こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は以前から「FIRE」(=経済的自立、早期退職)についての記事を書いてきました。
その中で、「心の中に平穏がある」という意味では、
ということもまた、幾度となく書いてきました。
- 圧倒的に生活水準が低いこと
- 見栄のためにお金は使わないこと
- ずっと貯蓄してきたお金を投資にブチ込んだこと
などが影響したおかげで、いよいよ「仙人」のレベルへと到達しつつあります笑。
今日はそんな僕が、
- 他人に対して何を思うようになったのか
- 人との接し方がどのように変わっていったのか
などについて書いていきます。
僕が人を好きになっていくまで
以前にも、僕自身が悟りを開いたかのような記事を書きました笑。
しかしもっと昔は、
と、大きな勘違いをしていたものでした。
そのおかげで、
と、ビクビクしていた時期がありました。
なぜなら「自分が中心だ」と思い込み、周りの人を「敵」だとみなしていたからです。
もちろん、そんな心を持っていた当時は人が寄ってくるわけもなく、ただ「プライドの高いイキり野郎」でしかありませんでした笑。
しかし多くの本と出会い、偉人や成功者たちの考え方を学んだ結果、
と反省するようになりました。
それからというもの、離婚やコロナなどの「人生の転機」もあってか、
と深く考えるようになりました。
ずっと「一匹オオカミ」の生活が好きだと思い込んでいた僕でしたが、やはりどこかで、
「人の愛を欲し、人と触れ合うこと」
を求め、望んでいました。
離婚直後こそ「新たなパートナー探し」に躍起になっていたものですが、それも2ヶ月ほどで「何かが違う」と感じてしまい終了…
もう一度人生について考える時間を取ることにしました。
人と触れ合うことは、以前の僕であれば、
- 飲み会への参加
- 手当たり次第に会う
といった発想しかありませんでしたが、「誰かの役に立ちたい」と強く思うようになり、人との出会いを本当に大切にするようになりました。
そこから「自分を中心とした人生」の考え方が180°変わり、「FIRE」という概念が消えてしまいました。
足るを知り、自分の生活の「必要最低限の額」がわかったことも後押ししました。
今の僕には、
- 衝動的で
- 渇くような
欲求はなくなりました。
ただただ「誰かの役に立ちたい」という思いが先行し、そのために先生をやめて自分の人生を切り拓いていきたいという、新鮮な「欲求」に突き動かされているのです。
全ての人を愛おしく思えるようになる
と言われるのですが、即答で「いない」と答えますし、少なくとも今の自分には必要ないと思っています。
それは自分の人生に「使命感」を覚えたことがきっかけでした。
毎日やることがあって、パートナーのための時間を取れる気がしないからという理由もあります笑。
それ以上に今は、道行く人たちが愛おしく思えてきてしまい、
と切に感じているのです。
「慈悲心」と言ってしまいますと、ブッダか何かと思われてしまい、
と非難されてしまいそうですが笑、「上に立っている」というよりも「下から支えたい」という意味ですのでご容赦ください。
そのために自分なりに「アクション」を起こして、少しでも誰かのために役立てる時間や施設、環境を作ってみたい。
ブログや英語の授業も微々たるものではありますが、「自分にできること」を探した結果なのかもしれません。
僕自身でも「どちらが先」ということはできないのですが、
- 人生に余裕ができたから、人を愛せるようになったのか
- 人を愛せるようになったから、人生を達観できるようになったのか
は、定かではありません。
ただ、「自分の人生」という大きな枠を俯瞰(ふかん)しながら、
- 経済的なこと
- やりたいこと
- 大切にしていること
などを考えたからこそ、たどり着いた境地なのは間違いありません。
人を分け隔てなく愛せるようになるのは、生来の気質だけとは限らないのでしょうね。
「君の進み方で間違っていない」
先日も、同僚の先生とALTと僕の3人で話していますと、やはり「僕の来年」(2023年)の話となりました。
利益やお金の話になったとき、同僚の先生は、
と言ってくださいましたし、ALTの方も、
と言ってくださいました。
僕自身も理由はわからないのですが、自分の向かっている方向が、
- どこかうまくいくような
- それでいてとても気持ちのいいものであり
- 人生をかけてでもやり抜いてみたいもののような
そんな気がすると、なぜか確信を持って言うことができます笑。
同僚の先生が言ってくださったように、僕は決して、
と「成功を目的として」、現在いろいろなことを継続したり、挑戦していたりするわけではありません。
ブログを始めた当初はそのような気持ちもありましたが、今はもっと違う目的、それも内側から溢れ出る気持ちでいっぱいになったのですから、人間不思議なものですよね。
今の社会はいろいろと理不尽なこともあって、僕だって疑問を持つことや、納得のいかないことがあります。(よくブログで書いています笑)
でもトータルして見てみれば、それぞれにそれぞれの過去や背景があって、それぞれが必死に生きていることがわかります。
もちろん、想像の範疇を超えることはありませんが、その様子を想像することも悪くはありません。
すると、それぞれの苦労もわかるようになりますし、余力のある自分だからこそ「僕にもきっと何かできるだろう」と思うようになるのです。
僕は今、自分の進んでいる道、向かっている方向が漠然と「好き」になっており笑、やたらとワクワクしています。
周りの友人たちから、
と言われたことも、大きかったですね。
これからも自分を、仲間を信じて、進んでいこうと思います。
おわりに
人を分け隔てなく愛せるようになったのは、いろんな要因がありますが、
- 自分に余裕があるとわかったこと
- 周りの人の役に立てるような行動を起こしてみたこと
- 本当に大切なことだけに時間やお金を使うようになったこと
などが主な要因だと思っています。
本来は、余裕がないときこそ人を愛せればパーフェクトなのですが、僕の器(うつわ)ではまだまだのようです。(ちなみに偉人たちはそのような人が多いです)
今は周りの人を幸せにすることを考えており、その時間こそ「自分の幸せ」だと感じるようになりました。
今後も自分の信じた道を進み、何かできることはないかと必死に考え、行動に移していきたいと思います。
それではまた!
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