僕が人間関係に悩んでいた頃の対処法【試行錯誤をして空気を読む】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

日本に限らず、世界のどこでも「人との関わり」とは難しいものです。

僕も相当悩んでいましたが、最終的には「自分が気づけたかどうか」が解決策でした。

人間誰しも、否定されると「ムッ」としてしまい、ケンカ腰になってしまいます。

すると摩擦が生まれ、

なんかこいつとはやっていけない

と感じ始めます。

もちろん、こうしたケースに限らず、

  • 言動
  • 行動
  • 雰囲気

などから、「この人とは関わりたくない」と思われることもあります。

今日は僕なりに、「人との関わり方」について書いていきます。

自分の言動や行動に気づけたかが勝負だ。それからというもの、僕は柔和になったし、摩擦は起こらなくなっていった。ただし、自分の軸を持っておくことも大事なことだ。

みんな自分が正しいと思っている

若かりし頃の僕は、まぁとにかく好戦的と言いますか笑。

自分が全て正しく、意見の違うやつは排除

と、まるで現代の左翼集団のようでした笑。

まぁ、まだ “議論しようとしていた” という点においてマシだったのかもしれませんけどね。

誰だって、みんな「自分なりの正義」を持っています。

日本という同じ国に生まれたとしても、

  • 家族
  • 収入
  • 学校の経験
  • 出会った教師

などが違いますので、当然のことながら「全く同じ境遇」の人は存在しません。

ゆえに、価値観や考え方も異なり、ぶつかることのほうが普通と言ってもいいです。

そんな中で、

自分以外は全部間違い

という激しい思想を持っていたせいじ青年は笑、それはそれは摩擦ばかり起こしていたものでした。

これは裏を返しますと、

自分の誤ちや考え方は反省しないし、直す気がない

とも言えます。

  1. 違いがあるのは当然だが
  2. お互いにそれを認めて話し合うこと

これが大事ですね。

僕はそれができなかった。

相手を認めることができなかったんですよね。

  • 自分の軸を持つこと
  • 信念を持って意見すること

も素晴らしいことですが、常に自分の言動にも疑問を持つことですね。

本当に自分の考え方で合っているのか?

と。

そうしますと、「他の人の意見も聞いてみたい」と思えるようになります。

自分の正義を貫いても良いですが、それが正しいとは限らないのです。

それぞれがそれぞれの正義を持っている。相手の正義を否定することなく、自分の糧にしていこう。

自分の言動や行動を見直す

僕が人生の途中で気づいたことは、

あぁ、こうやって突っ張ってると、なんか話した後に気まずくなるな…

ということでした。

それからというもの、

自分が今どういう発言をして、どういう感情でいるか?

ということを、俯瞰して見るようになりました。

良いことを言っている時ですら、

なんかキレイごとになっていやしないか?説教じみてないか?調子に乗ってないか?

と思うようにもなりましたね。

自分が発言している時とは、大抵が「熱くなっている」ことが多いです。

良くも悪くも。

その際「他の人の意見を聞けるかどうか」が、当時の僕の課題でした。

それまでは、

  • 柔軟性に欠けていて
  • 他人の意見に耳を貸さなかった

わけです。

これが、

そうですね、そんな考え方もありますね

と、一度クッションを置けるようになりますと、次第に議論ができるようになっていきます。

相手を認められるようにもなりますし、摩擦も減っていきます。

こればかりは、「試行錯誤」を繰り返してゆくしかありません。

あ、こう言ったらダメだったか
こういう言動は良くなかったのかも

と、「トライアル&エラー」の連続でしたね。

  1. 自分を俯瞰して
  2. どうやったら良い関係を築けるか

を、その都度見て行くしかないのです。

人間関係をこじらせている人とは、大抵このプロセスをすっ飛ばしています。

  1. 自分の言動や行動を見られないと
  2. 修正ができずに摩擦を生み続ける

と、悪循環に陥(おちい)ります。

自分が発言をしている「リアルタイム」で俯瞰することが難しければ、後で振り返ることもアリですね。

大抵は、

「感情的になって、自分の意見をぶちまけた時」

に、失敗することがほとんどです。

そうならないためには、「常に冷静でいる練習」をするのではなくて、その都度、

今の自分はどうだろうか?さっきの発言は大丈夫だったろうか?

と俯瞰できる力を養ってゆくことですね。

自分のことを俯瞰できる人は、感情的にならなくなってゆく。試行錯誤して、自分の言動を客観視できるようになってゆくからだ。

優しさとは迎合することではない

僕は自分の好戦的な性格がイヤで仕方なく、

あぁ、もっと柔和な人になれたらなぁ…

と思っていました。

一方で、いろんな人と話してきた経験を振り返ってみますと、

  • ただ聞いているだけ
  • 「うんうん」としかうなずいていない

これらもまた、良い人間関係を生まないのだということもわかりました。

自分の軸がなかったり、「とりあえず合わせておけばいい」と思ったりしていますと、

要はこの人は、薄っぺらくて何も考えていないのだな

と思われるからです。

「もっと魅力的になれ」というのは難しい話ですが、

  • 常に自分のことについて考えていて、意見を持っている
  • 社会や仕事、趣味について勉強しており、軸がしっかりしている

という姿勢は、とても大事なことです。

いやいや笑。別にそんなに深く考えなくても笑

果たしてそういう人と、みなさんは関わっていたいと思うでしょうか。

多少は楽しいかもしれませんが、僕なら、

長く対話していく相手としては、ちょっとなぁ…

と思ってしまいます。

僕が思うに、「優しさ」とは「強さ」の裏返しでもあります。

軸もなく、摩擦や意見の違いを経験してこなかった人とは、対立を避けているようで、自分や相手との対話を避けていることにもなります。

自分の過去を正当化するわけではありませんが、僕はこうした摩擦を経験していて「よかったな」とは思っています。

たくさん考えるからこそ人と対話ができるわけですし、人と意見を交わすからこそ「自分との違い」にも気づけます。

相手の言うことに迎合し、ただただ同調しているだけでは、その人の「」はなくなってしまいます。

「自分のない人」と話していても、なかなか話は弾みませんし、議論も活性化しません。

この人と一緒にいてもなぁ…
それで?あなたはどう思うの?意見はないの?

と。

これは摩擦を生む以前の問題であり、そもそも論として「うまくコミュニケーションができない」部類に入ってきます。

ただただ「摩擦を生まないこと」を望むのならば、何も言わないに越したことはありません。

しかしその状態ですと、極論「コミュニケーションしなければいい」になってしまいますからね。

僕が勘違いしていたことでもありましたが、それはそれでいい関係性を築けないんですよね。

人との摩擦を生まないようにすることも大事だが、あまりにも議論を避け続けると、それはそれでうまくいかない。優しくするとは、話を避けることではないのだ。

おわりに

人間関係とは、いつまで経っても難題です笑。

経験も大事ですし、試行錯誤を繰り返す必要もあります。

はっきり言う人だって好かれますし、優しい人が好かれることもあります。

「何が正解」というものは提示できませんが、

  • 自分の正義が正しいと思っている
  • 優しそうに見えて実は何も考えていない
  • 相手の話を聞こうとしない(黙っているだけも同じ)

こう言う人たちからは、人は離れて行くと思っています。

性別や年齢などでケースは変わってきますが、

  1. 自分らしくありながらも
  2. ちゃんと他人の意見に耳を貸せる人

は、周りに友人も多い印象ですね。

それではまた!

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