こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
昔から僕は、コミュニティを「放浪している」感覚がありまして、どこまで行っても「ひとり/自分」を貫いているような気がしています笑。(我が強いだけ)
それは悪いことではないと思っていまして、あるコミュニティに「入り浸(びた)り」過ぎず、
- 次へ次へと移り変わり、
- 会う頻度を調整する
ことを心がけています。
心がけているというよりも、長くいると逆に居心地が悪くなってしまうのです笑。
以前僕は宗教に属していたことがありました。
その時も、結局は「これくらいでいいかな」と思って、次のコミュニティへと移ったのでした。
今日はそんな「特定の人やコミュニティへの盲信」について考えていきます。
コミュニティや尊敬している人を盲信(妄信)しない
現代ではインフルエンサーや有名人は無数におり、
- 「いかにフォロワーを増やすか」
- 「いかにファンをつけるか」
が勝負となっている「戦国時代」です。
それは間違っていませんし、できる限り多くの人に商品やサービスを売るなら、支援者は多いほうがいいのは当然のことです。
そんな「お金もうけ」のような悪い言い方はしなくても笑、
- 困った時に助けてもらったり、
- 何かやろうと思った時に集まってもらったり
しようとした時に、フォロワーやファンたちが一緒になって協力してくれますので、特に否定しているわけではありません。
それは、信頼されている証拠でもありますからね。
また、その「フォロワー周辺にできるコミュニティ」は、
- お互いの感覚が近かったり、
- 共感できる部分が多い
ため、一緒にいてあまりストレスは感じないでしょう。
ただし気をつけなければいけないこともありまして、それが「盲信」です。
言葉通り「この人の言っていることは間違っていないのだ!」と決めてかかり、特定の人あるいはその人を取り巻くコミュニティが全てだ、と思い込んでしまうことです。
先日も「みんな盲信しすぎ」というツイートを見た時に、「ハッ!」とさせられました。
僕は学生時代にmixiというSNSがスタートした時から、その魅惑に溺れ、ずっとコミュニティに入り浸っていた経験があったからです。
とはいえ、何が良くて何が悪いのかは、各個人が決めれば良いことです。
大切なのは、
- 自分が心地よいかどうか
- 周りを見渡した上で、いるべき場所なのかどうか
- 自分のコミュニティが分散されているか
だと思っています。
あまりにも居心地が良すぎるのは、実は危険信号です。
どこまで行っても、「僕が尊敬する人」や「好きなコミュニティ」は、他人の領域だからです。
最終的に残るのは、「自分だけ」です。
コミュニティを広く分散させておきますと、何かうまくいかなかった時に、他のコミュニティに移ることで、また違った角度から自分の行動を見直すことができます。
深い関わりを持ちたければ持ち、浅く広く転々としたい場合はそうすればいい。
しかし、「ある人」や「あるコミュニティ」に依存しすぎてしまいますと、それを失った時のダメージは計り知れず、かつ「相手のせい」にすることもできないということだけは、わかっておかなければなりません。
改めて、自分のいるコミュニティや属している人たちを客観的に見てみることをオススメします。自戒の念も込めて。
参考にして自分なりに消化する
僕にも、尊敬している人はたくさんいます。
特に「漫画ワンピース」からの影響は計り知れませんが笑、「こういう人になりたい」という気持ちがあっても、あくまで僕は僕であることに努めています。
例えば僕は、「ゾロ」という漢気あるキャラクターが好きすぎてたまりません笑。
- 「あの漢気がカッコいい!」
- 「いつも鍛えていて、あんな漢になりたい!」
とは思いますが、だからといって全てを真似るわけではありません。
ゾロは女の子にも等しく厳しいため笑、「サンジ」というキャラクターのように紳士的な部分を取り入れることも、僕にとっては1つの「漢気」なのです。
さて、みなさんは僕の「漫画の話」を聞いて、どう思ったでしょうか。
- 「何を言ってるんだ?当然のことじゃないか」
- 「そのキャラクターになりたいなんて、馬鹿げている」
- 「ある程度の線引きができないなんて、ありえない」
- 「現実世界とは違うのだ」
とお思いでしょうか。
しかし、現実世界となりますと「リアルにすごい人」が本当に存在してしまうため、
- 「この人のようになりたい!」
- 「この人のことなら何でも信じられる!」
- 「この人の作ったコミュニティなら間違いない!」
と思ってしまうことが、平気で起こります。
僕の「好きな漫画のキャラ」と同じ発想であれば、「尊敬する人」やその人を取り巻く「コミュニティ」を参考程度にとどめておくことはできるはずなのに。
