こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、やっとこさ時間が取れましたので、『52ヘルツのクジラたち』を読み始めました。
リンク
まだ半分くらいしか読めていませんが、その中では家庭内暴力の内容がはっきりと描かれていました。
僕はあまり感情的にならないほうですし、先生もやっていろんな生徒を見てきましたから、小説程度で何か深く感じることはないと思っていました。
ただ、やはり胸を刺すような痛みがありましたね。
そんなことを考えさせられる一冊です。
今日は「苦しい世の中を生きていくには?」と表して書いていきます。
基本的に干渉はできない
教員をしていた頃は、その正義感から、
と、息巻いていたものでした。
- ごくせん
- 金八先生
- 生徒諸君
などの、いわゆる学園モノを見すぎていた僕は、実力も経験もないまま、現場で悪戦苦闘していました。
しかし9年間やってみてぶち当たった壁は、
という、諦めとも無力感とも取れる現実でした。
ただ、この事実を知った上で生徒と接することは、とても大切なことです。
生徒には生徒の家庭があり、先生には先生の家庭があります。
学校は福祉の機関に近い部分もありますが、何でもかんでもトラブルを解決できるような機関ではありません。
時に警察が介入することだってありますし、カウンセラーさんなどの専門家がいて初めて成り立つこともあります。
この書籍を読んでいて、
とは思うものの、家庭内で暴力を受けている子どもたちにできることもまた、ほとんどありません。
先生たちも努力はしますし、気づいたらそれなりの動きをしますが、難しいという現実は間違いなくて、他人ができることにも「限界」があります。
これは学校の「先生」と「生徒」という関係だから、多くの人が「なんとかしてやれよ」と思うのだと思いますが、隣の人のトラブルですらみなさんにとっても解決が難しいものはありますよね。
国となれば、みなさんも他の国のことなんて考えませんよね?
と言いたい人もいるかも知れません。
僕が言いたいことは、それだけ「自分とは関係のないこと」にはなかなか時間をかけられないということです。
みんな生きるのに必死ですからね。
だから基本的には干渉しない(≒ できない)ということを、前提として持っておく必要があります。
自分の人生と比べないこと
ここでポイントとなるのは、
- 自分の人生
- 他人の人生
を比べることです。
確かにこの書籍の登場人物のように、しんどい生活をしてきた人もいることでしょう。
それに比べれば(便宜上比べてしまいますが笑)、僕はかなり恵まれてきたほうでした。
別に豊かな家庭ではありませんでしたが、だからこそ、
と思っていましたしね。
素晴らしい友人たちにも出会い、今はとても幸せです。
大切なことは、上も下も見ようとするとキリがないということです。
僕は先生でしたので、いろんな家庭を見てきました。
だからこそ、
と言うのは、正直言ってどうしようもないことなのだと思っています。
「自分は大変だった」と文句を言うことは、誰にでもできるからです。
他人がほとんど干渉できないように、ある程度は「配られたカード」でやっていくしかありません。
日本はとても恵まれている国ですしね。
と言いたいわけではなくて、
と言いたいのです。
そんなことをしていたって、問題の解決にはなりません。
現在でも僕たちの知らないところで、いろんな事件や差別、暴力や理不尽が行われています。
自分の置かれている環境を変えることができないまま、亡くなっていく人たちだっています。
こう思うしかないのです。
僕の人生の中で、少しでも近くの人の役に立てたら、僕はそれでいいのかなと思っています。
若かりし頃の僕のように、「理想だけを描いている正義感」はむしろ何もわかっておらず、他人に干渉して違う形で “役に立ちたがり” ます笑。
それは時に「ありがた迷惑」となることもありますし、知ったかぶりをしてもよくありません。
「全く干渉するな」という意味ではありません。
みなさんなら、言いたいことがわかりますよね。
自分の人生を人と比べないこと。
自分の人生を生きていくことに必死になれば、それでいいのです。
想像力を持ちつつ踏み込まない
小説を読んだり、いろんな人の経験談を聞いたりしますと、想像力を養うことができます。
先生をやっていたこともあり「もともとなかった想像力」は、少しずつですがなんとかついてきました笑。
しかし先述した通り、
- 想像力を持っておくこと
- 知ったかぶりをすること
は別の話です。
と、まるで「僕はなんでも知っています」という言い方はよろしくありません。
ある程度理解はできても、その人の立場に立つことは決してできないからです。
自分自身の状況を細かく伝えることは、みなさんだって難しいですよね。
- 過去にどんなことがあって
- 現在はどのように生きているのか
なんて分岐点も多ければ、全く同じように生きてきた人なんていません。
それもあって、
- 各個人にも
- 各ご家庭にも
僕はあまり干渉しなくなりました。
いい意味で「僕の人生じゃないから」と、割り切ることができるようになったからです。(アドバイス等はしますけどね)
先生を始めた頃は、
- 想像力もなければ
- 他人に干渉しようともしていた
という、最悪の状況でした笑。
生徒や保護者、あるいは友人から頼られることは誰だって嬉しいことですが、それによって自分の人生を台無しにしてはいけません。
人に干渉するほど余裕がある人ならいいですが笑、相手に依存させることもまた相手にとって良くないことが多いです。
貧困国や被災地に「助けの手」を差し伸べることは僕も好きですから、よく募金をするようにはなりましたけどね。(善人アピール)
でも最終的には自分の足で立てない限り、どちらかが倒れて結果的に両者総崩れとなってしまいます。
相手のことを理解するために想像力をつけることはいいことですが、
と安易に考えることはよろしくありません。
難しい按配ですが、まずは自分の人生に集中することですね。
その上で人とやり取りしていますと、本当の意味で、
- 頼ってもらったり
- 尊敬してもらったり
できるようになるのです。
おわりに
「ツラい状況」とは家庭でも国でも違っていて、
「どんな状況でも救ってくれるヒーローがいる」
と言うわけではありません。
それでも、一所懸命生きていればそれが回り回って誰かの役に立ちます。
僕もできることはあまりありませんが、まずは身近な人たちにサービスを届けられるよう、頑張りますね。
それではまた!
コメント