僕の今の生活について改めて考えてみよう【幸せって何だろう?】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近は友人たちと話すことも多くなり(いつも通り笑)、いろいろと議論したり「あぁでもないこうでもない」と話し合ったりすることが多くなりました。

人と話すのはとても面白くて、

  • 自分のアウトプット
  • 固定観念が間違っているかの確認

などができます。

議論する時に大事なのは、自分の知識を確認しながら話すことです。

僕も時に間違いますし、そうして自分が「こうだ」と思っていたことを「本当にそうだっけ?」と考え直すのもまた楽しいものです。

今日は改めて考えた「僕なりの幸せ」について書いていきます。

幸せな生活ってなんだろう。改めて考えてみよう。

僕は今、幸せなのか?

2021年の後半くらいから、僕はずっと「幸せ」になっていました。

それは決して、

  • お金があるから
  • 人間関係が改善されたから

というような、単純な内容ではありません。

もうちょっとざっくり言えば、自分の人生に集中したということでしょうか。

この「ベース」ができあがりますと、

  • お金
  • 仕事
  • 人間関係

など、いろんなことにおいて「自分なりの」答えを出せるようになります。

正直、

今自分は、幸せではない

という人は、「自分の理想像」が今の時点からとても遠いのかなと思っています。

豊かな生活を目指そうとしていなければ、今の日本ではそこまで「幸せじゃない」という状態はなかなかないからです。

わかります。

それぞれツラいこともあるでしょうし、

せいじのように独り身で自由に生きられるわけじゃない

と言いたいのでしょう。

しかし「自分の人生」を好きなように生きることは、実は誰にでも可能なことではあります。

こうならなければならない

という考え方は、大抵の場合が「幻想」であり、この世の中に「〜べき」生き方なんて存在しません。

海外に行ったことのある人や、田舎と都会を比べたことがある人であれば、

そうそう

と言ってくれるでしょうし、「生き方は人それぞれだ」と思うことでしょう。

「狭い世界」を決して悪くいうつもりはありませんが、もし「息苦しい」と感じるのであれば、変わるタイミングです。

今の生き方に問題があるのならば、変えられるのは自分だけ。

僕は今、好きなことをして生きていけるうような「FIRE(=経済的自立、早期退職)」をしたわけではありませんが、

地元の人や友人に、好きな英語を好きなように教えている

という自覚があるからこそ、幸せを感じられているのです。

自分の人生を変えられるのは自分だけだ。自分で変えた人生は、幸せに満ちるようになる。

常に自由に、常に動く。

僕は公務員みたいに、

「言われたことを、言われた通りにやる」

というほうが、自分の性格に断然合っていると思っていました。

しかしそれも、固定観念でしかありませんでした。

本当はもっとできるのに、勝手に自分で、

こういう生き方しかできない

と、自分で限界を決めていたのです。

ある意味これは、「予防線」でもあります。

予防線を張っておけば、失敗した時の「言い訳」ができるからです。

でも、この一回しかない人生を本気で生きたいと思うのならば、

  1. 自分で人生の舵を取り
  2. 必要に応じて舵を切っていかなければ

なりません。

常に自由に動き回っていますと、

自分の思い描いていた、楽しいことができるじゃないか

ということに気づきます。

そこには創造性なども必要なのかもしれませんが、もちろん、僕にはそんな資質があるはずもありませんので笑、ただただできることをやっていくしかありません。

でも実はこれが、僕の求めていた生き方でもありました。

別に、

ノマドワーカー(=住所を持たずにいろんな場所に移動しながら働く人)」

になりたかったわけではありませんでしたが、結果的にあまり場所を選ぶことなく、日銭を稼ぎながら生活していて、

なんだか幸せ

なわけです笑。

でも常に自由に動いていますと、

せいじ、これってもしかしてできたりする?
せいじ、もしかして力になれることがあるかも!

と言ってもらうことができるようになりました。

教員(公務員)なりの幸せもありましたが、

もっと自分らしく!

と思って自分で選択している人生のほうが、楽しくてやりがいがあることに気づきました。

かといって毎日「怠惰」に過ごすこともないですし、ある意味、

「やりたいように自由に動きまくっている」

と言ったほうが正しいですかね笑。

自由度が高くなって、「ムダな人間関係」がなくなったことはよかったことです。

学校現場を否定するつもりはなくて、そこでの「素晴らしい出会い」もたくさんありました。

今は本当にのびのびと、自分のやりたいように過ごしている。

そんな毎日ですね。

自由とは、のんびりと何もしないことではない。可処分時間で自分の好きなように動き回ることだ。

だから僕は幸せになる

どこかで読んだことのある本か何かで、

人は意思決定権を持っていることが、一番幸せに直結する

という言葉がありました。

僕は「この考え方は正しい」と思っています。

なぜなら自分に裁量権がない時、一番苦しいと感じていたからです。

よく、

人の下(もと)で働くことのほうが楽だし、自分に合っている

という人がいます。

僕が「その考え方があまり正しくないな」と感じるようになったのは、今のほうが圧倒的に自由度が高いからです。

先ほどの言葉を借りれば、やはり人は「自由に生きること」が一番なのではないでしょうか。

何度も記事で書いてきましたが、別に教員生活が苦しくて仕方なかったわけでもありませんし、かと言って世界を一周している時が最高に幸せだったとも思っていません。

結局は「自分のやりたいようにやっていく」ことが、僕にとって(いえ、誰にとっても)幸せなのだと感じているのです。

すると、

せいじのようには生きられない

と言ってくる人がいます。

過去の僕も、

公務員を辞めるなんてリスクが高すぎる。人生において責任を取りたくない

と思っていました。

誰かに決めてもらいながら生きていくほうが、よっぽど楽だったからです。

でもそれは、僕の人生を殺すことを意味していました。

イヤなこともある程度受け入れながら、僕は過ごしていたからです。

本当はそれって、やっちゃいけないことなんです。

僕は怯(おび)えながらも、

この生活をやめなければならない

と心に決めました。

そうやって自分の人生を自分で決め、ツラいながらも毎日工夫しながら生きていくことが、僕にとって「生きる」ことを意味していましたし、その生活は以前の「ツラい」とは大きく異なっていました。

少しずつ生活が “豊か” になっていったのは、金銭的な面よりもむしろ、精神的な面が大きかったと思っています。

僕が幸せになれたのは、自分の人生に集中し始めたからこそ。

周りの雑音に耳を傾けている場合ではないのです。

そんなことをしていたら、あっという間に僕の「一度しかない人生」は終わってしまいます。

自分で選択していくからこそ、自分の人生。

違う

と思ったのならば、

  1. そこから抜け出す算段を考え
  2. 実際に実験的に行動に移していくこと

これだけです。

大丈夫。

死にはしません。

その選択をした時点で初めて、自分の人生は動き出すのです。

裁量権があると幸せを感じる。自分の生きたいように生きながら、工夫して生きるようになるからだ。

おわりに

改めて考えた「幸せ」。

教員時代を辞める直前も、僕は「幸せ」でした。

投資やら何やら始めたこともありましたが、

細かいことを考えず、自分の好きなように生きよう

と思えたことが、一番幸せに直結していたからです。

あとはもっともっと人のために生きていけば、さらに人生が楽しくなること間違いなしです。

今日も明日も、また幸せに生きていきましょう。

それではまた!

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