こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、僕が教えていた子たちが大学生になっていましたので、飲みに行くことになりました。
こうしてまだ若い生徒たちと出会い、新鮮な情報を得られることがどんなに貴重な時間かと思う毎日です。
話に花が咲き、たくさんのことをしゃべったのですが、それでも時間が足りないくらいでした。
まだ20代の子たちなのに、僕らと同じくらい、人生について考えていました。
今日は彼らと話した内容と、僕が思ったことを書いていきます。
人生の羅針盤は人それぞれ

話は近況報告からのスタートでした。
彼らは大学3年生ということもあり、就活の真っ最中でした。
と思ったのですが、昔の僕を彷彿させるくらい「就活クソ食らえ!」と言っていたので笑いました笑。
僕も、
だったので、就活をしていた時に全然ピンときていなかったことを覚えています。
彼らもエントリーシートだのインターンだのいろいろと模索していたのですが、
- 落ちる意味がわからない
- どうせ会社は上から目線で雇いたいだけ
- 落ちた人に電話をかけるあの詐欺なんなの?
と不満をぶちまけていました。
僕も現代をVUCAの時代だと認識しているため、今学校で教えている生徒にもこうして久しぶりに会う生徒たちにも、「被雇用者の現実」を伝えるようにしています。
数年前に彼らとご飯に行った時、うち1人が、
- 芸能関係を続けるか
- 大学を続けるか
のどちらに振ればいいのかを相談してきました。
僕は当時「安定志向」だったため、
と言っていました。
よく言えば「リスクの分散」なのでしょうか。
実は僕にとって、それがとても後悔していたコメントのうちの1つでした。
と思っていたからです。
結果的に彼は、芸能関係のほうの視野の狭さに気づき、今は大学のほうで一所懸命に勉強しているそうで、とても楽しんでいました。
人生、何があるかわからないものですよね。
芸能関係のことについては僕は知らないことだらけですので、とても勉強になりました。
話していて感じたことは、
という変わらない事実でした。
僕がこうして「好きなことをやりなよ」と言えるのは、他でもない、僕自身が雇用されてきたからこそ言えることでした。
だから生徒たちが、就活することも別に間違いではないですし、
という話もしました。
とにかく彼らがそれを経験しない限り、
- 何を感じるか
- どう思うのか
はわかりません。
そういった意味では、当時の「安定志向」だった僕のコメントも、あながち悪くないなとも感じたのでした。
- YouTuberになってみる
- 友人たちと起業してみる
- とりあえず海外に飛んでみる
- 安定している部分を残しておく
- 正解のない世界で様々なことにトライ
- 資産を全部無視して、何かに圧倒的に挑戦する
多様な考え方や行動があって、どれも「正解」でありすべてその人の「経験」となります。
彼らはまだ「社会人」を経験していません。
就活してもいいし、世界を見て回ってもいいし、インフルエンサーを目指してもいい。
とにかくなんでもいいのです。
「変化に対応できる人材」であればよく、彼らには十分なポテンシャルがあるのだと、僕は信じています。
変わるべきは先生たち

話していて、僕自身が一番ダメだなと思った言葉があります。
それは、
という言葉です。
これは全く悪いことではありませんし、否定するつもりもありません。
その裏の意味に対して、僕は自分に腹が立ったのです。
- ほら、生徒たちはまだ若いから
- あとは生徒たちが活躍するだろうから
- 優秀な生徒たちがいて、将来安泰だな〜
これを見て、改めてこう思ったのです。
と。
生徒や若い世代に投資することは、今後もやめる気はありませんが、僕自身が「もうこれでいいや」と思うことは、あきらめなのではないかと思ったんですよね。
生徒たちの成長を楽しみ、期待することは別のことであって、自分自身が成長することをやめて「あとは君たちがんばれよ」というのは違うのではないのかな、と。
僕ら自身がもっとこの時代について考え、行動し、生徒たち以上にがんばらなければならないのではないのかな、と。
「変わることが正義である」と断言するつもりもありませんし、教員を続けてきたからこそ得られた「良さ」もわかっているつもりです。
しかし、
そんな状態で、次に彼らに合わせる顔がないのではないかと思ったのです。
次に会った時に、
- 新しい情報を共有したり
- 「今はこんなことやってて…」と言い合えたり
するような、そんな人でありたいのです。
教員の世界にいますと「変わらないことが正義」である風潮が強いです。
全部が全部ではないですし、ITの導入や若者の流入によって、少しずつ変化している部分もあります。
ただしそれが、とても遅いのです。
全然、時代に追いついていけていないのです。
教育に関わる人間ほど、もっともっと社会の情勢を掴んで、いろんな可能性を生徒たちに示すべきなのだ、と。
そういう理想像になれるよう、激しい変化の時代に合わせて勉強し、生きていきたいと思っています。
背中を見せる人生であれ

先生の悪い部分は、「教壇に立てば王様になれてしまうこと」です。
生徒と話している時、あるいはこうして職業として先生である時は、「先生」として教える側に立つことしかありません。
悪く言えば、「偉ぶることができる」ということですね。
しかしこうして久しぶりに再会を果たしてみると、お互い、
- 「人」と「人」
- 「大人」と「大人」
の、対等な関係になっていることに気付かされます。
すると「先生であったこと」を振りかざす意味はなくなるわけですが、僕はそれでも彼らにとって「ちゃんとした先生でありたい」と思ったのです。
今「先生ってすごい!」と思われるとすれば、ダンスや英語など “学校内で教えていること” に関してでしょう。
これはとても狭い範囲での話でしかなくて、ひとたび卒業した彼らと出会えば、僕はもはや「先生」ではなくなります。
それでも、
と思われること。
それこそが、僕が昔から持っている「教師像」なのかもしれません。
人に何かを教える場合、
と言われています。
僕がすべきことは「成功」ではなく「経験や失敗」を伝えられる大人になること。
それが人生における「先生」であり、僕が生涯をかけてやるべき仕事なのだと思っています。
おそらく僕は、これからたくさん失敗し、挫折し、もしかしたら瀕死状態になるかもしれません。
でもその時間を通して、生徒たちよりも3倍の経験をし、道を示すことができればいいのかなと。
生徒に期待するだけでなく、自分が挑戦していく姿を見せることこそが、本当の意味での「先生」なのではないでしょうか。
次に生徒たちと会った時に、経験したことを語れるように、たくさん行動し続けて、新しい経験を積んでいきたいと思っています。
おわりに
彼らとはたくさんしゃべりましたが、それでも全然しゃべり足りないくらい、僕はこの1年でいろんなことを学びました。
- 書籍
- 友人
- ブログ
- YouTube
いろんなところから情報をインプットし続けたことで、「変化/成長」をすることができました。
生徒だけでなく、周りの友人も同僚も、僕にとってかけがえのないモチベーション向上の「起爆剤」です。
みなさんが一所懸命「今」を生きているからこそ、僕もそれに応える人生にしていきたい。
僕が成長をやめなければ、またみなさんと会う時に誇りを持って会うことができますから。
毎日積み重ねていくことで、大きな背中を見せられるようになっていきたいと思います。
それではまた!

