こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
以前、BUNKAMURA ザ・ミュージアムに行った時に、松浦シオリさんの絵をみる機会がありました。
彼女の絵は非常に繊細でして、どこか怪しげでありながらも若干のエロスが混じっており、一瞬「ドキッ」とするのですが、その後じわっと奥ゆかしさや郷愁を感じるものです。
女性特有の空気を醸し出させる絵に、とにかく感動したことを覚えています。
今日はそんな「女性」に関する記事です。
このご時世ですので、「男らしく」とか「女の子らしく」と言った押し付けをするつもりはありません。
すずきの視点から、世の中の女性の努力や存在の尊さについて語っていこうと思います。
母の存在
僕の母に限らず、世の中のお母さんたちが毎日子どもたちの面倒を見ているのを目にするだけで、「なんとカッコいい存在なのだろう」と思わざるを得ません。
先に言っておきますが、僕の周りにはシングルファザーの方もいらっしゃいますので、世のお父さん方も頑張っているのは重々承知しております。
今の時代は様々な家庭の形があってよいですし、離婚を経験している僕からしましても「正解なんてないんじゃない?」と思っていますね。
優劣をつけたいわけではなく、「親」という存在は男女に限らず素晴らしいと思っています。
最近は、瀬尾まいこ著「そして、バトンは渡された」も読んでいますし、以前に伊坂幸太郎著「オー!ファーザー」も読んでいます。
これらの書籍ではいろんな形の家族の「あり方」が出てきますので、とても勉強になります。ぜひ一読してみてください。
ただし今回は「母」をとりあげてさせていただきます。
僕の母は、毎朝5時か5時半くらいに起きては、兄妹3人分の弁当を作ってもたせていました。
部活で汚れた服を洗濯してたたんでくれて、制服のワイシャツにはアイロンまでかけてくれていました。
夕飯もがっつりととても美味しく、教育にも熱心でした。
「自分だったらこんなことはできないな」と、学生ながらその存在の大きさを感じていたことを覚えています。
何と言っても強くて頼りになる。そんな母親でした。
特に僕が勉強に精を出していた頃、その頑張りを全て肯定してくれましたし、大学も僕が決めたことに何の反対もせずに見守ってくれていました。
現代こそ「子育て」に注目が集まり、多くの父親たちが「主夫」になったり「育メン」になったりしていて、
- そもそも育児は「手伝う」とかじゃないから。
- 2人で育てていくものじゃないの?
- 旦那が何もしてくれない…
- 家事すらできないなんてあり得ない。
など、様々な意見が飛び交っております。
僕の家庭では母が家事を担ってくれていて、父は特に何もしていませんでしたが、稼ぎには出てくれていましたので、そうやって2人で分担してバランスをとっていたのだと思います。
一応こうして「すずき」が健全に育ちましたので、形としてはよかったんじゃないのかなと笑。
つまり、それぞれの家庭内で役割が決まっていればそれでいいですし、外野が口出しする必要はないのです。
僕は両親のどちらも頼りにしていましたが、特に母親の強さには圧倒されていたということです。
そのあたりから「女性の強さ」みたいなものを感じていましたね。
道ゆく女性、職場の女性の尊さ
今の時代は男性も化粧をする時代で、多くの人の美意識が高まっていることも、とても素晴らしいことだと思っています。
また「性」という固定化された線引きに、良い意味で「曖昧さ」が加わることで、「いろんなあり方があっていい時代」になってきました。
本当はそんなこと、もっと前から許容されるべきだったのですけれどね。
やっと周りの人々にも、誰がどのようにしていてもそれらを許容できる度量が身についてきたのでしょう。
最近の男の子たちもオシャレで清潔感がありますが、それでもやはり道ゆく女性たちは圧倒的に美意識が高く、すれ違うたびに「なんという努力をしているのだろうか」と感動してしまいます。
僕は頑張って日焼け止めを塗るのが精一杯です…もっと頑張ります。
お化粧については勉強不足ですが、その大変さは周りの知人友人を見ていても十分に伝わります。