どこまで行っても他人は他人であるように、最終的に消化して自分の肥やしとするのは、他でもない「自分」です。
この言い方はとてもドライに聞こえますが、この線引きができない限り、いつまでも自分を失ったまま他人の人生を生きることになります。
- ある特定の人を尊敬したり、
- コミュニティに属して楽しい時間を過ごすこと
は、自身のモチベーション維持にもつながりますし、シンプルに豊かな人生になっていくことでしょう。
ただ、自分のベースとなる考え方が「何かに依存すること」になり過ぎないよう、注意しながら見直していくことも、時には大切なのです。
広く様々なところから情報を得る
僕には尊敬する人がいるとか、信じている考え方があるなどと言いましたが、偏りを持たずにものごとを多面的に見られるようにするオススメ法が、「本を読むこと」です。
先ほどの「コミュニティの分散」と近い考え方であり、「思考や考え方の分散」と言ってもいいのかもしれません。
- セカンドオピニオン
- 相見積もり
といった言葉があるように、「この人の言っていることは本当に正しいのだろうか?」と自分で確かめる必要があります。
現代はどこでも情報を得られますし、逆に言えば「ジャンクのような情報」もゴロゴロと転がっています。
しかし「読書」に関しては、ある一定の水準を超えた情報であると思っています。
- 多くの人が校閲し、
- 多くの人に読まれ、
- お金を払って得る情報
だからです。
ある分野について数冊の本を読むだけでも、「意見のかぶり」が見つかり、
「なるほど。やっぱりあの意見は正しそうだな…」
と、自分なりに納得のいくところまで詰めることができます。
読書に限らず、「コミュニティを分散させておくこと」で、人づてで客観的な意見をもらうこともできます。
- 属しているコミュニティのあり方や、
- 自分が影響を受けた考え方
を、全く別のコミュニティに属する人に聞いてみますと、
「なにそれ?本当に正しいの?」
と、悪気ではなく純粋な「疑問」として聞いてくれます。
当たり前だと思っていたことを、平然と「なにそれ?」と改めて聞かれますと、(実際におかしいかどうかは別にして)
「あれ…確かに言われてみれば、おかしいかな?」
と、一度立ち止まって疑問を持てるようになります。
これは逆の立場に立てば簡単ですね。
「自分が全く興味のないこと」や「興味のないインフルエンサー」などに対して、
- 「なにそれ、本当なの?怪しいなぁ〜」
- 「僕だったらそのコミュニティには入らないかなぁ」
- 「私だったら買わないね。価値を感じないから」
- 「別に自分は興味ないかな…」
と思ったことは、いくらでもあるかと思います。
自分に向けてそのような言葉が投げかけられた時は、自分の行動や考え方を客観的に見るチャンスです。
逆ギレせずに笑、相手の言っていることを参考にしてみましょう。
もしかしたら、何か新しい発見があるかもしれません。
このように、
- 広い分野で読書をすること(多読)
- 広いコミュニティを持つこと(コミュニティの分散)
で、「客観性を得ること」ができます。
だから僕は、「自分は放浪している」という感覚を持っているのだと思います。
同じ場所に長くいると考え方が凝り固まってしまうため、逆に居心地が悪くなってしまうのでしょうね笑。
「これだ!」と思えた時は、確かに勢いで突き進みたくなるものでして笑、僕も「猪突猛進」ならぬ「猪突盲信」系男子です。
行動力は大切ですが、自分では自分のやっていることに気づけない時もあります。
そんな時に周りから声をかけてもらえるよう、
- 様々な職業の人
- 別の国の出身の人
- 文化背景の違う人
と多く関わり、「なるほどそんな考え方もあるのか!」と思う頻度を増やしていきましょう。
まとめ
- 尊敬する人がいること
- 心地のよいコミュニティに属すること
は悪いことではありませんし、一方で、
- 穿(うが)った見方
- 斜に構えること
も時には必要です。
バランスを保ちながら線引きし、最終的に自分なりに納得して消化すれば、何も特別なことは要りません。
- 常に「様々な」場所や人から情報を取り入れ、
- その情報を正しく取捨選択し、
- 自分の考え方を固めていく
ことが大切であり、
- 他人の意見を鵜呑みにしたり、
- グループやコミュニティに依存し過ぎる
ことが、よろしくないだけです。
結局最後は、自分がどうしたいのか。
この着地点は、いつまでも変わりません。
正しいと思って突き進んでいる時は、一度冷静に立ち止まってみることも必要です。
「全てを納得した上で、自分が選んでいる」かどうかを確認し、また前に進んでいきましょう。
それではまた!
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