英語の検定試験は果たして意味があるのか?【目標はコミュニケーション?】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

英語を教えていますと、いろんなところから質問が飛んできます。

一体どうしたら英語が伸びますか?

とか、

検定試験を受けてもしゃべれない人っていますよね?

とか。

結論、なんでもいいからやるのです笑。

でも強いて言うなら、「その人の目標次第」というところもあります。

  • 論文を読むことが目的なのか
  • 海外の人とコミュニケーションを取りたいのか

多くの人は、後者の「しゃべりたい」が目標じゃないでしょうかね。

若かりし頃の僕も、そんな漠然とした「夢」を持っていました。

今日は特に「検定試験の是非」について書いていきます。

検定試験だろうと受ければ身になる。要はどこを目指したいか、だ。

検定試験の是非

よく検定試験の是非を問う人がいます。

こんなの意味がない

と言う人もいれば、

これが会社の昇進に影響を与えるんだ

と言う人までいます。

あるいは、

英語学習のモチベーションにしている

と言う人もいますね。

結論、

どれも正解でしょ笑

と思っています。

世の中に正解はないように、検定試験だって受けたければ受けたらいいですし、受けたくなければ受けなくていいのです。

でも、検定試験だけじゃしゃべれるようにならないよ?

はぁ。

一部そうかもしれませんが、一部間違っています。

検定試験で培われる “知識” とは、「適当に英会話に通っているだけ」では身につかない知識もあり、それがスピーキングに生きることもあります。

また英検に関しては(TOEICにも)リスニングや面接試験もありますから、「会話」の糧になることは間違いありません。

それにその人が「コミュニケーション」を目指しているのか、資格合格を目指しているのかでも意味が変わってきます。

TOEICのハイスコアの獲得か、検定さえ通ればいい

と思っている人からすれば、「しゃべれないじゃないか!」というコメントに「ほっとけ」と言うだけでしょう。

だってその人からすれば、「英語がしゃべれること」を目指しているわけではないのですからね。

逆に言えば英会話に通っている人が、

それで英文が読めるようになるの?

と言われていることと同値です。

必ずしも「しゃべれること」が最高地点ではないということですね。

それぞれが目指すところで、それぞれの納得感で進めていったらいい。

検定試験はあるだけで別に、なんの悪にもなりません。

仮に「話すこと」が至高のことだと仮定しても、そこまでの道のりのうちの1つだと思えれば、それでいいのです。

検定試験の是非を問うことはナンセンスだ。必要な人が目的に合わせて受ければいい。

目標次第だが…

僕は、

コミュニケーションを取りたい

あるいは話せるようになりたいと思って、英語を勉強してきました。

また「英語を教えること」も好きですので、そういった意味では、

  • 文法知識
  • 検定試験の経験
  • 実際に英語を話すこと

など、「ただ英語を話せるだけ」にとどまってはいけないということも、よくわかっていました。

そんな僕からすれば、

  • 英会話だろうが
  • 検定試験だろうが

関係なく笑、なんでも取り入れていかなければなりませんでした。

「コミュニケーションを取りたい」という目標が大きな目標でしたけど、

  • 英検も
  • TOEICも
  • リスニングも
  • リーディングも

結果的に、僕のスピーキングに大きな影響を与えました。

要は、

しゃべれるようになりたい

という目標に向かう途中経路にも、たくさんのパターンや勉強法があるということです。

しゃべれるためには、

  • ただ真似をする
  • ただ暗記をする

だけでは、到底太刀打ちできません。

いや、赤ちゃんなら勉強なんかしなくてもしゃべれるから、この方法が一番だ!

と言い張る人がいますが、ある程度正しい反面、限界があることは僕らが一番よくわかっています笑。

僕ら日本人だって、学校で「文字」や「国語」を習うように、“勉強” は必ず必要だったじゃないですか。

  • 本を一切見ない
  • 暗記などの勉強は一切要らない

といった日本語の勉強法を、我が子に押し付けますか。

そんなことありませんよね。

いくら日本語であろうと、そこには必ず「勉強」が必要になってきます。

それぞれの目標に僕はとやかく言いませんが、仮に「しゃべりたい」という目標がある人だって勉強は必要ですし、「論文を読めるようになりたい」という人も音声の勉強やスピーキングは、リーディングに大いに関与してきます。

それぞれの目標に向かって、

必要だな

と思うことをやればいいですが、かといって「これは不要」なんて思ったことは、僕の勉強人生の中で1つもありませんでしたね。

それぞれ繋がっていますから、なんでも取り入れていくことが大事なのです。

しゃべれるようになりたいとか、検定に通りたいとか。結局はどれも相互作用しているから、とにかくやってみよう。

コミュニケーションにもいろいろある

先述した通り、

  • 話し言葉
  • 書き言葉

のどちらかの向上を目指す点においては、目標が少し違っていると思っています。

一方で、「話し言葉」だけに特化しようとしますと、

  • メールが読めない
  • 長文になるとやめたくなる

など、他の点でデメリットが出てきます。

どの言語においても、文字と音声は密接に関連しており、

片方の要素だけでなんとか乗り切りたい

という意見は、かなり無理のある意見だと思っています笑。

特に僕ら日本人からすれば、英語は第二言語。

それを、

文字(≒ 勉強)なしでしゃべれるようになりたい

は不可能です。

だから今日のテーマである「検定」とは、言語学習において大いに役立つものだと思っています。

  • 自分の位置がわかる
  • 読めない単語や聞けない単語がある

ということが、客観的にわかるからです。

それを突き詰めることで、僕のスピーキングは飛躍的に伸びました。

  • 難しい単語の理解
  • ちょっと込み入った話

にもアプローチすることができたからですね。

また、文字媒体を使って意思疎通を図ることだってあります。

海外を周遊していた時は、アプリ内で英語のやり取りをしていましたから、

文法や長文など、テキストベースの勉強をしておいてよかった

と思った瞬間でしたね。

みなさんが日本語を使う時は、こうした文字媒体だって普通に使いますし、字幕を見て勉強することもあれば、自ら何かを書くことだってありますよね。

英語においても当然のことながら全て繋がっていますので、「ムダな勉強」なんて1つもありません。

しゃべれることが目標なら、最悪文字媒体のテキストの勉強は少なめでいいですし、論文が読めるようになりたいのならば、コミュニケーションなんてしている場合ではありません。

ただし、どちらも必要だということ。

それをわからずして片方に寄り、

こちらだけが全て正しい

と思っている人は、考え方や勉強法を見直す必要がありますね。

「英語をしゃべること」は多くの人の憧れですが、その中にも、

  • 日常会話
  • 旅行英語
  • ビジネス会話

など、レベルは無数に存在しますしね。

勉強が必要なスピーキングだってあるということを知っておきましょう。

その人の目標に向かって「〇〇が必要」だと言うのならば、誰にもその「必要性」を否定する権利はありません。

周りの声に惑わされないよう、自分の目標に向かって歩んでいきましょう。

コミュニケーションの手段は、しゃべることだけではない。また文字媒体だけでもない。バランスよく勉強しながら、自分の目指すレベルに向けて頑張っていこう。

おわりに

いつも騒がれる検定試験の是非ですが、そこに本質はありません。

自分が目指すところの「途中のポイント」だと思えれば、それでいいのです。

言語の勉強は全て繋がっています。

ムダだと思うならやらなくてもいいですし、目標に到達しているのであれば、やらなくてもいい。

ただ、“上” を目指すならどの要素も必要になってきますので、それだけはわかっておきましょう。

それではまた!

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