こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
以前、管理職(学校で言うところの校長・副校長・教頭)の言い方に、やりきれない思いをしたことを記事にしました。
実は今日、あの「仏のすずき」と言われたほどの温厚な僕が、怒りを露わにしてしまったのです。
一体何年振りでしょうか。
僕は基本的にはある程度のことなら笑って許せますが、今日はさすがに「血管がブチ切れる寸前」でした笑。
しかし当たり散らすこともなく、ただただ、
- 「こんなに悔しいことはない!」
- 「こんな屈辱今まで受けたことない!」
- 「こんな組織になんかいたくない!」
- 「明日は休まさせていただきます!」
と吐き散らかしました。(散らかしてはいますね)
一体僕に何が起こったのか。
書いていきます。
ちゃんとやっている人を叱る人
先生たちの中にもいますよね。
例えば大切な日に欠席が多い時、ちゃんと来ている生徒たちに向かって、
「今日はなんでこんなに少ないんだ?お前ら気持ちが緩んでいるんじゃないか?」
と笑。
しっかり来ている生徒たちからすると、「なぜ僕らが叱られているんだ?」とポカンとしてしまいますよね。
そして今日も、それと少し似たようなことが起きました。
僕は入試の業務を「一所懸命やりたい派」であり、チームとして仕事をしている時間がとても好きです。
しかしここ数日は「まとめ役の人」の準備が遅れに遅れ、今日もチームを招集して会議をせざるを得ない状況になってしまいました。
情報を共有しないまま「GO」することは、あまりにも危険だからです。
学年末試験でいっぱいいっぱいの中、チームの先生たちは集まって話を聞いていましたし、疑問点については質問や意見が飛び交いました。
そして、会議も終わると言う最後のところで、管理職から一言ありました。
それは僕らを唖然とさせるものでした。
「緊張感がない。ちゃんとやってくれ」と。
もちろん、僕が言われたわけではありません。
全体に向けてのご意見でしたが、
- 「そもそも準備を怠っていたのは誰なのだ?」
- 「このチームは一所懸命やっているのに?」
- 「管理職が目を通したはずのマニュアルの内容はボロボロだが?」
と思いました。
「この人は教員たちの働き方の、一体何を見て怒っているのだろうか?」
疑問と不満、不信がふつふつと沸いてきてしまいました。
結局彼らは、「何も見えていなかった」のです。
さらに輪をかけて、僕をイラ立たせたことがありました。
それは、普段から一所懸命雑務をこなしている人たちにではなく、いつもあまり協力的ではない人の意見に、
- 「素晴らしい!」
- 「危機感を持っている!」
と賛同と賞賛のコメントをしたことでした。
僕の怒りはピークに達しました笑。
「あなたたち管理職は、仕事現場の、一体どこを見てきたのか?」
そう思った僕は、管理職が話している目の前でしたが、
- イスに座って頭を手で支えながら、
- ずっと天井を見ていました笑。
露骨な「イラ立ち」の姿勢ですね。(普段はこんなことしません)
その後司会から、
「すずきさん、次の指示を…すずきさん…すずきさん?」
と言われましたので、イヤな気分でしたが指示を出しました。
こんなに怒りを覚えたのは、本当に数年振りです。
自分でも信じられないほど、とても怒っていました。
- 一所懸命仕事をしている人たちのことは一切見えておらず、
- サボりながら仕事をしている人の、仕事の一部分だけを切り取って褒め、
- しっかりと仕事に取り組んでいる人たちに向かって、説教をする。
こんな人が上に立っていたら、下の人たちのモチベーションはダダ下がりです。
この状況では、組織の一員たちが上に対して不信感を募らせてゆくことを、止めることはできないのです。
責任は取らず現場のせいにする
実はその数時間前に「他の管理職の発言」にイラっとしていたことも、先ほどの「爆発」への布石でした。(どうなってるんだ、この学校は…)
学校の様子(生徒数、カリキュラム、人事)が変わってゆく中、各教科代表たちの会議で、
「もっと学校について考え、話し合う場はないのか?」
という素晴らしい意見が上がりました。
それに対する管理職の回答は、
「自分たちが必要だと思うのならば、自分たちで開けばいい。現場の人たちが中心なのだから自分たちで変えていかないと」
というものでした。
一見すると「確かにそうかも」と思う内容ですが、やはり現場での「言い方」を聞いていますと、口調の端々に、
- 「自分は開催したくない」
- 「自分には関係ない」
- 「責任は取りたくない」
- 「勝手にやってくれ」
といった気持ちが感じられました。
