こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
オンラインでも対面でも、英語を教えるとなりますと、決まって「超初心者」とお会いすることがあります。
「英語を話す」という行為は英語の総合的な力であり、とても難しいのは誰もが知っています。
ただし英語がある程度しゃべれるようになりますと、中上級者たちはなかなか待てなくなることも事実です。
現に教育者として何かを教えている人は、「長く待つ」ということが苦手な人もいるかもしれません。
クラスのことを考えたら、待つ時間にも限度はありますが、「ある程度待ってあげる」というのもまた1つの教育のあり方だと思っています。
今日は「待つこと」について書いていきます。
待つことが正義か?
実はこの感覚は、一見素晴らしく聞こえますが「状況による」と言うのが正しいです。
僕も30〜40人のクラスサイズで英語を教えたことがありますが、授業の流れや進度もあることから、ある程度生徒の反応を待ったら、
と言うことがありました。
決して彼らの努力を否定したいわけではなくて、時間がないから仕方のないことなのです。
また、
という意見もありますが、ある程度経ったらすぐに答えを聞いてしまうことも、勉強方法としては効率が良い時もあります。
僕が数学を勉強していた時なんて、わからなければすぐに答えを見て、ガンガン解いていましたからね笑。
間違えて欲しくないのは、
と言いたいわけではないということ。
その時その時の状況にもよりますし、
と言われて、適切な時間を伝えられる教育者なんていないと思います。
その時の按配が大切であり、
- 生徒の考える時間をとりつつも
- キリの良いところで切り上げる
ことが大切です。
「生徒の回答を、待てば待つほどいい」
ということではないということです。
ただ僕は以前、なかなか生徒の回答を待てない人間でもありました。
ということを見せつけたかったのでしょうね笑。
先生はあくまでファシリテーターであり、寄り添うことが大切です。
待つ時間の按配は、先生が決められます。
ゆったりと構えつつ、適切な時間で解答へと導いてあげましょう。
捻り出そうとしているのを止めない
ただし、僕が以前、人の回答を待てなかったように、
- 頑張って考えている姿
- 一所懸命に答えている姿
を蔑(ないがし)ろにしていたことは、やはり「悪いところ」だったと思っています。
現在、僕自身もいろんな言語を勉強しており、パッと適切な表現が出ないことがしばしばです。
その時は必死に単語や構文を思い出そうとしていますから、「英語を始めたばかりの人」の気持ちもよくわかります。
だからこそ、
という態度を取られますと、なんだか「お前は遅い」と言われているような気もします。
つまりこの「待つ」という時間は、その人の「学習効果」に直接的かつ具体的な効果はなくても、精神的な部分で大きく影響している可能性があるということです。
時間の関係で、先生も解答を急いでしまうことは当然あるかと思いますが、
という態度を取られたら、教えている側が意図していなかったとしても、聞いている側は、
と思ってしまいます。
こうした経験が重なりますと、
と思うようになってしまい、生徒たちも自分の回答に自信が持てなくなってしまいます。
最悪の場合、
と思われてしまうこともあるでしょう。
頑張っている姿を見守るものまた、先生たちの仕事です。
捻り出そうとしている姿勢があるのならば、答えをさっさと言わないことです。
待つことができるのも、「知っている側」の特権です。
また間違えてでもいいから回答をさせることも、英語ではかなり大切な学習法となってきます。
と、頑張って答えようとしている人には、ちゃんと聞こうとする姿勢を持ってあげること。
これだけでも、
という認識が生まれ、初学習者も発話しやすくなってきます。
「知っている側」からすれば我慢の時間帯にもなりますが笑、その時間を楽しめるかどうかも大切なスキルです。
少しずつヒントを出してあげて解答に導いてあげたり、サッと答えを提示して練習を繰り返したり。
やり方はいくらでもあります。
それぞれの関係性を加味した上で、適切に「待って」あげましょう。
待てることは聞けること
先日も、
とブログに書きましたが、決まって人の話を聞けない人というのは、「待つことができない人」が多いです。
という気持ちがはやってしまい、相手の意見を聞こうとすらしません。
このような議論はただの「殴り合い」でしかなく、生産的とは言えませんよね。
エンタメとしては成立しているかもしれませんが笑、
- 相手の言いたいこと
- 相手の考えていること
を待って聞けないような人というのは、基本的に「話を聞く姿勢」のない人です。
つまりそれは、先生に限らないということ。
先生が生徒の話を聞いたり、回答を待ってあげたりすることも大切なことですが、それは何も、
というわけではないですよね。
人の話が聞けない人とは、相手の回答を待つことができない人ですから。
話に割って入っては、相手の「意見」を潰しているような人なんて、
そう思われかねません。
その事実に気づいてからというもの、少しずつですが、
- 生徒の意見
- 保護者の悩み
をじっくりと聞くようになりました。
何度か記事にも書いたことですが、とにかく相手から、
と思わせることが大切です。
と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、これが意外とできないもの。
相手の話を、じっくりと待って聞いたことはありますか。
確かに自分の「しゃべりたいこと」を相手にぶつけることで、ストレスが発散されることもあります。
僕もどちらかといえば「聞く派」である一方で、しっかりとしゃべり倒すこともありますからね笑。
お互いのバランスが大切ですが、
- 待てない
- 自己主張したいだけ
- 人の話を聞いていない
という流れになることは明白なこと。
最終的には人が離れていってしまいかねません。
相手の発言をじっと待つことで、
- 成長を助けたり
- 意見が整理されるのを待ったり
していきましょう。
待つことができる人は余裕のある人です。
人の話を、しっかりと聞くことができる人なのです。
おわりに
英語教育者として、「生徒が考える時間」をどこまで待っていいものかと思うことはあります。
そこには正解なんてないのでしょうけれど、生徒たちの「言いたいこと」を聞こうとする姿勢は、先生という立場を離れても大切な要素です。
じっと待てるようになったのは、僕にも余裕が出てきたからなのでしょうかね。
まだまだ教育者として必要なスキルはありそうです。
精進していきます。
それではまた!
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