こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ダンスの審査員をした際に、他校の顧問の先生とお話をしました。
その顧問の方はダンスに関しては素人でした。
どうやらその子たちは、大会で僕のアドバイスを聞いて、1年間がんばっているという生徒たちでした。
だったら、一度でも顔を出して教えに行くことは悪いことではありません。
今日は、教師である僕なりの「コミット力」について書いていきます。
雪だろうが雨だろうが関係ない
調整したのは数日前。
そうは言ったものの、当日はなんと雪!
関東で雪が降ることなんてなかなかないのですが、その日はたまたま降ってしまったのでした。
その日は、新幹線に乗って大阪に行く予定でしたので、時間がカツカツでした。
地元の高校でしたので、「自転車でいけば何とかなる」と思っていたのですが、予想以上の雪に面食らう僕…
しかも、
- 一度家に帰ったり
- シャワーを浴びたり
- 荷物を整理し直したり
と言った時間もありません。
いろいろと考えた結果、プランを変更。
重い荷物を抱えながら、ビショビショにならないように厚めの靴で目的の高校に向かいました。
どうやら向こうの顧問の先生も申し訳なく思っていたらしく、
と、とても申し訳なさそうにしていました笑。
その時に僕は、何を思ったのか。
僕は、何も思いませんでした。
だって、自分が会いにいくと言ったのですし、雪が降っていようが雨が降っていようが槍が降っていようが笑、関係ありません。
何食わぬ顔で指導を開始。
振り付けや構成、体の動かし方を見ながら、最後は指導に熱が入りました。
みなさんはこの状況を、ヘンに思うでしょうか。
僕からしたら当たり前のことでした。
雪や雨を超えるくらい、ダンスを頑張る生徒たちと会うことに価値があると思っていたからです。
たった1時間だけでしたが、僕は行って良かったですし、また行きたいと思いました。
この感覚は以前からずっとありまして、自分の体を現地に持っていくということは大切なことだと思っています。
生徒たちも喜んでくれましたので、いい機会になったとすら思いました。
それがフックとなることを忘れない
なぜ僕がこうした行動を大切にするのか。
それは、ちょっとした行動が積み重なることで、それがフックとなると思っているからです。
「フック」とは、何かを引っかけるあの「フック」ですね。
つまり「とっかかり」になったり、「何かのきっかけ」になったりするということです。
違います笑。
僕からすれば「フック」とは、
- 結果的なもの
- 副産物的なもの
だと思っています。
今回行った高校について、冷静に分析してみましょう。
- 雪の中歩く
- 駅から遠い
- 1時間だけの参加
- 特にお金をもらえるわけではない
- 今後、ずっと繋がるとは限らない
はい笑。
僕にとってメリットはないのです。
人によっては、
と言うこともあるでしょう。
でも僕は、この「1回の出会い」がとても大切だと思っていました。
結果論ではありますが、雪の中行ったためか、先生や生徒たちからは本当にありがたく思われていたようでした笑。(僕からすればスタンダード)
以前にも、「自分から会いに行くこと」の大切さについては何度か記事にしました。
この行動を「息を吐くようにすること」が大事だと思っています。
こんな態度では、すぐにその意思が伝わってしまいますし、そんな人に来てほしくなんかありません笑。
そこから繋がりが生まれるのは、あくまで結果的/副次的なこと。
しかし一方で、その種を蒔くことができるのは自分から行動した時に限ります。
もちろん、何かに参加することもまた1つの方法です。
まずは自分から動くこと。
この姿勢を基本にしながら、どんな環境であってもイヤな顔をしないこと。
そうやって人に会っていきましょう。
その熱に応えること
「フックになること」は結果的なことかもしれませんが、やはり僕の体を突き動かすのは、そこにあるエネルギーでした。
別に「エネルギーの高い生徒たち」に、会いに行くと決めているわけではありません。
そんなもの、僕が与えればいいだけですから。
ただ「ダンスが好き」という同じ気持ちを持つものとして、会いにいきたいと思った。
それだけでした。
- 雪の日だろうが
- 熱量がなかろうが
気にしませんでした。
- 環境がどうとか
- 相手がどうとか
周りのことは、普段から一切気にしていないからです。
本来、人と会うということは、そういうことです。
そこにある「小さな灯(ともしび)」に応えようとする気持ち。
これが大切なのです。
特に相手は、ダンスの経験のない顧問のもとで一所懸命頑張っている生徒たちです。
そんなもの、会いに行って様子を見て、できるなら力を貸したいと思うじゃないですか。
僕自身に「力があるかどうか」は別です。
こうして「誰かが会いに行く」ということが、生徒たちにとって大切な経験になると思っているだけなのです。
「熱」にはいろんなタイプがありますが、小さくても「灯」さえあれば、僕はその火を燃やして大きくすることに努めます。
そうするのが教師の使命であり、僕自身が好きなことだからです。
- 報酬だとか
- フックになるとか
そのような話をするのは「後の話」です。
少しでも燃えている火があれば、僕は向かっていくのです。
その火を燃やしてあげること。
教育とは「何かを学びたい」という気持ちに呼応してあげ、そっと手を差し伸べたり、伴走してあげたりすることだと思っています。
そうした意味では、僕は教育が好きです。
自分自身も得意な分野を伸ばしながら、一緒に頑張っている感覚が生まれるからです。
小さな灯を見つけら、すかさず自分にできる最大限のことをすること。
だから天候だの環境だのは、気にしません。
「教育者」であれば、それらの「壁」は取るに足らないことだからです。
おわりに
雪の中でも歩いて向かったダンス部。
滞在時間は1時間。
報酬?
そんなもの要りません。
もちろん、ビジネスとして考えるのならば、対価は必要です。
ただ、そこら辺の按配は自分で決めていけばいいのです。
ボランティア精神が行き過ぎても、持続可能ではありませんからね。
でも僕は、足を運んで「火に薪をくべること」が好きですし、それをきっかけに頑張って欲しいと思うのです。
それは教育者としての「本能」なのかもしれません。
これからも、生徒に限らず「何かを学びたい/頑張りたい」という人を応援しつつ、自分自身も頑張っていきたいと思います。
それではまた!
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