と、再確認するからですね。

どこかで僕の人生に「ストップ」がかかるはずなのですが、それが来ずにここまで30年以上も生きてこられました。

これは、奇跡以外の何ものでもありません。

自分にも、この動物たちや先日亡くなった方々のように、死が必ず訪れる

この意識が大事です。

若い頃は、なんとなく「死について考えている」ということ “それ自体” がカッコいいと思っていただけでした。

今はことあるごとに(特に幸せを感じるごとに)、

そうか。僕はまだ生きているのか

と思うのです。

ある意味、客観的と言いますか他人事と言いますか。

有機的な存在であるからこそ、人間にもいつか終わりがやってきます。

老衰なのか事故なのか、それとも事件なのか病気なのか。

いずれにせよ、それを意識していますと、以下にあげるような「今に視点を移すこと」に繋がってくるのですね。

まずは「自分にもいつか終わりが来る」と意識しておくことだ。有機的な動物である人間にも、例外はないのだ。

今できることを徹底してやる

僕も30代はすでに後半です。

あれ?10代から20代の記憶はいずこへ…

と思うくらい、あっという間に人生は終わってしまいます。

気がついたらもうおじさん、おばさん。

あるいはおじいちゃん、おばあちゃんになっていることでしょう。

若い頃にやっておかないと、何もできなくなってしまいます。

特に仕事に没頭していますと、自分のことはめっきりと忘れてしまいます。

僕は独身ですので(2026年現在)、ある意味「自分ごと」に集中できますが、一方で、

  • 仕事
  • 家族

などが立て込んでいる人は、だんだん「自分のこと」を忘れてしまうのですね。

僕ももちろん、後世や次世代に頑張って欲しいですし、

まだまだ現役だぞ!

と思いつつも、「若い子たちに勝てない自分」も認めています。

次世代に繋いでゆくことも素晴らしいことですが、やはりなんだかんだで自分の人生を決めることができるのは、他の誰でもない「自分」だけです。

  • 忙しかろうと
  • ママさんだろうと
  • パパさんだろうと
  • 仕事バリバリやっていようと

今を、自分を、蔑(ないがし)ろにしていい理由になんてならないのです。

「今の自分にできること」とは、人によっても様々ですし、適材適所という言葉もあります。

だから僕も、

僕にしかできないことをしていこう

と思ったわけです。

いつか来る最期のその時までに、自分は一体何ができるだろうか、と。

そうすれば、自ずと「今やるべきこと/今やりたいこと」などに、必死にならなければならないということもわかってきます。

  • ブログ
  • 個人事業
  • YouTube
  • 人との出会い

など、あるいは将来に向けてパートナーを探したり、家族を養ったり。

それぞれが「今」できることを、一所懸命やればいい。

いつか終わりが来るその時まで、です。

今できること、今やりたいことをしているのは、自分の終わりを意識してからだった。若い時間なんてあっという間に過ぎる。その間にも、自分のできる最大のことをしておこう。

だから今に感謝する

ふと小さなことに感謝するようになれたのも、最期を意識し始めたことがきっかけでした。

そうか。今の幸せも、数十年後には感じられなくなるんだよなぁ

とね。

命が終わってしまえば、

  1. 何も言えず
  2. 何も感じられなくなる

のは当然のことです。

だからこそ、

おぉ。このご飯美味しいぞ!
今日はサウナでめっちゃキマったぞ!
今、友人たちと幸せな時間を過ごしているなぁ

と思うたびに、僕は幸せを感じるようになったのです。

この感覚もまた、いつか感じなくなる日が来るのだろう

と思っているからですね。

些細なことでも、今は幸せを感じられることは十分にあります。

でもそれは「自分の最期」を意識したからこそ、得られた感覚でもあったということです。

若い時は若い時なりに、目の前のことにガムシャラになれるからこそ、それはそれで良かったりもします。

しかし大人になってきますと、

さて、これからの人生、どうしていこうか?

と、だんだん、

あれ?俺/私、このままどうやって終わりを迎えるのだろう?

と考えるようになります。

個人的には、こうして “最期” について考えるのは早ければ早いほうがいいと思っています。

その分、

  1. 今を大事にして
  2. 必死に生きようとする

からですね。(10代や20代では、そこまで考えなくていいですが)

大体、30代から40代くらいになってきたら、人間自然と考えるようになるものです。

「今に感謝」できるようになれば、毎日を幸せに、かつ豊かに過ごすことができるようになります。

毎日が幸せで豊かであれば、納得して「最期」に向かって行くことができますよね。

すると、あまり人生に対する「漠然とした悩み/後悔」も消えてゆきます。

今を生き、今に感謝しましょう。

僕もこうしてブログを書けるのは、あと何年かわかりませんからね。

「最期の死」を意識すると、自然と「今」にフォーカスが当たるようになる。もちろん、若い時は目の前のことにガムシャラでいい。だんだんと、最期について意識すればいいのだ。

おわりに

良いことや幸せなことがありますと、逆に死を意識しますし、普段から終わりを意識していますと、「生(せい)」を意識することになります。

表裏一体のものですから、これらについて考えることとは、とても大事なことです。

先日は懐かしい曲を聴いて、

うわぁ〜。俺、生きてるなぁ。あの時代も青春だったなぁ

と思っていましたしね。

そうした一瞬一瞬を、大事にしていきましょう。

それではまた!

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