ここで女性たちの素晴らしいところは、それをしっかりとこなしているところにあります。
(男性でも誰でも、努力しているだけでもう尊敬の対象ですね)
いつも綺麗にキメていて、匂いやファッション、指先から足先まで気を使い、自分らしい「可愛いらしさ」「格好良さ」「綺麗さ」をふんだんに出しております。
もちろん「すっぴんが好き」「化粧はめんどくさい」と思う人がいても全く問題はなく、それぞれがそれぞれの「自分らしさ」を出していけばよいと思っています。
どんな形であれそうやって身だしなみに気を使えるというだけでも、本当に尊い存在です。
お話ししていても、みなさん柔らかい物腰ですしね。
僕が仕事を頑張ることができるのは、なんなら職場の女性たちのおかげなんじゃないかなと思っています。
男性にも女性にもいろんな形があっていいですけれど、そうして努力されている姿を見ているだけでも「ありがとうございます」と感謝したくなってしまうのです。
自分の身だしなみにも気を使ってみる
以前「夢をかなえるゾウ」を読んだ時にも、「身だしなみには気を使え」と主人公の男の子がガネーシャ(神様)から言われていたことを覚えています。
散々女性の皆様に感謝を申し上げましたが、何も「美意識」や「清潔感」を僕が意識しなくていいというわけではありません。
ひと昔前であれば、僕も「男って毛がボーボーでワイルドのほうがいいんでしょ?」という固定観念もいいところの考え方を持っていました。
いえ。
その考えも決して悪いわけでなく、そのような「ワイルドさ」を貫く人もいます。
ただ僕もそこそこ年を重ねてきましたので、「いっちょここでいろいろと試してみるか」と思い立ち、以下のことに挑戦し始めました。
- 顔まわりの脱毛(6回目が終わりました)
- 眉毛の手入れ
- 日焼け止め
- それっぽいスキンケア(化粧水等の保湿)
これくらいが限界でした…
身だしなみにきちんと努力を費やされている方々、本当にごめんなさい。出直してきます。
「一歩ずつ着実に」という合言葉でやらせていただいていますので、少し時間がかかりますがご容赦ください。
いずれにせよ、化粧がどうとかオシャレがどうとか以前にも、こうして自分のあり方に意識を向けることで変わってきたこともありました。
- 自分と向き合うようになる。
- 自己肯定感が増す。
- 自分の肌や体つきをよく見るようになる。
- 「何が自分に合うのだろうか」と考えるようになる。
- どうすれば「自分の良さを出せるか」と考えるようになる。
など。
こうして少しでも自分に「意識」が向くことで、世の中で努力されている女性を始めとして、身だしなみについてどのように考えるがいいのかと、興味を持つようになってきました。
ズボラだった僕からしますと、少しの意識改革だけでも大きな変化の1つです。
今後も清潔感や立ち居振る舞い、身だしなみにも気をつかっていこうと思っています。
おわりに
先日、LGBTQの団体の方の講義を受けるといった形の研修が行われました。
いまだ現実は厳しい社会ではありますが、僕も含めて時代がやっと追いついてきたのかなとも思いました。
ゆえに「男女」のような記事を書くことには抵抗もありました。
細心の注意を払いましたが、どうしても書きたかったことは世の中の努力している女性たちを始めとした、美意識の高い方々への敬意でした。
単純に「僕は」女性に対して「素晴らしいです」という気持ちをお伝えしたいだけなのです。
「女性のみなさん、いつもありがとうございます」と。
だから「男性がどうだ」とか「他がどうだ」とか、そういうことを言いたいのではないのです。
僕は女性のみなさんからいつもパワーをもらっていますし、母の強さに対する敬意もあります。
そこから学び、自分も努力するよう学び続ける。
そのために行動していきたい。その気持ちを持つことが大切だと思っています。
苦手な分野でもありますが、僕自身も周りから学び続け、自分の糧にしていこうと思います。
それではまた!
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