こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒さんと話していますと、

と言っていた自分がいたことに気づきました。
いえ、毎日外食はしているのですが、それはコンビニであって、僕の定義からは外させていただきます笑。
でも改めて考えてみますと、

と思い、考えてみました。
今日は「お金があっても贅沢しない」というマインドについて書いていきます。
今の生活はどうだろう?
そもそも今の生活は困窮しているのでしょうか。
いろいろと貧しい状況をブログに書いてきた身ではありますが笑、とにかく日本にいる以上は、僕は幸せに生活ができていると思っています。
贅沢はしないとはいえ、僕の中ではいろんな形の「幸せ」がすでにあって、
- 家でひたすらに英語の授業
- お腹が減ってコンビニでおにぎりを食べている時
- 薬局でペットボトルコーヒーを100円で買って図書館で勉強
など、特にこれといって贅沢はしていなくても、

と感じています。
だいぶ前に投資も始めましたから、
と聞かれますが、正直そこに手をつけてまでも、

とは思いません。(今という時間も大事ですが)
海外を回っていた時は、多少なりとも株を売って切り崩したこともありましたが、今のこの日本の(十分な)生活の中で、贅沢のために株を売って豪遊なんてしなくていいのです。
大切なのは「身の丈にあった生活」ですからね。
要は、
という質問には、そもそもNOだったというわけです。
今ですら、そうすることができるとしてもしていないからです。
どんなに自分の資産額が跳ね上がろうと、僕はしない。
個人事業主を始めたばかりの時は、ストレスやら何やらもあっていろいろと使っていたものですが、今となっては清貧な生活を心がけるようにしています。
別に「節制しているね」と言われたいがために、やっているわけではありません。
どんなに資産を築いたとしても、忘れてはいけないのは普段生活。
今この時点で「できるはずの贅沢」をしていないのですから、僕はもともとそういったところにはお金を使わない性格(生活)なのですね。
あなたは贅沢をするか?
僕が今の生活を振り返って感じたように、目の前にどれだけお金があっても、あまりぶっ飛んだ贅沢はできないと思っています。
現実的な話をするのならば、たぶん全て高配当株投資に回してしまいますね笑。
だから、目の前に数億円があったとして、

とは思いませんし、劇的に生活を変えてしまったら、僕自身もダメになってしまうと思うのです。
よく大富豪の話で出てくることですが、リベラルアーツ大学の両学長もこんなことを言っていました。
という主旨のものです。
これは誰にでも起こることなのかなと。
「贅沢」とは求めれば際限がなく、いくらでもできるものだということです。
僕が多少なりとも今ある株式を現金に変え、「ヒャッホー!」と言いながら笑、果たしてお金を使うでしょうか。
公務員(教員)として9年間働き、結婚生活も経験しましたが、僕にとっての幸せとはそうした贅沢の形ではありませんでした。
今となっては、ごくたまに行く旅行でホテルを楽しんだりするくらいですし、平日であれば、

と月に1〜2回、サウナに行く時が楽しみで、他は友人と会う時くらいですかね。
あまりにも「仕事」や「日常」からかけ離れた時間が続きますと、”贅沢” がスタンダードになってしまいます。
それではいけません。
別に「贅沢することが悪い」と言っているわけではなくて、
と、自身に問いかけなければならず、日常にある当たり前に満足できない体になってしまうのです。
だから僕も(もしかしたらみなさんも)、お金がたくさんあったからと言ってすぐに使うことはあまりないのかなと思います。
急にポーンと稼いでしまって、使い方を間違えて失敗している人もたくさんいますからね。
注意していきたいところです。
必ず回ってくる法則
生徒さんと話していますと、
と言われました。
なるほど。
僕もお金や仕事、幸せなどについていろいろと考えてきましたが、まさにその発想は近い考え方だなと思いました。
僕がお土産を買ったり、誰かにおごったりするのは、
ということを、信じているからでもあります。
では、目の前に大金があった時に、

と思うかと言えば、そんなことはありません。
適切な場所に使いたいとは思いますが、その生徒さんから言われたことは、
ということでした。
- 迷いに迷った挙句の果て
- 丁寧に切り詰めて貯めたお金
- 誰かのために使いたいと思ってすぐに出したお金
などなど、お金を使うまでの過程とはいろいろとあるものですが、どれも自分の納得のいく使い方であるかどうかが大切です。
あまり経験も考えもないまま贅沢三昧をしてしまいますと、それ相応のお金も返って来ないのではないのかなと。
僕が大学生になってバイトを始めた時なんかは、身の丈に合っていない不釣り合いな買い物をしていたものでした笑。
お金はなくなるばかりであり、「健康的なお金の回り方」みたいものは起こりませんでした。
今のように、いろんな人と繋がり合いながら、


と思うところに “投資” をすることで、また友人に奢ってもらったり、あるいは何かをプレゼントしてもらったりすることが起こりました。
世界とはうまくできているものです。
決してスピリチュアルな話ではなくて、そうした循環みたいなものがこの世には存在しているのかもしれませんね。
おわりに
僕は公務員(教員)を経験した時でも、

と思っていたくらいでした笑。
たぶんずっと、この感覚を忘れないと思っています。
どんなに豊かになっても、忘れてはいけない等身大の感覚。
いつもお金の使い方を考えながら、しっかりと地に足をつけて生きていきましょう。
それではまた!