- 現場で話し合い、
- 先生たち個人の意見を吸い上げて、
- 次年度へとつなげていくこと
は理にかなっているプロセスです。
だからこそ本当に学校のことを思うのであれば、
- 「確かに、そうした会議の場があまり設定されていませんね…」
- 「もっとざっくばらんに話し合える環境を作ってみましょうか」
- 「私がメインを務めますので、定期的に招集します」
- 「ぜひ、みなさんの知恵をお貸しください!」
と、なりそうなものではないでしょうか。
確かに担任である僕も、「生徒自身に考えさせること」を大切にしています。
しかし先生は、「水先案内人」としての役割もありますので、
- 投げっぱなし
- 無関係を装う
- 好き勝手にやらせる
ことは、責任を放棄していることに他なりません。
生徒が何かやらかした時、それを支えていた担任の先生が、生徒たちのケツを拭くのが担任の役割です。
- 後ろ盾になってくれる人
- 好きにやらせてくれるけど、陰ながら支えてくれる人
には信頼も集まり、
「この人がバックにいるから、自分もより良い働きができるんだよなぁ」
と思えるものなのです。
残念ながら、「責任を取ろうとせず、誰の支えにもなろうとしない人」は、組織において上に立つことはできません。
ドンと構えて、
「好き勝手やってみろ!責任は俺が取る!」
こういう人の下でなら、教員たちも自由な発想で頑張ろうと思えるのです。
「組織とはそういうもの」と割り切ることも大切
以前も、「組織とは?」というテーマで記事を書きました。
僕はいずれ組織を離れますが、それは何も、
「以上、書いてきたことについてイヤだと思うから、辞めたいのだ」
と思っているわけではありません。
確かに組織の「イヤな部分」を感じている毎日ではありますが笑、一方でそれもまた組織のカタチであると思うのです。
人間は誰しも完璧ではありませんし、時に周りが見えなくなることもあります。
様々な人たちが組織の中で混じり合うからこそ、不満や摩擦、齟齬や確執が生まれてしまうものなのです。
「上司ガチャ」という都合の良い言葉を使って、他人のせいにすることは簡単ですが、
- この組織に属したのは自分。
- この働き方を選んだのは自分。
- この人たちの下で働いているのは自分。
という「原因自分論」に立ってものごとを考えてみれば、事態がとてもシンプルであることがわかります。
全て選んだのは「自分」というだけなのです。
もちろん、
- 不満に思っていることを意見すること
- うまくいかないことを改善しようと試みること
も大切なことですが、組織である以上は、それらの「不和」は起こるべくして起こるものです。
「よりよいチーム」「よりよい組織」に向かうことを止めてはいけませんが、上手くいかないことに対して「いつかなんとかなるはずだ」と希望的観測をし続けても、精神的によろしくありません。
- 「こういう人はいるものなのだ」
- 「こういう組織だから仕方ないのだ」
と、ある程度は割り切りながら、自分の意見を伝えていきましょう。
自分の言いたいことを理解してくれるような人なら、今後も改善が見られるかもしれませんが、基本的に人はなかなか変わることができません。
僕がこうして感じた「イライラ」や「不満」は、文字どおりの反面教師として学ぶことにとどめておくべきです。
今後も少し意見はしてみますが(そこそこ言えるポジションですしね)、
「組織に属しているとはこういうことなのだ」
ということを忘れずに、仕事を続けていこうと思います。
おわりに
「組織あるある」といった内容だったでしょうか。
僕は割り切ることも大切だと思っていますが、黙っていることができない性分でもありますので笑、タイミングがあれば言うかもしれません。
- 「組織ってそういうものだから」
- 「どうせ変わらないし」
このような姿勢も僕は「良くない」と思っています。
「なんとかして変えよう!」と躍起になるのではなく、ここでも「こうしてみたらどうだろうか?」と行動することがカギになってきます。
- 管理職に「現場での頑張り」を見にきてもらうように仕向けたり、
- 定例で学校の将来について話し合う場を設けたり、
僕にも、できることはまだまだたくさんあります。
「ある程度は割り切りながらも、自分なりにアクションを起こし、自分の糧にしていく」
これは組織にとってもプラスですから、今回の件のことをもっとよく考えて、「組織に貢献できるように頑張ろう」と思うことができました。
さて、また明日から動き回りますかね!笑
それではまた!
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