こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ボリビアのラパスからウユニまでバスで9時間、休憩時間等を含めて11時間ほどかけて移動しました。
移動に慣れっこの僕は、
- 前半は寝て
- 後半は景色を見る
という、いつも通りの流れでバスに揺られていました。
いつもこの移動の時間に、いろんなことを考えさせられます。
今日は「僕がずっと探し続けていた宝物」について書いていきます。
僕が探していた景色
僕が旅を始めた理由は、
でした。
と思っていた景色は、強いていうならウユニ塩湖とドゥブロブニクの街並みくらいでした。
いざ旅を始めてみますと、自分では思ってもみなかった景色や人々と出会うことができて、
と、改めて感動したものです。
ところで、僕の大好きなアーティストに「DEEN」というグループがいます。
その曲のうちの1つに、「少年」という曲があって、
遠い夏の日
探していた宝物は見つかったかい
という歌詞があります。
僕が幼少期の頃から求めていた景色なんて、ぶっちゃけて言えばありませんでした笑。
- たくさん勉強して
- いい大学に行って
- いい職に就くこと
が、全てだと思っていました。
しかしそんな少年(もとい青年)せいじくんも、コロナや離婚という経験のおかげで、自分の追い求めていた「景色」を探す旅に出ることとなります。
僕は自分にとっての「宝物」が、
- お金
- 安定
といった、いわゆるありきたりなものだと思っていました。
もちろん、それは人それぞれにあっていいものだと思っています。
ただ、僕が昔から追い求めていた「本当のもの」は、
- 冒険
- 景色
- 人々
といった、まさに「少年」のような心だったのでした。
- 大人になるにつれて
- 仕事に慣れていくにつれて
どこかでその気持ちを無意識に押し殺し、安定していることに満足していました。
僕が求めていた「景色」とは、決して具体的な景色だけではなく、もっと「抽象的な景色」だったのかもしれません。
旅を続けたことで、そんな「景色」を見始めることができたのだと思っています。
ずっと追い求めて行動に移すこと
2020年頃から変わり始めた僕は、2021〜2023年で劇的に変わりました。
そう思ってから、自分の本能に従って生きるようになりました。
この旅も、「自分のやりたかったこと」のうちの1つであります。
よく友人たちから、
と聞かれます。
僕にはまだまだやり残していることがたくさんあって、それを形にしていくことが、日本に帰ってからの使命だと思っています。
大切なことは、常に「自分のやりたい」という思いに対して素直に従い、それを実行に移していくということでした。
実は30代に入るまでは、思考停止の状態であり、ずっと他人に敷かれたレールの上を歩いていました。
どこかで満足していた気になっていて、
と思ってしまっていました。
しかし実際に世界の旅に出てからというもの、新しく感じることばかりで、毎日驚きに溢れていました。
- ドゥブロブニク
- マチュピチュ
- フィンランド
と、いろんなところを駆け巡ってきましたが、いい意味で「満足しつつ、まだ足りていない」という気持ちです。
常に追い求めて、それに向かって前進を続けていくこと。
日本に帰っても、
ではないのです。
僕が探している宝物は、実はずっと見つからないものなのかもしれませんし、1つ見つけたらまた次の宝物(の地図)が出てくるものなのかもしれません。
「1つずつ探しては見つけ」を繰り返して、人生を歩んでいくこと。
ただし、宝の地図を眺め続けているだけでは、いつの間にか人生は終わってしまいます。
「宝探し」という行動に移したからこそ、僕は自分なりの「宝物」を見つけることができました。
今度はまた新たな地図を持って、違った「宝物」を見つけにいきます。
それは景色や土地だけではなくて、
- もっと抽象度の高い
- 心が満たされるような
そんな宝物なんだと思っています。
宝物は見つかったかい?
少年のような気持ちを取り戻したら、あとは積極的に宝物を探しにいくことでしたね。
僕はこの旅で、幾度となく感動してきました。
それは単純に、「自分の見たかった景色」を見ることができたからではありません。
と、知らなかったことを知ることができたことに対する、感動だったのかもしれません。
少年の時は、すべてのことが初めてで、一つ一つのことにいちいち感動していました。
はい笑。
今まさに感じているような、そんな気持ちでした。
いくら歳を重ねても、「初めて」は幾度となくやってきます。
しかし、いつからか僕たちは、そんな「初めて」を避けるようになってきました。
少年のような純粋無垢な気持ちはどこかに行ってしまい、安定を取るようになっていました。
これは多くの人に当てはまることなんだと思っています。
何より僕自身が、そういう生き方をしてきましたからね。
ずっと宝の地図を屋根裏の奥にしまい込んでは、「現実社会」という自分で作り上げた妄想の中で、失敗することを恐れては安定を好んで生きていました。
そこには感動はなくて、ルーティンを繰り返す日々となっていました。
もちろん、教員生活の中でしか味わえなかった「感動」もありました。
ただ、もっともっと自由に生きたかったという気持ちが、僕の中にあった「本音」だったのだと思います。
「宝の地図」を屋根裏から引っ張り出してきて、ピカピカの革靴ではなくボロボロのスニーカーに履き替えて、地位や資格といった羽織っていたものを全部脱ぎ捨てて、裸一貫で家を飛び出した僕。
その時ほどワクワクしたことはありませんでした。
“大人”だった頃、つまり「過去」の僕は、きっとこう問いかけることでしょう。
と。
僕はこう答えます。
と。
宝物は見つかりました。
実はそれは具体的なものではなくて、もしかしたら「少年のような心」それ自体が、僕の探していた宝物だったのかもしれませんね。
おわりに
旅に出てから、
と発信を続けていましたが、何より感動していたのは自分自身でした。
それは景色自体だけではなくて、こうして日本を飛び出した自分に、感動しているのかもしれませんね。
僕の旅もあと少し。
この感動をこの旅だけで終わらせないことが、「少年」そのものですよね。
童心を忘れず、また宝物を探しにいきたいと思います。
それではまた!
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